第9話(2/2) 9月入学ラプソディー

 カタン――


 郵便受けが音を立てたのに気付き、リビングでテレビを眺めていたがくは立ち上がる。

 家の中はひんやりした空気で満たされていたが、玄関の扉を開けると暖かい。

 本来なら大型連休の到来を喜ぶころだから当然のことだ。

 学校がないとこんなに季節感がなくなるのかと思いながら岳は、郵便受けを覗く。

 中に入っていたのは、布マスクだった。

 ふっ、と思わず笑ってしまう。


「今さらマスクなんて送ってこられても」


 鳴り物入りの政府の事業が多くの批判を浴びていることを岳は知っていた。

 以前はニュースなんて大して気にしていなかったのに、9月入学制度を導入しようという機運が高まったのをきっかけに、社会の出来事に関心を持つようになっていた。

 9月入学制度の導入には思うところがあり、岳自身もネットを使って多くの人に賛同してもらうように働きかけていた。

 新しく開設したツイッターアカウントのフォロワーは4桁を数え、同じぐらいの人が電子署名を寄せてくれていた。


 ――けれど、その全てが徒労だったんじゃないかと、岳は思う。


 マスクを手にリビングに戻ると、つけっぱなしのテレビではワイドショーが始まっていた。


『最近は9月入学の話をあまり聞かなくなりましたが、どうなっているんでしょうか?』


 キャスターの問い掛けに、タレント上がりの女性コメンテーターが応える。


『どうなってるんでしょうね?』


 いや、聞かれてるのはお前だろうと、岳は内心つっこむ。

 そもそもなんでタレントがコメンテーターなんてするんだろう。もっとましな人がいるんじゃないのか、と思っていると、画面の中ではあまり耳にしたことのない大学の教授とやらがしたり顔で話し始める。


『結局、何かやってる感を出したかっただけなんでしょうな』

『と、言うと?』


 キャスターが質問を重ねる。


『何をやっても批判される、何もやらなくても批判される。であれば、これから何かやろうとしてますよ、と見せるのが一番無難でしょう』


 男性教授は顎髭をさすりながら解説してみせた。

 なるほど、と岳は思う。

 言い得て妙だ。

 このマスクなんてまさにそうだしと、ローテーブルの上に投げ出した袋を見やる。

 もうちょっと早い時期に届けば、まだ使い道はあった。

 けど、今となっては少しずつマスクは店頭に並ぶようになっている。

 もともとの問題は、マスクの転売規制が遅れたせいなんじゃないのかと言いたくもなる。

 一時期はネットのフリマサイトには、びっくりするほどの高値が付けられたマスクがたくさん出品されていた。

 あのマスクはどうなったんだろうか。

ちょっと調べてみようと、岳がスマホを手に取った時、呼び鈴がなった。

 振り返って時計を見ると、大祐だいすけが家に遊びに来る時間になっていた。


「ぴったり時間通りに来るなんて、律儀な奴だな」


 岳は独り言ちて、再び玄関へ向かった。



 大祐を招き入れると、岳は自室へ向かった。

 大祐がスイッチをカバンから出しながら尋ねる。


「例の9月入学のって、まだやってんの?」

「やめた」


 岳は端的に応える。


「どうして?」

「なんか意味がない気がして。ニュースでもほとんどやらなくなっただろ?」

「そうだな」


 大祐はスイッチをセットし終えると、顔を上げる。


「けど、良かったのか? あれだけ張り切ってたのに」


 岳も自分のゲーム機の電源を入れる。


「しょうがないだろ。結局、俺たちには何かをやるっていうことは選べないんだよ」

「どういうこと?」

「今の状況だよ。全部コロナが悪いんだって言うしか俺たちにできることはないんだよ」


 大祐は何も言わず、対戦ゲームを起動する。

 黙ったままの大祐を見て、岳も同じゲームを画面に映す。


「今日はなんでわざわざ家に来たんだよ? このゲームなら別にオンラインでもできるだろ?」

「あぁ、それな」

「どれだよ?」

「なんかオンラインばっかりの関係って疲れるんだよな」

「それは、分かる気がするな」


 大祐は画面から視線を上げて岳の様子を窺う。


「授業もオンラインだしな。そこに人がいるのは分かってるのに、物理的な距離があるっていうのが、何か嫌なんだよな」

「でも、ネットでも繋がれないのはもっと嫌じゃないか?」

「そうかもしれないな」

「どっちなんだよ?」


 どうとでも取れる大祐の受け答えに、岳は苦笑する。



 ゲーム画面で、2人はフィールドを紫と黄色に染め続けていた。

 10回やれば8回は岳の勝利に終わっていたが、大祐は「うぐっ」とか「まじかよ」とかつぶやきながら笑顔を浮かべる。


「しつこいようだけど、もう1回聞いていいか?」


 ちょうどゲームとゲームの合間。大祐が岳に視線を合わせる。


「何?」

「9月入学の話。ほんとにこのまま諦めるのか?」

「さっきも言った通りだよ。もうどうしようもない。当事者以外はもう関心を持ってないからな」

「じゃあ、何かをやるのを諦めるってのは?」

「厳密に言うと、何かやることを選ぶのを諦めただな」

「どっちでもいい。それはどうすんだよ?」


 大祐が思いの外、真剣な表情をしていることに岳は戸惑う。


「どうしたんだよ?」

「そんな簡単に諦めていいのかな、俺たちは」


 俺『たち』という言葉に岳は引っかかりを覚える。

 さっきまで自分のことに対して、大祐はあれこれ言っていたはずなのに、どうしたことなのか。

 困惑したままの岳を放って、大祐は言葉を継ぐ。


「岳がさ、9月入学の実現に向けて頑張るって言った時に、俺はすごいなと思ったんだよ。……俺は何もしてなかったから」

「別にすごくなんてないだろ。ネット使って暇つぶしをしただけだよ」

「そう謙遜するなよ。自信満々って感じで振る舞った方がモテるらしいぞ」


 大祐はニカっと笑ってみせる。


「……別にモテたくないし」

「その一瞬の沈黙に戸惑いがあるな。素直になれよ」

「第一、 大祐の2人だけの時に、そんな風にしても意味ないだろ?」

「そうだな。だから、一つ提案がある」

「今度は何なんだよ?」


 岳はいぶかし気に大祐に目線を送る。


「生徒会長がなんか面白いことやりたいって言いだしてさ」

「あぁ、あのいつも元気いっぱいの宮川みやかわか」

「そっ。俺も一応生徒会役員だから、手伝ってやらないといけないんだけど」

「だったな。書記だったか?」

「違うって。広報だよ、広報」


 なんか以前も似たような会話をした気がするなと、思いながら岳は本題を問う。


「で、提案ってのは?」

「岳にも手伝ってほしい」

「手伝うって何するんだよ?」

「いや、よく分からん」


 堂々とそう言う大祐に岳はあきれ顔を向ける。


「いや、そんな自信満々に言われても……」

「さっき自信が大事って言っただろ?」

「まぁ、そうだけどさぁ」

「とにかく、だ。この時期になんかするとなると、どうしてもネットを使ってということになると思うんだよ」

「まぁ、そうだろうな」

「そうなると、オタクとしての岳の力が必要になる、かもしれないだろ?」

「だから、オタクじゃねーって。しかも後半が疑問形ってのはおかしくないか?」

「その辺はどうでもいいだろ。とにかく、手伝ってくれるか?」


 岳は逡巡する。


 9月入学の導入を後押ししようと、自分で選んだ行動は、ひどい結末に終わった。

 今度は、どうなる?

 分からない。

 ただ、1回の失敗で何かを諦めるというのも、癪だ。

 さっきは何かを選ぶのを諦めただなんて、大祐には言った。

 でも、今の状況に腹を立てているのは変わらない。

 何とかしてやりたいと思ってる。

 だったら、仕方がない。

 また徒労に終わるのだとしても、やるしかない。

 だって、嘆いてばかりいても今は戻ってこないのだから。


 覚悟を決めて大祐に言う。


「やるよ。けど、俺に手伝わせたことを後悔するなよ」


 自信満々に告げる岳の顔を見て、大祐は柔らかい表情で頷いた。

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