第10話(1/2) 不謹慎セレナーデ

 全ての願いが叶うなんて思うのは傲慢なのだろうか。


 東京を対象に緊急事態宣言が発令されたころ、加賀谷友基かがやともきの住む都市ではまだそれほどの緊迫感は共有されていなかった。

 休校は全国一斉だったけれど、商業施設が閉鎖されるようなピリピリした空気は感じられない。

 友基の通う高校が臨時登校日を設けるのも自然に感じられた。

 高校1年を終え、友基はそれなりの数の友人をつくり、そこそこの高校生活を送っていた。

 だから、休みが続くのも悪くはない気はしていたが、登校日は2年生になったことを実感するにはいい機会だったように思う。

 教室で休校期間中の課題を受け取ったり、新しいクラスメイトたちと自己紹介を済ませたりした後も、しばらく友達とだべっていた。


「授業がないのはいいんだけど、部活ができないのはつらいよな」


 クラスメイトの言葉に、友基ははっとする。

 運動部の部活は禁止されていたものの、文化系の部活は登校日の際に短時間であれば部室を使っていいことになっていた。

 部室に行くことを一番の楽しみにして学校に来ていたはずだったのに、友人とのくだらない会話が楽しくてすっかり忘れていた。

 慌てて別れを告げると、足早に文芸部の部室へ向かった。


「早いですね」


 友基が声を掛ける相手は、3年で部長の渡辺文乃わたなべふみの

 自分が遅れたのが悪いのだが、そんな素振りを見せないようにさらっと言った。

 文乃は窓際に立ち、外の様子を眺めていたが、友基に気付くと長い髪を揺らして振り返る。


「加賀谷くんが遅いのよ」

「そうですか? 友達と話してたらこれぐらいになるんじゃないですか?」

「へぇ、加賀谷くんは私よりも友達を優先するのね?」


 髪をかき上げながら言う文乃に、友基はドキッとする。


 そんな風にからかうのはやめてほしいと思う。

 整った顔立ちをしている先輩に意味ありげなことを言われると、自分にも彼氏になるチャンスがあるんじゃないかと思ってしまう。

 けれど、そんな期待はするだけ無駄だと知っている。

 以前、文乃に彼氏をつくらないんですかと聞いた時に「私はそんな低俗なことを考えたりはしないわ」と冷たくあしらわれてしまっている。

 以来、余計な期待をすることだけは止めようと心に決めた。

 だから、友基は軽く応える。


「そんなの決まってるじゃないですか。僕は休校期間中もずっと先輩のことを考えていましたよ」


 文乃の反応は友基を裏切らない。


「そう。それはありがたいことね」


 ほら、やっぱりこの先輩は自分のことを異性として意識することなんてないんだと、友基は思う。

 いつもならば他の部員も会話に加わってきて、もっとひどくからかわれるから、今日は良かった。

 分散登校のおかげで、この時間に部室にいるのは、2人だけだった。


「で、今日はどうしたんですか? わざわざ部室に集まって何かすることがあるんですか?」

「部誌を作ろうと思っているの」

「えっ、いきなり過ぎませんか?」


「いいえ」と文乃は首を横に振って続ける。


「毎年、5月の文化祭に合わせて部誌を発行しているのよ。加賀谷くんは去年の文化祭の後に入部したから知らないわよね?」


「そうですね……」と言って、友基は黙る。

 文乃の言うように、友基は2学期になってから文芸部に入部していた。

 ただ、気掛かりなのは今から部誌を発行できるのかということだ。

 年末にも1冊部誌を発行したので、その大変さは知っている。

 だからこそ、今この時期に部誌を出せるのかが疑問に思える。


「……大丈夫ですかね?」

「どういうことかしら?」

「だって、今日は登校日だから学校に来れてますけど、普通に学校が再開するのがいつになるのかは分かりませんよ。部室に集まれなければ、製本作業とかもできませんし」

「別にPDFの電子版でもいいのよ」

「でも、それじゃ配れなくないですか?」

「そんなことないわよ。ネット上にアップロードするところなんていくらでもあるし」

「それはそうですけど、文化祭とは関係なくなりますよね?」

「いいのよ。何より大事なのは今、部誌を出すことだと私は考えているの」


 首を傾げる友基に、文乃は頷いて言葉を継ぐ。


「どうして今なんですか?」

「コロナよ」


 文乃は端的に告げるが、友基には理解できない。

 沈黙で続きを促す。


「コロナのせいで、私たちの生活は大きく変わっているわ。たぶんこれは、あと1週間とか2週間とかでは解決されない。もしかすると、数カ月か1年単位の時間が必要になるかもしれない。だから、文芸という形で、今を記録しておきたいの」

「なるほど……。それは、大事なことなのかもしれないですね」

「ええ、そうね。それで、どう? 何か書けそう?」


 友基には自信がない。

 春休みが長くなってラッキーと思ってもいたから、現状をそれほど深刻に捉えていなかった。

 だから、何か形のあるものが生み出せるのか分からない。

 けれど、文乃の言うように意味はあるんじゃないかと思う。

 とりあえずやれるだけやってみようと、文乃の目を見つめる。


「どれだけできるか分かりませんけど、書いてみます」

「そう、良かったわ。私も含めて小説を書く人は今の文芸部にいないから助かるわ」

「先輩もやっぱりコロナをテーマにして短歌を詠むんですか?」

「ええ。他の部員にもそれぞれの形でコロナを取り上げてもらうように頼むわ」

「自分で言うのも変ですけど、それはどんな部誌になるのか楽しみですね」

「そうね。けれど、やっぱり小説は大事よ。加賀谷くんの健筆を期待しているからね」


 文乃はそう言って顔をほころばせる。

 その笑顔にまたドキリとしながら、友基は何とか文乃の期待に応えてみせようと決意した。



 1週間後、友基は原稿用紙10枚分ほどの短編小説を仕上げ、文乃にメールで送った。

 文乃から部誌を作ると言われた時は戸惑ったが、それなりの出来になったと自負していた。


 舞台はある高校。

 コロナのせいで休校が続き、貴重な青春が損なわれたと嘆く主人公だったが、周りの友人と「今は我慢するしかない」と励まし合い苦しい時間を耐える。

 長期間にわたった休校が終わり、学校に再び通えるようになり、友人との再会を喜ぶというストーリーだった。


「今を記録したい」という文乃の希望にも沿って書けている内容だと、友基は考えていた。

 だから、原稿を送ってしばらくして着信した文乃からの電話で、褒められるものとばかり思っていた。

 友基は期待に胸を膨らませてスマホを耳に当てる。


「何なの、これは?」


 開口一番、文乃は冷たく言った。

 自分が思っていたのと正反対の反応に友基は戸惑う。

 困惑する友基に構わず文乃は続ける。


「はっきり言うけれど、加賀谷くんの書いた文章はゴミよ」

「……ゴミ、ですか?」

「悪いけれど、そうとしか言えないわ。小学生の作文ならまだしも高校の文芸部員が書く小説としては何の価値もないわ」

「どこが悪かったんですか? キャラクターが平板すぎるんですか? それとも文章が拙すぎるんですか? それとも……」


 思いつく限り理由を挙げようとする友基を、文乃は遮る。


「違うわ。もっと根本的な問題よ」

「……分かりません」

「加賀谷くんの書いたものには、主人公たちが我慢するくだりが何度も出てくるわよね?」

「はい。先輩にコロナをテーマにした作品を書くように言われてから、僕はみんなが何を考えているのかを真剣に考えたんです」


 訥々と語り始めた友基に文乃は何も言わない。


「でも、それだけじゃ限界があるから、ニュースを見たり、新聞を読んだりしました。それで、みんな今は大変だけど、この経験は将来に生きるって言ってたので、それを基にしました。間違ってますか?」


 不安げに尋ねる友基を、文乃はやはり断罪する。


「間違っているわ。考えてみて? マスコミにコメントする高校生が、我慢したくありませんなんて言えると思う? 言えないわよね。そんなことしたら、叩かれるのは目に見えているわ」


「それにね」と文乃は声を落とす。


「みんなこの経験が生きるって信じたいのよ。そうでなければ、押しつぶされてしまうから。……私もそうなのよ」

「そう、ですか」

「ええ、なんで今なのって思うの。ウイルスの流行はいつかは起きるって言われていたし、それ自体は仕方ないのかもしれない。でも、なんで今なの?」


 文乃の声には、次第に悲痛さが混ざり始める。


「10年前でも、10年後でも良かったはずでしょ? そうしたら私はもっと子どもでのほほんとしていられたし、もっと大人だったら、それこそ我慢できたかもしれない。けれど、今なのよ。私が高校生の今、このひどいことは起きてしまった」


 友基はやっと気付いた。

 一つ上の尊敬する先輩も、自分とそれほど変わらないのだと。

 大人びて見えるけれど、やはりまだ本当の大人ではないのだと。

 テレビや新聞で見た生徒たちも、きっとそうなのだろう。

 我慢していると口で言い、表面を取り繕うことができる程度には成長している。

 でも、理不尽さに押しつぶされそうになっているのだろう。


 友基は、感情をあふれさせてしまった先輩に優しく告げる。


「先輩、分かりました。書き直します」

「……そうね。さっきはちょっとひどい言い方をしてしまったわ。ごめんなさい」

「いえ、何も分かっていなかった僕が悪いんです」

「そう……。なら、次の原稿を楽しみにしているわ」

「はい。次こそちゃんとした小説を書きます」



 通話を終えた友基は、ノートパソコンに向かい合う。


「よしっ」


 今度こそ、憧れの先輩を唸らせられる原稿を仕上げると、気合を入れる。

 ほぼ全面的に書き直すつもりだが、一つだけ決めていることがある。


 ――それは、物語の結末をハッピーエンドにすること。


 現実がこれからどうなるかは分からない。

 コロナが簡単になくなるなんて思えない。

 でも、物語の中ならば、自分の望むことが何だって実現できる。


 例えば――先輩に思いを寄せる後輩の願いが叶うことだってあってもいい。


 そんな幸せな物語を紡ごう。

 友基は静かに自分と向き合い始めた。

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