第10話(2/2) 不謹慎セレナーデ
休みの終わりが近付くと、どうしても憂鬱な気分になってしまう。
特にゴールデンウイークのような連休だとなおさらだ。
けれど、休校が続く今年、
一つ年上の文乃は高校生活最後の1年を過ごしている。
友基が一緒に学校に通える時間は少なくなっている。
それなのに休校が解除されないのが本当にもどかしい。
そんな思いを何とか誤魔化しながら、友基は文乃から命じられた小説の執筆に取り組んだ。
一度は文乃から完全に否定された短編の改稿が終わったのは、5月5日の夕方。
『書き上げました』
文乃にラインを送って、そう言えば今年はこいのぼりを目にしなかったな、と気付いた。
それは執筆に集中していたからなのか、家にこもりきりだったからなのか分からない。
「どっちでもいい」
そうつぶやいたのと時を同じくして、友基のスマホがポコンと音を響かせた。
『とりあえずメールで送ってくれる? 中身については明日会って話しましょう』
文乃のメッセージを友基は何度か見直すが、間違いなく会って話をしようと、文乃は記していた。
外出自粛が厳しく言われているご時世なのに、どういうことなのだろうかと、いぶかしんでいると、再びスマホが鳴る。
今度は友基の最寄り駅から二つ離れた駅前にあるファミレスの地図が送られてきた。
さすがにそこまでされると、友基にも文乃が本気だということが伝わる。
意図は気になるが、文乃の顔を直接見られるのならば、友基に異論はない。
楽しみにしていますと、返信しようとしてやっぱりそれはがっつき過ぎかと自重する。
10分ほど悩んだ末に結局、『分かりました』とだけ返した。
翌日の昼過ぎ、友基は文乃に指定されたファミレスのドアを開けた。
先に入っているからと言う文乃を探すと、店内の一番奥にある4人掛けテーブルで原稿に目を通している文乃の姿が目に入った。
友基があの辺りは喫煙席だったんじゃないかと思いつつ進むと、壁に「当店は完全禁煙になりました」と張り紙がしてあった。
コロナのいろいろで、すっかり頭から抜け落ちていたが、確か4月から健康増進法とやらが厳しくなっていたことを思い出す。
きっと他にも気に留めなくなったことがあるんだろうけど、今はそういうことを考えている場合ではない。
せっかく思いを寄せる相手に会えるのに、そんなことはどうでもいい。
頭を切り替えてテーブルに近付くと、友基に気付いた文乃が軽く手を挙げる。
柔らかい表情に友基は、今度こそ原稿は受け取ってもらえそうだと安堵する。
そのまま軽く会釈をしてテーブルの手前側に座ろうとするのを文乃が制した。
「そっちじゃなくて、こっちよ」
文乃は自分の隣のスペースを指差すが、友基には訳が分からない。
「向かい側に座った方が話しやすくないですか?」
「そうかもしれないけれど、正面にいると飛沫が飛ぶでしょ?」
「それは、隣にいても同じなんじゃ?」
食い下がる友基に、文乃はテーブルに人差し指を叩き付け始める。
「加賀谷くんはそんなに私の隣に座りたくないのかしら?」
何が文乃の癪に障ったのか分からないが、そうまで言われるとさすがに友基は逆らうことができない。
「分かりました」とおずおずと、文乃の横に腰掛けた。
その拍子に鼻孔に届いた甘い香りにドキッとしたのを悟られないように、すぐに友基は口を開く。
「これは、外出自粛中に直接会って話さないといけないような不要不急の用事なんですか?」
「そうよ」
文乃は間髪入れずに頷く。
「来週、文化祭をやることが決まったの。もちろん私たち文芸部も出展するわよ」
「はっ? 文化祭ってあの文化祭ですか? それはさすがに不謹慎なんじゃ?」
目を見開く友基に、文乃はかぶりを振る。
「実際にどこかに集まるわけじゃないのよ。インターネットを使ってやるそうよ」
「なるほど……。それならいいかもしれないですね。でも、急な話ですね?」
「そうね、私も聞いたのは1週間ぐらい前だけれど、驚いたわ」
「えっ、そんな早くに聞いていたなら、なんで教えてくれなかったんですか?」
「加賀谷くんに言ったらプレッシャーになるでしょう。だから、黙っていたのよ」
友基は、やはり自分は信頼されていないのかと肩を落としかける。
けれど、文乃はすぐに「そうじゃないの」と続ける。
「加賀谷くんのことだから、ちゃんと書いてくれると信じていたの。でも、余計なことに気をまわしてほしくなかっただけよ」
「そうですか」
「ええ、特に加賀谷くんには一番大事な部分をお願いしていたから、執筆に集中してほしかったの。とにかく、今はこの原稿の話をしましょう」
文乃はテーブルに広げていた友基の原稿を一つにまとめると、とんとんと整えた。
友基は前回、文乃に否定された小説をまっさらな状態から書き直した。
もはや改稿と呼べるレベルではないほどの作業だった。
変えなかったのは、コロナ禍に暮らす高校生が主人公ということだけ。
もともとは友情の大切さを訴えるような青春ものだったが、ラブストーリーにした。
休校となって片思いの先輩に会えなくなった男子生徒が主人公。
男子生徒は好意を寄せる相手に会えないもどかしさを手紙にしたためて送る。
スマホのメッセージじゃなくて、手紙にしたのがストーリーの肝だと友基は思っていた。
手を動かしてしたためた文字なら、コロナで会えない中でも好意をダイレクトに伝えられるはずだという思いを込めた。
友基は、手紙を交わし合い互いの気持ちを確認する主人公とヒロインを丁寧に描いた。
結末では、外出自粛が出ていると言って家から出ることを許さない両親を振り切って主人公がヒロインの家に行く。
窓越しに大声で告白する主人公に気付いたヒロインが窓から顔を出し、頷いたところで物語は終わる。
友基自身は、小説の出来に納得していた。
けれど、初稿が完全に否定されただけに、文乃の反応が怖い。
何も言えないまま文乃の様子を窺っていると、笑顔が返ってきた。
「とてもいい出来だと思うわ」
文乃は嘘やお世辞を言うような人ではないと、友基は知っている。
それでも、こんな風に手放しに褒めてもらえるとは思っていなかった。
「ほんとですか?」
「ええ。前回私が指摘したところを踏まえて書かれているし、素敵な物語ね」
「でも」と、友基にはどうしても気掛かりな部分がある。
「読んだ人に不謹慎だと言われませんかね?」
「どうしてかしら?」
「だって、郵便の人は生活必需品とかを運ぶのに忙しいのに、ラブレターを送ったりしているし。それに最後には個人的な理由で外出もしているし。みんなが我慢しなくちゃいけない時に好き勝手しました、なんて物語が受け入れられるんですかね?」
心配そうな友基を安心させるように、文乃は大きく頷く。
「この間、私が言ったのはそういうことよ。不謹慎かどうかとかそんなことを気にせずに、今の空気感をしっかり書いてほしいと、加賀谷くんに伝えたでしょう?」
「そうですね」
「この物語にはちゃんとそれが描かれている」
文乃は原稿の両端を握って続ける。
「この空気感をちゃんと記録できるのは、虚構だからこそだと私は思っているの。テレビのニュースや新聞は多くの人のコメントを伝えているけれど、それは上っ面でしかない。本音は隠されているのよ」
「それは、そうかもしれないですね」
「ええ、だから加賀谷くんは自信を持ってこの物語を世に問えばいいわ」
「ありがとうございます」
そう言って頭を下げた友基の頭が上がるのを待って、文乃は言葉を継ぐ。
「けれど、加賀谷くんがこんな情熱的な話を書けるなんてね。驚いたわ」
「情熱的ですか? あんまりそこは意識してなかったんですけど」
「本当に見直したわ」
文乃は「だから」と続けて、妖艶な笑みを浮かべる。
「私たちの関係も少しだけ不謹慎なものにしてみない? その覚悟はあるかしら?」
「えっ?」
友基には、何がなんだか理解できない。
物語を書き上げたのはいいが、もしかして自分の作り上げた虚構の世界に自分が迷い込んでしまったのかと錯覚する。
それほどまでに文乃の口から出てきたのは、衝撃的な言葉だった。
戸惑う友基のすぐ隣で、文乃はなおも微笑んでいる。
瞬きに合わせて文乃の長いまつ毛が揺れるたびに、友基の心拍数は上がる。
耐えられなくなった友基は視線を逸らす。
どう応えるのが、正解なのかまったく分からない。
だから、友基はどうしようもないことを口にしてしまう。
「……冗談ですよね?」
からかわれているとしか思えない友基には、そんなことしか言えなかった。
けれど、いつものような反応が返ってこない。
黙ったままの文乃が気になって、友基はそっと視線を戻す。
友基の目に映った文乃の表情は怒気をはらんでいた。
「……もういいわ。もらった原稿で部誌の作成を進めないといけないから帰りましょう」
「えっ?」
突然不機嫌になった文乃に友基は戸惑う。
「もしかして、本気だったんですか?」
「そんなわけないでしょ」
口ではそう言う文乃だが、友基には何か地雷を踏んでしまったとしか思えない。
「すいません、間違えました」
いまさらながらに言い繕おうとするものの、もはや取り付く島もない。
「ほら、早く立って。加賀谷くんがどかないと、私も出られないでしょう」
押しやられるように友基が立ち上がると、文乃は伝票を手にそそくさとレジへ向かう。
友基も仕方なくその背中を追う。
会計を済ませた文乃に、「あの」と声を掛けるとやっと振り返ってくれた。
「あぁ、これね」
だが、文乃は友基の手の平にドリンクバーの割引券を置くと、「じゃあ、また連絡するわ」とだけ告げて店を出て行った。
客がほとんどいない店内に友基は取り残される。
レジに立つ店員の怪訝そうな視線を受けながら、頬をかく。
――やっぱり本音は出してくれなくちゃ分からないよ。
吐き出せない思いを胸に仕舞って、友基も店を後にした。
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