第7話(3/3) おもいおもいの重い思い
「うるさいんだけど」
英雄は遠隔会議アプリを通じての部活を終わらせたところだった。
スマホを眺めながらサッカー部の仲間と一緒にトレーニングをするのは、英雄にとっていつの間にか日常の一コマになっていた。
けれど、一つ上の姉には許容できないらしい。
こうして英雄の部屋に怒鳴り込んでくるのも珍しくない。
「仕方ないだろ、外で部活できないんだから」
ゴールデンウイークが始まるころにもなれば、英雄の言い訳も、ワンパターン化していた。
翠がそれに対して小言を加えるのもいつものこと。
「それは分かってるって。でも、もうちょっと静かにできないの?」
「これでもちゃんと気を遣ってるんだけど」
「その気遣いが足りないって言ってるんでしょ」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ?」
「少しは自分で考えなさいよ」
「なんか今日はいつにもましてしつこいんだけど」
「あんたがいつもうるさいのがいけないんでしょ?」
これは口にしてはいけないことだと、英雄は理解している。
だけど、あまりにしつこい姉につい我慢できなくなってしまう。
「八つ当たりすんなよ」
「……八つ当たりってどういうこと?」
これ以上はダメだと知っている。
でも、もう止められない。
「アメリカ留学に行けなくなったことだよ。それにイライラして俺に当たってくるんだろ?」
「違う。そんなことない。それに留学には行けなくなったわけじゃない。ちょっと延期になっただけ、だから……」
翠の反論に力がなくなっていくのを目の当たりにして、英雄はやっぱりこれはまずかったと後悔する。
「ちょっと外を歩いてくる」
俯いたまま黙り込む姉の姿にいたたまれなくなった英雄はドアの脇をすり抜け、逃げるように家を出た。
英雄には特に行く当てはない。
せっかくのゴールデンウイークなのに、どこの店も閉まっている。
もっとも、慌てて家を出てきたから、ポケットにはスマホと小銭しか入っていないので、店が開いていたところで、時間を潰すことはできない。
目に付いた自販機で、赤いラベルの炭酸水を買い、英雄は近所の公園に入る。
ベンチに腰を落とし、やはり時間を持て余しているのであろう小学生たちがはしゃぐのを横目にペットボトルのキャップをひねる。
プシュッと小気味いい音が耳を打つ。
立ち上る泡を見て、改めて姉には悪いことを言ってしまったと反省する。
3月に高校を卒業した翠はアメリカの大学に進学することが決まっていた。
大学入学前に語学力を上げるため、4月半ばには渡米して語学学校に行くことになっていた。
コロナのせいで渡米を延期することが決まったのは3月のうち。
そして、つい先日。家族会議の結果、9月の入学を1年遅らせることになった。
だから、英雄は「八つ当たり」などという言葉を使ってしまったのだ。
新生活への期待が急速にしぼんでいく姉が落ち込んでいる姿をずっと見てきた。
誰のせいでもないのに、夢が遠のいていくことがつらいのは、英雄にも分かっている。
インターハイが中止になって、自分の目標の一つもなくなった。
姉には申し訳ないことを言ってしまったと思う。
でも、それを素直に謝れるほど大人ではない。
それに、自分だってもっと気を遣われてもいいんじゃないかという思いも拭いきれない。
「なーに、昼間から黄昏てるんだよ?」
一人物思いにふけっていた英雄の目の前に、
サッカー部のキャプテンはからかうような視線を投げ掛けてきていた。
「別に。いろいろあんだよ……。隆司は、走ってたのか?」
「うん。やっぱり家の中でのトレーニングだけじゃ、体がなまるからな」
「結構、今日のはきつかったけど、さすがだな」
「そうだな」と言いながら、隆司は英雄の隣に座る。
「一口くれよ」
「あぁ。けど走ってる途中で炭酸なんて飲んだら腹にこないか?」
「大丈夫だよ。俺は規格外の男だからな」
「……自分で言うのかよ」
ジト目を向ける英雄に隆司は笑う。
「ユース全盛の時代に高校から年代別代表に選ばれて、しかも高2の夏休みの時点でプロの練習に招待される選手なんてなかなかいないだろ?」
無邪気に白い歯を覗かせるキャプテンに、英雄は頷くしかない。
「そうだな。けど、だからこそ、今年のインターハイがなくなったのは、痛い。隆司がいれば、間違いなく県予選は勝てたし、全国でもいいところまで行けたはずだったのに」
「それにお前もいるしな」
隆司はポンと英雄の肩に手を置く。
その手を眺めながら英雄は応える。
「俺なんて大した事ねえよ。俺には、ただ走り回って相手をつぶしてまわることしかできない。隆司のテクニックの半分でもあれば良かったのにな」
「そんなことないだろ。ボランチの英雄がいるから、俺はトップ下で攻撃だけして、サッカーを楽しめてるんだよ」
「さすがにキャプテンはいいこと言うな。……ついでに一個相談にのってくれるか?」
「何だよ、あらたまって? あれか恋愛相談か? それならちょっと難しいけどな」
急に早口になる隆司に英雄は苦笑する。
「ちげーって。そもそもそんだけモテる奴が恋愛相談にはのれないってどういうことだよ?」
「だって、告白されることは多いけど、付き合ったことはないからな」
「うっわ、自分で告白されることは多いとか言ってるし」
「事実だからしょうがないだろ」
隆司が拗ねたように言ったのに続いて、2人は目を見合わせて笑う。
ひとしきり声を上げると、隆司は真剣な表情を浮かべる。
「で、相談って何だよ?」
英雄はうんと、首を小さく縦に振る。
「最近さ、自分で自分が嫌になることが多いんだよ。今日も姉貴に八つ当たりしたしさ。4月の臨時登校日の時も、新しく来た先生にひどいことを言ったし」
隆司は静かに語り始めた英雄を見守る。
「分かってるんだよ、そんなことをしても何も解決しないって。だけど、どうしても感情が抑えられないんだよ。どうすればいいんだろうな?」
「人を傷つけるのは、良くないな。けど、感情を押さえつける必要はないんじゃないか?」
意外なことを言う隆司に、英雄は驚く。
「感情を押さえつけなくていいってどういうことだ?」
「英雄はさ、あれだろ?」
「あれって、普段俺が言って、みんながからかうやつだろ?」
「そうだったな」と隆司は微笑んでから続ける。
「俺が言いたいのは、英雄はみんな大変な思いをしている時だから、我慢しなくちゃいけないって思ってるんだろ?」
「……そう、かもな。俺だけ好き勝手なことを言ったらいけないって思ってるのかもな」
「うん。確かに何でもしていいということには、ならない。だけど、悔しい時には悔しいってもっと口に出してもいいんじゃないかな」
「最近、お利口さんが増えたもんな」
「そういうこと。もっと正直に生きていこうぜ」
隆司は明るく言って立ち上がる。
つられて英雄もベンチから腰を上げる。
「なぁ、隆司」
「どうした?」
「お前はすごくなれよ。俺たちの誰も敵わないぐらいに。プロになって、日本代表になって、ワールドカップで優勝しろ」
まっすぐに見つめられた隆司は人差し指で頬をかく。
「まぁ、そのつもりだけど……。面と向かって言われると照れるな」
「もっと堂々としてろよ」
英雄はありったけの気持ちを込めて、隆司の背中をバシンと叩く。
「分かった。期待されるのは嫌いじゃない」
隆司は口角をキュッと上げる。
「おう、頼んだぞ」
「おう、頼まれたぞ」
2人はまた声に出して笑う。
「じゃあ、またな」
駆け出していった隆司を英雄は目を細めて見送る。
こんな時だからこそ、希望を持っていたい。
あのキャプテンなら、きっと背負ってくれるはずだ。
あいつが夢を叶えてくれたら、この糞みたいな時代に高校生活を送ったことも少しは意味があったと思えるようになる気がする。
「ほんとに頼んだぞ」
英雄は遠くなる背に小さくつぶやいた。
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