第7話(1/3) おもいおもいの重い思い
ヒーローになりたいと、思っていた。
高校3年生になった
けれど、将来どうしたいかと問われると、これといった目標はなかった。
だから、ただ、今は汗を流す。
『30秒休憩したら、次は腹筋な』
スマホからキャプテンの
コロナのせいで休校となり、最近のサッカー部の活動は遠隔会議アプリを介して行われている。
自分の部屋でスマホの画面を見ながら体を動かすことを部活と称することに、違和感はあったが、それでも何もしないで家に閉じこもっているよりかは、ましだと雅人は思う。
『じゃあ、始めるぞ』
自覚のないまま新学期が始まって大会は近付いているのに、ボールを蹴ることのできない日々に焦りが募らないでもない。
けど、誰もが口にするように、これは仕方がないことなのだ。
そもそも考えても意味がない。自分にできることは何もない。
そんな考えを打ち消すように、雅人はトレーニングを続ける。
6分割されたスマホの画面には、同じように黙々と腹筋を続けるチームメイトの姿が映っていた。
『雅人、お前、あれ見たか?』
1時間ちょっとのトレーニングを終え、そろそろ接続を切ろうかというころ。
画面の右下に映る
「あれって、何だよ? いつも言ってるけど、お前の話は分かりづらいんだよ」
残りの4人も画面の中でうんうんと頷くのを見て、英雄は苦笑する。
『悪かったな、分かりづらくて』
「まぁ、別にいいけどさ。で、何の話だよ?」
『あぁ、お前んちの近くにうまいコロッケを売ってる肉屋があるだろ? たまに帰りに一緒に買い食いする店だよ』
「それがどうしたんだよ?」
『こないだたまたま見たんだけど、ツイッターで炎上してたぞ』
英雄の言う店は、老夫婦が営む店だ。ツイッターなんて使うどころか、その存在すら知らなさそうな二人の店が炎上するなんて、どういうことだろうかと、雅人は怪訝な表情を浮かべる。
「どういうことだよ? 相変わらず、お前の言いたいことが理解できないんだが」
『いや、あの店が営業を続けてるって誰かがツイートしててさ、それに、『そうだ、自粛しろよ』なんてリプがどんどん付いて大変なことになってたんだよ』
「何だよ、それ……。そもそも食べ物を扱ってる店は自粛の対象じゃないだろ?」
『あれじゃねえの?』
「だから、あれじゃ分からねえよ」
『何でもいいから叩きたいって奴がいるんだろ。暇だし、何となくイライラするし』
雅人は「はあ」とため息をつく。
そんな世知辛い現状に。そして、その気持ちに少し共感してしまう自分に。
「……まだそのツイートって残ってんのか?」
『昨日の夜は絶賛炎上中だったから、まだあるんじゃねえかな。見るか?』
「そうだな、興味はある」
『分かった。じゃあ、後でラインするよ』
「お兄ちゃんっ、年頃の女の子がいる家の中で、裸でうろつかないでっていつも言ってるでしょっ!」
雅人はトレーニングを終え、汗びっしょりになったTシャツを洗濯機に放り込むと、リビングへ向かった。
扉を開けた瞬間、
「妹に気を遣う必要なんてねえだろ?」
自分で年頃の女の子なんて言うもんかな、と思いながら三つ下の妹に一瞥をくれると、雅人はキッチンの冷蔵庫を開ける。
その背中に、茉奈は非難の声を投げ掛ける。
「親しき中にもなんちゃらだよっ」
「……礼儀あり、だろ。そこまで覚えてるなら、ちゃんと覚えろよ」
「もうっ、話を逸らさないでよっ!」
雅人はなおもぶつくさ言っている茉奈の相手はせずに、シェイカーにプロテインの粉を入れる。
少し定量よりは多く入ってしまったが、「大は小を兼ねるしな」と気にしない。
冷蔵庫から取り出した牛乳を入れてかき混ぜる。
リビングに戻ると、ソファーの端に腰を落とした。
逆側に座る茉奈には露骨に嫌そうな顔を向けられたが、その視線には気付かなかったふりをした。
茉奈はひとしきりジトっと雅人をにらむと、クッションを抱え直して、さっきまで見ていたテレビに目線を戻す。
平日の昼間にテレビが映すのは、ワイドショー。
「こんなの見て、面白いか?」
プロテインを半分ほど流し込んでから雅人は茉奈に尋ねる。
「面白くなんてないよ。けど、暇だしね」
「なら、学校の課題でもしてろよ?」
「もう今日の分は終わらせたからいいのっ」
ワイドショーの中のコメンテーターたちは、この日もコロナのことについて語り合っていた。
「ねぇ、お兄ちゃん、この人たちって何でこんなに偉そうなのかな?」
「さぁ? 人ごとだからじゃねえのか?」
「そっか。そうかもね」
この日の話題は休業要請のことだった。『自粛警察』なんて言葉がツイッターのトレンドにも上がってるなんてことを紹介していた。
そういえば、英雄がそんなことを言ってたなと、雅人が思い出すのを待っていたかのように、スマホがピコンと音を立てた。
英雄から届いたリンクをタップすると、ツイッターに飛ぶ。
その画面を見て、雅人は絶句する。
「……何、だよ、これ?」
「どうしたの?」
突然深刻そうな表情を浮かべた雅人に気付いた茉奈が近寄り、スマホの画面を覗きこむ。
画面には、二人が良く知る肉屋の画像が映っていた。
ただ、そのシャッターには赤いペンキで「ヒーロー参上。自粛しろ」と大きく書かれていた。
「何なのこれ?」
「……ひどいな」
茉奈の問い掛けに、雅人は短く応えることしかできない。
人はこれほど醜くなれるのか、と雅人は衝撃を受ける。
「何がヒーローだよ……」
「うん、さいてーだね。……けど、大丈夫かな?」
「……大丈夫って何が?」
「このお肉屋さんのおじいちゃんたちだよ。こんなことされて、すごくショックだと思うんだよね」
第三者である自分でもこれほど心を揺さぶられたのだ。当事者の思いを推し量ることは雅人にはできなかった。
「分からない」
「そう、だよね。……けど、私たちに何かできることってないかな?」
「難しいな。こんな風にツイッターで炎上してる時に、下手に何かすると余計に火に油を注ぐことになるしな」
「それに」と、雅人は心が痛むのを無視して続ける。
「俺たちも人の心配をしてる場合じゃないしな。茉奈も今度、受験なのに、授業がないんだしな」
「もうっ、また私の勉強の話に戻すの?」
「だって、しょうがないじゃねえかよ。みんな大変だけど、まずは自分のことをしっかりしなきゃいけないだろ?」
「それはっ、……そうだけど」
反論しようとした茉奈の声も次第に小さくなる。
「とにかく、今できることはないだろ。まぁ、いろいろ落ち着いたら、一緒にコロッケ買いに行くか?」
「うんっ」
茉奈が笑顔を浮かべたのを見て、雅人は残ったプロテインを飲み干した。
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