プロローグ(2/3) 泣かない男の10年
ちょうど隆司のチームがコーナーキックを獲得したところだった。
ボールは遠いサイドへ弧を描いて飛ぶ。
両チームの選手が頭で競り合い、ボールはペナルティーエリアのわずかに外に落ちた。
そこにいたのは、
「ふう」と小さく息をつくと、左足を深く踏み込む。
芝生がえぐれそうになるほど、深く。
そして、右足を振り抜く。
芯を強く叩かれたボールは低く、這うように進む。
必死に足を伸ばすディフェンダーのつま先をかすめる。
それが、幸いした。
虚を突かれたゴールキーパーは動けない。
ボールは静かにゴールに吸い込まれる。
ポスっと、ネットを揺らす音が響く。
一瞬の静寂。
続いて、スタンドから割れんばかりの歓声が響いた。
「いい展開だな」
シャッターから指を離さず、カメラマンが
「試合は面白くなりましたけど、このままだと
「楽しみだろ?」
彩美は笑いながら言うカメラマンを睨む。
「もう、人ごとだと思ってますよねー」
「そりゃ、そうだろ。さて、どんなインタビューを見せてくれるのかな?」
「ああ、分かりましたよー。頑張りますよー。泣かせてみせますから、楽しみにしててください」
試合は結局、隆司のゴールが決勝点となり1対0で終わった。
彩美は隆司の資料をバインダーの一番上に挟み直して髪を整える。
隆司はスタンドのサポーターに挨拶に行く選手たちから外れ、インタビュースペースに向かってくる。
顔の汗を拭ったタオルをチームの広報に渡すと、カメラの前に立った。
「本日のヒーローインタビューは見事、決勝点を決めた安樂隆司さんです」
スタジアムには、オーロラビジョンがない。
だから、インタビューを見たい観客は、手元のスマートフォンで動画配信サイトに接続し、ヒーローの言葉を待つ。
「素晴らしいゴールでした。あの瞬間、どんな気持ちだったんですか?」
「いや、別に。とにかくふかさないようにしようと。それだけです」
テンション高めの彩美の声と対照的に、隆司はぼそぼそと応える。ニコリともしない。
彩美は「笑いもしないし。泣かせるなんてやっぱり絶対無理でしょっ!」と内心憤る。
けれど、こんな盛り上がらないインタビューこそ腕の見せ所だと、自分を納得させて質問を続ける。
「シーズンも最終盤に差し掛かってきましたが、今後の意気込みを聞かせてください」
「……一生懸命やるだけです」
相変わらず素っ気ない対応に、ため息をつきたくなる衝動を彩美は必死で抑えた。
ただ、目線は少し落ちる。
その拍子にバインダーに挟んだ隆司の資料が目に入った。
そこには、隆司がこの試合の行われた都市の出身だということが書かれていた。
彩美は何で今まで気付かなかったのだろうと思う一方、この質問になら丁寧に応えてくれるんじゃないかとマイクを握る手に力を込める。
「安樂選手は、このスタジアムのある街の出身ということですが、今日は特別な思いがあったんじゃないですか?」
いつもはプロが試合をすることのないスタジアムだ。きっと、プロ入り後に試合をするのは初めてのはず。なら、いい答えが引き出せるのではないかと期待していた。
だが、
「……」
隆司は何も言わない。
もしかして、間違ったかなと、彩美は再び資料に目を落とす。確認するが、やはり間違っていない。
だったらどうして何も言ってくれないの、と視線を上げる。
「っ……」
隆司の頬には涙が伝っていた。
唇を必死でかみしめていた。
――泣かない男が、泣いていた。
「あのっ、すいません。変なこと聞いちゃいましたか?」
隆司を泣かせようと意気込んでいたものの、実際に目の前で泣かれてしまうと戸惑う。
しかも、それほど変わった質問ではなかったはずなのに。
「……いえ、ちょっと思い出しただけです」
隆司は声を震わせ、顔を俯かせて応える。
簡単なことだと、彩美は思う。「何を思い出したんですか?」って聞けばいいだけだ。
でも、だけど、気軽に尋ねられない雰囲気があった。
だから、インタビューにできてはいけないはずの間ができた。「まずいっ、放送事故になっちゃう」と彩美は焦る。
その時だった。
スタンドから声が響く。
「隆司ーっ、いつも俺たちのために頑張ってくれてありがとうなーっ」
声につられて、隆司は顔を上げる。
その視線に映るのは、隆司の背番号の入ったユニフォームを着た一人の青年。
「今日もかっこよかったぞ。お前は俺たちのヒーローだ。これからも頼むぞっ!」
拳を突き上げる青年の顔を見て、隆司の涙は止まらなくなる。
腕で拭っても、拭っても、あふれる。
「うっ、うっ、うわぁぁぁぁぁぁ」
しまいには、声を出して号泣してしまった。
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