第8話(1/3) 咀嚼するソーシャル
気付いた時には、手遅れということは間々ある。
何でもない1日になるはずだった4月半ばの水曜日。
「ここで、あってるよね?」
高校3年生になって初めて学校に来ていた。
休校は続いていたが、健康状態の確認という名目で設けられた臨時の登校日。
仲がいい子がいればいいなとか、問題を起こす子がいなければいいなとか。
いつもの新学期なら、そんなことを感じていた。
けれど、今年はちょっと違う。
前から知ってる子でも、今のこの不思議な状況を過ごして、どこか変わってしまっているんじゃないかと、どうしても不安を覚えてしまう。
ただ、いつまでもそうしているわけにはいかない。
朋夏は2年生の2学期から生徒会長を任されている。
生徒の模範になるべき自分が、いつまでも、うじうじしているというのは、きっと許されないことだと思う。
だから、自分を奮い立たせるように、胸の前で小さくガッツポーズをして、すうと息を吸う。
3年2組のプレートをもう一度確かめてから、教室に入った。
「みんな、おはよう」
普段以上に明るい声を心掛けた。
「おぉ、会長じゃん。おはよう」
「朋夏ちゃん、おはよう。今年も同じクラスだったね」
既に教室でクラスメイトと談笑していた生徒たちが、口々にあいさつを返してくれた。
瞳に映る笑顔に、朋夏はホッと胸を撫で下ろす。
みんな変わった様子はない。
ちょっと前までと同じように、楽しそうにしている。
――ただ、教室の雰囲気には、どこか違和感を覚える。
それはたぶん、分散登校のせいなのだろう。
この日の臨時登校は、午前と午後の2回に分けられている。
全員が揃っても、教室の席は半分しか埋まらない。
がらんとした空間が、例年より気温の低い春を意識させる。
朋夏がそんな感傷を押し隠したまま、新しくクラスメイトになった生徒たちと会話をしていると、予鈴が響いた。
それを合図に割り当てられた朋夏たちは席に向かうが、一つずつ離れている。
これもソーシャルディスタンスってやつか、と朋夏は嘆息する。
ため息の音をかき消すように、足音を立てて年配の男性教諭が教室に入ってきた。
「元気そうだな」
このクラスの担任になるという年配の教諭は、朋夏にとって見知った顔。
昨年は担任ではなかったが、古典を教わっていた。
小難しい話も軽妙な語り口で、上手に教えるということで生徒からの人気は高い。
ぐるりと教室を見回して、
「そんなお前らには素敵なプレゼントがある」
と、口角を上げる。
「どうせ課題なんでしょ?」
茶化す女子生徒に、
「正解っ! 特典として課題を倍にしてやろう」
ベテランらしく軽快に応える。
「えーっ、いりませんって」
「そうか、残念だな。まぁ、さっさと済ませるぞ」
大げさに肩を落として笑うと、プリントの束を配り始めた。
プリントが行き渡り、休校中の過ごし方の注意点などを説明した後。
「さて、じゃあ今日のメインイベントだ」
そう言うと、開け放たれたままのドアから廊下に顔を出すと、ひょいひょいと手招きする。
入ってきたのは、若い女性教諭。
「お前らの副担任を受け持ってもらう先生だ。……じゃあ、先生よろしく」
女性教諭は「はい」と応えて教壇に立つと、一つ頭を下げる。
「初めまして。今年の3月に東京の大学を卒業して、念願の教職に就くことになりました。不慣れな点もあるかと思いますが、よろしくお願いします」
声が聞き取りづらかったのは、マスクのせいだけではないはずだ。
きっと緊張してるんだろうなと、朋夏は思う。
不安を少しでも取り払って上げようと、拍手を送ろうとした時だった。
「何で東京から来てんの? こんな地方にまでコロナ広めないでくれよ」
教室の後方から男子生徒の不躾な声が投げ掛けられた。
朋夏が振り返ると、
女性教諭はわずかに瞳を揺らめかせながらも、英雄に向き合う。
「……東京からこちらへ来てから、ちゃんと2週間の自宅待機はしました」
「ちげーって。そんなこと言ってるんじゃないって。東京の連中のせいで、不便させられてるんですけど? 何であんな満員電車に乗ってるわけ?」
「最近は電車の混雑もましになってます」
反論を試みる女性教諭に、英雄は容赦しない。
「いや、ましになってるって知ってるってことは、最近まで電車に乗ってたってことでしょ? ますます迷惑なんだけど」
朋夏は英雄のその言い分は理不尽だと感じる。
けれど、全く共感できないわけでもない。
自分たちが暮らす街でも数人のコロナの感染者が報告されている。ただ、その全員が県外で感染したと聞いている。
都会の人たちがもっとちゃんとしてくれれば、自分たちの生活は影響されないんじゃないかという思いは否定できない。
だから、こういう場面で仲裁に入るのも生徒会長の役割だと頭では理解しているが、朋夏は浅く噛んだ唇を開くことができなかった。
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