第4話(3/4) 溺れる者がつかむもの

「今年は桜がきれいに咲かなかったね」


 自宅から児童クラブへの道のりの途中、麻悠まゆがポツリと漏らす。


「そうだな」


 肩を並べて歩く悠真ゆうまはそっと返す。



 2人の言葉通り、この年は桜が咲くのが遅かった。

 4月半ばになり暖かくなっても、一斉に花びらが開くことはなかった。

 ぽつんぽつんと、まばらに街をピンクに染めるだけだった。

 例年のこの時期ならば心を高ぶらせてくれるはずの桜がそんな風にしか咲かないと、人通りの少ない通りは余計にうらびれて感じられる。


「季節感が全然ないよな」


 悠真は両手で抱えた段ボール箱の重さを確かめながら、付け加えた。


「そうだね。学校もないし、季節感どころか、曜日の感覚もないよ」

「だよな。いつまでこんな生活が続くんだろうな?」

「こないだ緊急事態宣言とかいうのが出されたし、まだまだなんじゃないの?」


 したり顔で応える麻悠の目を見て悠真は尋ねる。


「緊急事態宣言って何なのか分かってるのか?」

「えぇ、それぐらい分かってるよぉ」

「じゃあ、何なんだよ?」

「えっと、事態が緊急だから、みんな気を付けましょうってことでしょ?」


 深くため息をつく悠真を麻悠は指差す。


「あーっ、どうせ分かってないってバカにしてるでしょっ!」

「いや、だって分かってないだろ?」

「お姉ちゃんに向かってなんて口を叩くのかな」

「自分に都合のいい時だけ、その設定を持ち出すなよ」

「設定じゃないし。事実だし。……そんなに言うなら、悠真は緊急事態宣言が何なのか説明できるの?」


 勢い込む麻悠から悠真は目を逸らす。


「いや、実は俺もよく分かってない」

「ほら、自分だって分からないのに人にはひどいこと言うんだ?」

「だってさ、罰則も何もないんだぞ。お店は休業することになってるけど、それも要請どまりだし。休業したことに対する補償もなんか中途半端だしさ」

「まぁ、それはそうかもしれないけど」


 そう応える麻悠に、悠真は実際どれぐらい姉が事態を理解しているのか疑問に思わないでもなかったが、それ以上の追及はしなかった。

 なんせ自分でもよく理解できていないのだから、人にどうこう言える立場ではないのは分かっていた。



 ゆっくり歩いて2人は児童クラブにたどり着いた。

 2月まではボランティアとして頻繁に訪れていたが、久しぶりの訪問になる。

 園庭から窓を遠巻きに覗いて見ると、大勢の子どもたちでひしめき合っている。


「こりゃ3密の回避は難しそうだな」


 悠真のつぶやきに、麻悠もうんうんと頷いている。


「スタッフさんたち大変そうだねぇ」

「普段より子どもの数も多そうだし、放課後だけ預かってればいいってわけにもいかないもんな」


「そうだね」と応える麻悠の声は常よりも神妙だった。


「ほんとに何のための休校なんだろうね」

「さっぱりだな。少なくともこの児童クラブのためにはなっていないのだけは確かだな」

「うん。早く学校が始まればいいんだけどね」


 そんな風にひとしきり中の様子を窺ってから二人は入り口に回り、呼び鈴を鳴らす。

 事前に連絡していたこともあり、すぐに見知った顔の園長が出てきてくれた。

「久しぶりだね。変わりないかい?」

「はい。暇すぎて困るぐらいです」


 あまりに無邪気に応える麻悠に、悠真は苦笑して言葉を継ぐ。


「おかげさまで変わりありません。それより、児童クラブは大変なんじゃないですか?」

「そうだな。休校中は朝から子どもたちを預かってるから、スタッフの人繰りが大変だな」

「ですよね。何かお手伝いできればいいんですが……」


 悠真が肩を落とすのを見て、園長は表情をつくり直す。


「いや君たちが気にすることはないよ。それより、今日はそれを持ってきてくれたんだろ?」


 そう言って悠真が抱える段ボール箱を指差す。


「はいっ。少ないですけど、役立ててもらえたら嬉しいです」


 麻悠が段ボールの上蓋を開ける。

 中には麻悠と悠真が手作りした30枚ほどの布マスクが詰まっている。


「布マスクは感染防止に役立つか分からないって説もありますけど……」


 言いかけた悠真を麻悠が遮る。


「それは言わない約束だったでしょ? せっかくこれから使ってもらおうっていうのに」

「そうは言ってもだな、何の説明もなしに渡すわけにはいかないだろ? 何か物を贈る時には、贈る側も責任を負わないといけないんだよ」

「もうっ、またそうやってグダグダと小難しいことを言って」

「難しくもなんともないし」


 口論を始めようとした2人に園長は優しく声を掛ける。


「うん、布マスクの効果については諸説あることは知ってるよ。だから、安心してほしい。こちらで責任を持って使うから」

「ほんとに役に立ちますか?」


 なおも不安げな悠真だが、園長は大きく頷いてみせる。


「マスクは毎日持ってくるように子どもたちには言ってるんだけど、やっぱり子どもだからね。忘れることもあるんだ。そういう子たちのために使わせてもらうよ」

「どんな形でも使っていただければありがたいです」


 園長の言葉に、麻悠は喜色を浮かべる。


「じゃあ、あんまりここに長くいるのも良くないと思うので」


 悠真はそう言って、段ボール箱を園長に手渡した。


「ほんとにありがとう。また落ち着いたらクラブを手伝いに来てくれるかな?」


 これには麻悠と悠真に異論はなく、そろって「もちろんです」と応えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る