第6話(2/3) シュレディンガーのコロナ

 その日最後だった古典の授業が終わると、洋一よういちはベッドに体を横たえる。

 何で授業を見てみようと思ったのか、今でも分からない。

 どうしたのだろうと、考え始めたころ、枕元に置きっぱなしにしていたスマホが鳴った。

 ラインが届いていた。


『さっきはびっくりしたよ。元気か?』


 スタンプも何も付いていないシンプルなメッセージは村下真也むらしたよういちからのものだった。

 小学校から一緒で、昔はよく洋一の部屋に遊びに来ていた。

 プレステ3で、野球ゲームをしたり、マンガを読んだりしていたが、中学校に上がり真也が野球部に入ってからは、少し疎遠になっていた。

 けれど、洋一のことは気に掛けてくれていたようで、不登校になった当初は何度か家にも来てくれていた。

 最近は何の連絡もなかったが、さっきの授業で洋一の名前を見て、気になったのだろう。

 洋一はスマホを眺めながら、おせっかいな友人のことを思う。


 何と返すのがいいのだろうかと、迷っていると、電話の着信音が響く。

 もちろん真也からだった。

 取るべきか洋一は迷うが、久しぶりに家族以外の人間と会話をするのも悪くはないかと、通話ボタンをタップした。


『既読になってるんだから、すぐに返事しろよな』 


 からかうような口調に洋一は逆に救われた気がする。

 変に気を遣われるよりはましだと思う。


「悪い」

『で、元気か?』

「体はどこも悪くないよ」

『そっか。それにしても、さっきのは面白かったぞ。興味がなければ、どうでもいいなんて。相変わらず独特の世界を持ってるよな』

「あぁ、そうだな。俺は何も変わってないよ」


 そう言う洋一の言葉に、真也は押し黙る。


「どうした? なんか変なこと言ったか?」

『いや、その、変わらないっていいことだと思ってた』

「ん? どういうことだよ?」

『俺さ、結構野球頑張ってたと思うんだよ』


 突然違う話題を持ち出されたことに、洋一は戸惑う。

 真也はそんな洋一を気にせず、言葉を継ぐ。


『けどさ、センバツが中止になってさ。いや、俺が出れるわけじゃなかったんだけど。……その後に、春の県大会もできなくなって。夏もどうなるか分からないし』

「そっか」


 洋一は相づちしか打てない。


『何を目標にすればいいんだろうって思うんだよな。……あっ、悪い。別に元から何の目標もない洋一が羨ましいとかって言ってるわけじゃないんだよ』

「……そんな風に思ってたのかよ?」

『違うって、ほんとに。今のは、なんて言うかひとり言みたいなもんだよ』 


 慌てふためく真也に、洋一は自然と笑みをこぼす。


「分かってる。こっちこそ悪いな。気の利いたことも言ってやれなくて」

『まぁ、そこは気にするな。俺は洋一が元気でいてくれるなら、それでいいよ』

「えっ? 何それ、もしかして真也は俺のこと好きだったりするのか? それなら、ごめん。いや、最近はいろんな愛の形があるのは分かるけど、俺はちょっとそうは思えないというか、とにかくもう、ほんとにごめん」


 一息にまくしたてる洋一に、今度は真也が大声で笑う。


『違うって。……けど、そんな受け答えができるってことは元気なんだな。良かったよ』

「まぁ、おかげさまで、何とかやってるよ」

『オンライン授業は受けてみろよ。いきなり学校に来るのはハードルは高いと思うけど、ネットだったら、ちょっとはましなんじゃないか?』

「そうかもな。考えてみるよ」

『あぁ、また洋一が変なことを授業中に言ってくれることを楽しみにしているよ』



 通話を終え、熱を持ったスマホを手にしたまま洋一は天井を仰ぐ。

 外は、大変なことになってるんだなと、今さらながらに気付く。

 かと言って、それが自分にどう関係するのかは分からない。

 でも、興味を持たなすぎるのも良くないのではないという思いが頭をもたげてくる。

 せめて真也の言うように、オンライン授業ぐらいは受けてみようかと思う。

 そして、ちゃんと世界を見る準備をしようと思う。



 頭の中の整理を終えて、洋一は静かに体を起こす。

 部屋から出る。

 向かうのは、玄関。

 スリッパをつっかけると、ガチャリと鍵を開ける。

 瞳を閉じると、一つ小さく息を吸う。

 意を決して扉を開いた。

 西日が目に痛い。

 目を細めて瞳孔に入る光を調整すると、家のすぐ前の大通りを眺める。

 以前より少しだけ行き交う車は少なくなった気はするけれど、地が割れているわけではないし、モンスターがいるわけでもない。


「なんだ、何も変わってないじゃん」


 つぶやいて、久しぶりの外の空気を大きく吸った。 

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