コロナなんて関係ないと信じたかった僕らの物語
秋野トウゴ
プロローグ(1/3) 泣かない男の10年
その夜、絶対に泣かない男が泣いた。
台風が異常に多く発生した年だった。
日本プロサッカーリーグは相次ぐ日程変更を余儀なくされた。
結果、ホームスタジアムが利用できない日にも試合を組まざるを得ないという状況が生まれる。
だから、この日は日本列島の南にある小さな街の小さなスタジアムで試合が行われた。
メインスタンドだけしかないそのスタジアムは当然、リーグ開催規定を満たさない。
そんな所で試合をしないといけないほど、日程は逼迫していた。
けれど、普段プロの試合を直接見ることができない地元のファンたちはスタンドで歓声を上げ続けていた。
大盛り上がりのスタンドを仰ぎ見て、
南国とはいえ、師走が間近に迫る夜は寒い。
彩美が吐き出した息は、白く漂う。
「どうしたんだよ。ため息なんてついて」
声を掛けるのは、この日の試合を戦うチームのオフィシャルカメラマン。
30代半ばといった風体だが、試合の真っ最中だというのに落ち着き払っている。
「だって、こんな試合のリポートをしたって、私の評価は大して上がらないじゃないですかー」
「まぁ、そう言いたくなる気持ちも分からなくもないけどな」
「そうですよー。優勝も降格も関係ないチーム同士の試合なんですよ。両チームのサポーターぐらいしか見ませんよー」
「業界に入ったのは最近なんだっけ?」
「はい、今年になってからで、担当するのはこの試合が2試合目です」
「2試合目でうちのチームを取材できるなんてついてるじゃねぇか。現役の日本代表だっているんだぞ。ほら、見てみろ? また相手選手を潰したぞ」
カシャカシャカシャと、デジタル一眼レフカメラのシャッター音が響く。
そのレンズが捉えるのは、
プロになって10年の28歳。
カメラマンの言うように現役日本代表のボランチだ。
上背はそれほどないが、がっちりした体つきで、顎の周りを覆うひげが威圧感を漂わせる。
愛称は『闘犬』。
徹底的にマークする相手に食らいつき、味方サポーターからは絶大な信頼を寄せられている。
ただ――インタビュアー泣かせで有名な選手だ。
「あの人のインタビューって面白くないんですよねー。聞いたことにはちゃんと応えてくれるみたいなんですけど、ニコリともしないし」
「まぁ、そうだな。でも、普段はいい奴なんだぞ」
「そんな風には見えないですけどねー」
「この間も実家から送ってきたっていう野菜を分けてくれたぞ」
「へえー。じゃあ、ちょっと頑張ってみようかな。……あっ、そう言えば、先輩にあの人を泣かせられたら、何でも好きなものを買ってやるって言われてたんだった」
無邪気に声を上げる彩美に、カメラマンはファインダーから目を離す。
「えっ、どうしたんですか? そんなびっくりした顔して」
「そりゃ、びっくりするよ。……あいつが何て呼ばれてるか知らないのか?」
「闘犬じゃないんですか?」
「あぁ、それもあるな。でも、別の呼ばれ方もしてる」
「ん?」
彩美はキョトンと首を傾げる。
資料には一通り目を通してきたつもりだが、思い当たることがない。
「結構、有名だと思うんだけどな。あいつは――絶対に泣かない男って呼ばれてる」
「えー、それって泣かせるのなんて絶対に無理じゃないですかー」
「そうだな。俺はあいつが高校卒業後にうちのチームに入団してからずっと見てるけど、一度も泣いたところなんて見たことないぞ」
カメラマンは苦笑してから、再びカメラを構える。
「そうだ。もし、あいつを泣かせられたら俺も何かおごってやるよ」
「もー、それって絶対できないから言ってるだけですよねー?」
「さぁ、どうだかな。でも、俺も一度はあいつが泣いてるのを見てみたいな」
「どうしてですか?」
「……たまにさ、ほんとにたまにだけど、あいつはものすごく辛そうな顔を見せるんだよ。何かを我慢しているような顔って言うのかな。だから、泣けば少しは気が楽になるんじゃないかなって思うんだよ」
一瞬だけ、ピッチ上の隆司に視線をやって、彩美は亜麻色のミディアムボブを手櫛で梳く。
「ふーん。でも、そもそもあの人をインタビューする可能性って低いんですよねー」
「そうだな。どちらかと言うと、地味なポジションだし。たまたまゴールでもしなきゃ、インタビューすることなんてないよな」
「そうですね」と応えた彩美は、手元の時計に目を落とす。
試合は既に後半40分を回っている。
スコアは動いていない。
このまま試合が終われば、堅守でチームに貢献したゴールキーパーか、キャプテンが試合直後のヒーローインタビューの対象になるはずだ。
再び彩美はピッチに目を向ける。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます