第5話(3/3) 手の届く距離

 休校が解除されて学校が再開して1週間。

 少しずつ日常が戻ってきていることを遥花はるか絵里奈えりなは感じていた。

 この日は放課後に女子バレー部で汗を流した後、駅に併設された商業施設を訪れていた。

 手には最近、東京から進出してきたタピオカ屋のアイスミルクティー。

 椅子が間引きされたフードコートの片隅に並んで座って静かにすする。


「おいしいね」

「そうだね」


 語り合う言葉が途切れ途切れなのは、日常が戻りつつあるとは言っても、やっぱり失われてしまったものがあるから。

 取り戻すことのできないものがあると知ってしまったから。


「明日だったよね?」

「そうだね」


 2人が気に掛けているのは、県総体の代替大会。

 概要が明日、発表されることになっていた。


「ちゃんとやってくれるのかな?」


 遥花はどうしても疑念が拭えずにいた。

 あんまりにもあっさりと県総体の中止を決めた大人たちを信頼できない。

 だから、代替大会もどんなものになるのか、ちゃんとした大会になるのか、不安は尽きなかった。


「どうかな?」


 絵里奈もその思いは共有している。

 けれど、県総体の中止が決まった際に取り乱した遥花には、どんなことがあっても今度は泣いてほしくないと願う。


「きっと、大丈夫だよ」


 何の責任も持てないし、意味はないと分かっているけれど、せめて慰めになればと、そんなことを口にした。


「そうだね。絵里奈が言うなら間違いない」


 遥花は絵里奈の方に顔を向けて、にかっと笑う。

 そう、この笑顔を私は見ていたいのと、絵里奈もそっと笑みを返す。

 胸に残る不安をのみ込むように、紙製のストローで黒い粒を吸い込む。

 奥歯でタピオカを噛みしめると、立ち上がる。


「じゃあ、今日は帰ろっか?」

「うんっ」


 遥花も腰を上げ、元気よく首を振った。



 翌日の部活の途中、顧問が部員たちを集めた。

 県総体の中止を告げた時ほどではないが、やはりその表情は険しい。

 部員の視線を一身に集め、苦々しげに口を開いた。


「県総体の代替策が決まった」


 絵里奈は大会ではなく、策と言った顧問に引っかかりを覚える。

 だが、まだ声を上げるのは早いと、部員たちは続く言葉を待つ。


「実施方法は各学校に任せるということだった。協会は運営費の一部を補助するそうだ」


 顧問が口を閉じるやいなや、キャプテンが立ち上がり声を荒げる。


「それって大会じゃないですよねっ?」

「そうだ」

「おかしくないですか? 代替大会を開くって話だったんじゃないですかっ?」


 キャプテンは顧問に食ってかかっている。

 県総体の中止が決まった時は殊勝な態度を見せていたが、さすがに我慢ならないようだ。


「各校に任せるって、それってただの練習試合と変わらないんじゃないですか?」

「……そうならないように、他の運動部や他校と話すつもりだ。もうちょっとだけ待ってくれないか?」

「でもっ……」


 キャプテンはそう言って押し黙る。

 噛みしめる唇の痛みが絵里奈にも伝わってくる気がする。

 なぜなら、絵里奈は彼女が続けて何を言おうとしたのか、想像できるから。


 でも、大したことはできないんですよね。

 どうせ、私たちのことなんて真剣に考えてくれないんですよね。

 コロナの感染拡大防止だけ考えろってことなんですよね。


 絵里奈はやはり、キャプテンがその続きを口にしなかった理由も容易に思い浮かぶ。

 そんなことを言っても仕方がないからだ。

 これまで自分たちがどれほど汗を流してきたとしても、所詮高校生のスポーツだからだ。

 感染防止が大事ということを理解しているからだ。

 

 うつむく絵里奈の袖を遥花がクイと引いた。


「やっぱり、こうなっちゃうんだね」


 その瞳に映るのが諦めだと気付いた瞬間、絵里奈は立ち上がっていた。

「みんな、ちょっと聞いて」

 まだ言葉を交わしていた顧問とキャプテンに向いていた部員たちの視線が一斉に集まる。


「まだ諦めちゃいけないと思うの。ううん、みんなに強制することはできないけど、少なくとも私は諦めたくない。まだ最後の試合ができる可能性があるのなら、私はその可能性に賭けてみたい」


 静まり返った部員たちの顔を見回すようにして、絵里奈は言葉を継ぐ。


「私たちは強豪校と違って、春高を待たずに引退するのは決まってた。それが、インターハイと県総体がなくなって早まるのかもしれない。けど、ちゃんと最後の試合ができるのなら、それをちゃんとした形でやりたい。いい加減な気持ちではやりたくない」


 隣に座る親友の目を見て、頷く。


「気持ちを切らさずに最後まで頑張ろうよ。私は諦めたくないよ。きっとね、私たちが部活を通じて学んだのは、諦めたらダメってことなんだよ」


 こんなのはお為ごかしだと、絵里奈は自覚している。

 自分はただ、遥花に笑っていてほしいだけなのに、みんなに向かって大仰に演説をぶっている。

 でも、それでいい。

 今を誤魔化せるなら、十分だ。

 だから、もう一度大きく息を吸って言う。


「最後までやろうよ」


 パチパチと散発的に始まった拍手は次第に大きくなり、絵里奈を包む。

「そうだよね」「うん、どんな形であってもいいからやろうよ」

 部員たちが声を掛け合うのを見て、絵里奈の胸は罪悪感でちくりと痛む。

 けれど、これでいいはずだ。

 あとはキャプテンに任せようと、絵里奈は腰を下ろした。



 その日の帰り道。

 絵里奈と遥花はいつも通り川沿いの道を歩いていた。

 昼間は近付く夏を感じさせる陽射しがきつくなりつつあるけれど、さすがに部活帰りのこの時間帯はさらっとした風が心地よい。

 だから、2人は落ち着いて歩を重ねていた。


「ねえ、絵里奈、今日はどうしちゃったの?」


 先に口を開いたのは遥花だった。


「別にどうもしないけど」


 柄にもないことをしてしまった気恥ずかしさから、絵里奈は素っ気なく応える。

 もちろん、遥花はそんな親友の逃げを許さない。


「えーっ、絵里奈はいつもは絶対あんなんじゃないよ」

「……私だってたまには、弾けたくなることだってあるのよ」

「そうなの?」

「そうなの」

「へぇー、じゃあ今度カラオケ行こうよ?」

「っ……。それだけはやめて」


 本気で嫌そうに顔を背ける絵里奈の視界に無理やり遥花は入る。


「なんでそんなにカラオケ嫌がるのかなぁ?」

「嫌なものは嫌なの。それに、まだカラオケは休業要請の対象になってるでしょ?」

「そうかな?」

「そうよ。たぶんカラオケはあと何年かは休業することになってるの」

「いやいやいや、それはあり得ないからね」


 遥花は絵里奈のカラオケ嫌いはどうやっても治らないなぁと、ぼやいてから、数歩前に出る。

 クルリと絵里奈の方を振り向いて、破顔する。


「今日はありがとね」

「何のこと?」

「私がもうどうでもいいやって顔をしてたから、絵里奈が立ち上がってくれたんでしょ?」


 さっきはとぼけて尋ねてきたくせに、と絵里奈は思うけれど、親友のために慣れないことをしたなんて、やっぱり素直に認めたくはない。


「あれは……私が思ったことを言っただけよ」

「そっか。それでもいいや」


 遥花はそう言ってまた笑う。

 その笑顔を見て、絵里奈は自分がしたことが間違ってなかったと、胸がすく思いがする。

 自分たちの部活動がどんな形で終わるのかは、まだ分からない。

 だけど、後悔だけは残したくない。

 最後まで笑って終わりたい。

 あと何日残っているのかすらはっきりしないけど、ただ全力を尽くすだけ。

 そう思いを込めて右の拳を遥花に向けて突き出した。

 遥花は一瞬キョトンとしていたけれど、口元をキュッと結んで右手を伸ばす。


 ――コツン


 合わさった拳からはそんな音が聞こえた気がした。

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