俺(6)

 高校の時、浮気についての雑談をしていた教師が、「目の前にあるケーキを『美味そうだな』と思わないでいることは難しい。問題は、思ったままでいるか、実際に食べてしまうかだ」と言っていた。高校生にはピンとこなかったが、今はその言葉が大きな救いになっている。


 相変わらず、花屋の彼女は笑顔で声をかけてくる。まぶしく思ってしまう気持ちを抑えることは難しいが、食べてしまおうとは思わない。その思いを免罪符にして、罪悪感の薄れた俺は、また彼女と目を合わせるようになっていた。


 細心の注意を払って積み荷を下ろしながらだから、荷物に集中していることが多かったが、合間にまっすぐ彼女の目を見て笑った。


 笑ってる? この俺が? 五年前の彼女と別れた時は、もう誰かと笑い合うことはないだろうと思ったのに。俺は今、花屋の彼女の目を見て笑っている。


 俺は確かに、彼女を好ましく思っているんだろう。何処かひとごとみたいにそう思う。もちろん彼女は俺よりも随分若く見えるから、相手にして貰えないかもしれないけれど。


 五年間、そして今も、前の彼女を想い続けてきた。その気持ちは変わらない。複雑な気持ちで、サイドテーブルに置かれた彼女のスナップ写真に、心の中で問いかけた。


 片想いで良いんだ。俺には、恋をする資格があるだろうか?

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