第1話(3/4) カタ・カタ・カタカナ 音だけ響く

「遅い。自分から誘っておいて遅刻するなんてどういうことなの?」


 香澄かすみは、路面電車から降りてきたさやかを見つけると、腕を組んだまま睨みつけた。


「ごめんごめん。家から出るのが久しぶりだったから、いろいろ準備に時間がかかっちゃって」


 さやかは頭をかきながら香澄に歩み寄る。


「そんな大して準備なんてないでしょ」

「これ、忘れちゃって」


 さやかは口元を覆うマスクを軽く引っ張ってみせる。


「暑いから着けたくないんだけど、お母さんに出掛ける時は絶対に着けなさいって言われてるんだよね」

「どれほど意味があるのか分からないけどね」

「そうだよー。そもそも家から出ないんだから、コロナになんかかかってるはずないのに」



 すっかり初夏という雰囲気の4月下旬の平日。

 2人は街の中心部から少し南にある電停で待ち合わせをしていた。

 休校による退屈を持て余し、たまになら外出してもいいんじゃないと、コーヒーを飲みに行く約束をしていた。

 電停からお目当てのコーヒーショップが入る商業施設までは歩いて10分ぐらい。

 心なしか普段より少ない車の列を眺めながら2人は歩く。



「緊急事態宣言って何なんだろうね?」


 さやかは道端に転がる小石をえいっと蹴ってポツリと漏らす。


「さあ? あんまり関係ないから考えてないけど」


 香澄も興味なさそうに応える。


「そうだね。でも、私も全然分からないけど面倒くさいよね」

「面倒くさいって、もうちょっと別な言い方があるんじゃない?」

「だって、色んなお店が閉まったりしてさ、困る」

「それはそうだけど、偉い人たちが一生懸命考えてこうなってるんじゃないの」

「そういえばさ、この間までは何かカタカナばっかりだったよね?」

「ああ、あのクラスターとか、オーバーシュート、とか?」

「そう。でも今度はなんで漢字なんだろうね。お父さんが読んでた新聞には緊急事態宣言発令とかって書いてたよ。漢字ばっかり並んでなんか中国語みたい」

「おじさんたちの考えることなんて分からないわよ」


 投げやりに言う香澄に、さやかは「うーん」と唸ってから何かを思いつく。


「分かった。きっと漢字だと偉そうだからいいんだよ」

「偉そう?」

「うん。ほら、エマージェンシーコールをお知らせしますって言われても、どこのSFの話だよって感じがしない?」

「それは、そうかも。でも、さやかにしては珍しくまともな考えね?」

「私にしては、ってどういうこと? 普段、香澄は私をどんな人間だと思ってるのかなぁ?」

「もちろん、いい友達だと思っているわよ」

「それはありがとう。私も香澄のことはいい友達だって思ってるよ。……って、違くって、そうじゃなくって」

「もういいでしょ? いい友達の言うことは黙って聞いておくものよ。それに、ほら信号変わったから渡るよ」


 香澄は信号を指差すと、そそくさと横断歩道を渡り始める。

 さやかも「もうっ」と文句を言いながら、その後に続いた。

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