第5話(1/3) 手の届く距離

 それは、一度深みにはまると抜けられない沼のようなものなのだろう。


「チャンスっ!」


 千島遥花ちしまはるかは、3年前のことを思い出していた。

 思わず大声を出してしまったことを。

 中学校のバレー部最後の地区大会。

 既に遥花のチームは敗退していた。

 けれど、この先これほど泣くことはないんじゃないかって思うほど、涙を流した遥花の気持ちの高ぶりは、そう簡単には鎮まらない。

 だから、観客席に座って知らない人たちの試合を眺めていた。

 緩いサーブでできたチャンスに、思わず叫んでしまった。

 頭によぎるのは、この3年間の思い出。

 遥花は中学校の3年間、一度もスタメンの座を掴むことはできなかった。

 それでも、自分が最後まで精いっぱい頑張れたことには満足していた。

 引退が現実のものになっても、後悔はない。

 ここで重ねた努力を次のステージで生かそう。

 そう決意した遥花にとって、高校でもバレー部に入るのは自然な流れだった。



 高校のバレー部は、県大会で数年に一度ベスト4に行くようなそこそこの強豪。

 やっぱり、遥花は2年生の終わりになってもスタメンには入れていなかった。


 でも、それでも良かった。


 試合に出ることが全てではないし、自分より上手な子たちをサポートすることに誇りも感じる。

 特に、親友とも呼べる関係を築いた大竹絵里奈おおたけえりなが活躍する姿を見ることは、遥花にとって喜びだった。

 飛びぬけた長身というわけではないけど、バックアタックが得意。

 アタックラインの一歩手前で飛び上がって、上体を思いっきり逸らす。

 空中でバシンと、ボールを叩きつける手前。

 文字通り弓のようにきれいなフォームを、遥花はいつもサイドラインから瞳を輝かせて眺めていた。


「今年こそは、インターハイに行こうよ」


 合言葉のように、声を掛け合いながら遥花たちは、練習に励む。

 高校生活に悔いだけは残さないようにしようと、遥花も自分にできることを懸命にこなしていた。



 全てが瓦解し始めたのは、休校が始まってからだった。

 学校がないということは、当然部活もできない。

 でも、すぐに学校が再開してみんなと一緒にボールを追えると遥花は信じていた。

 次に決まったのは、インターハイの中止。

 でも、どうせインターハイ出場は無理だったかもしれないし、まだ県総体はあるからって希望を持てていた。



 ゴールデンウイークが明けてしばらくして学校が再開された。

 ほらね、やっぱり大丈夫だったよ、と遥花は部活が再びできることを喜ぶ。

 放課後、久しぶりに訪れた体育館。

 入り口で大きく息を吸う。

 しばらく部活がなかったからなのか、前よりも汗臭さが薄れているような気がする。

 汗臭くないのが寂しいなんて、私は変態なのかな、と遥花は苦笑する。


「どうしたの、変な顔して?」


 耳慣れた声に振り向くと、遅れてやってきた絵里奈が隣に立っていた。

 肩下まで伸びる髪を赤いヘアゴムでポニーテールにまとめた絵里奈の目を見て、遥花は優しく語り掛ける。


「ここに帰ってこれて良かったなって思ってたんだよ」

「そうだね……。2ケ月ちょっとだけど、ほんとに長かったね」

「けど、私たちは戻ってこられたんだよ。何もしないまま、あのまま引退なんて絶対に嫌だったからね」

「うん。じゃあ、今日からまた頑張ろっか?」

「もちろん。ビシビシいくよー」

「いや、何で上から目線なの? 頑張るのは遥花も一緒にだよ?」

「だって、私はもう今からスタメンの座を奪い取ろうとかは思ってないし。絵里奈たちを支えるのが私の役目だよ」

「それでも、だよ。一緒に頑張るよ?」


 咎めるような目線を向けてくる絵里奈に、遥花は鼻をかく。


「分かったよぉ」


 遥花が膨らませた頬を、絵里奈は人差し指でえいっと突く。

 ぷうと、遥花が口から息を吐いたのを合図に、2人は目を合わせて笑う。


「じゃあ、張り切っていこう」

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