私の日常日記

真和里

私の日常日記 本編

 「類は友を呼ぶ」ということわざがある。意味は似たものは自然に集まって仲間を作るということ。

 私はこのことわざが正しいと感じたことが何回もある。街を歩いていても自分たちの好きなこと話題にして笑いあっている人達はたくさんいるし、世間にはファンクラブというものがある。あれは典型的な同じ趣味をもつ人達の集まりだ。

 普通に生活していれば似た人達は集まり友達や仲間といった集団になっていく。そう考えると、このことわざは誰にでも当てはまる言葉である気もする。

 しかし、私には当てはまっていない。理由としては簡単で、私の周りにいる人が私と同じ類の者だとは思えないからだ。

 いつか彼女から言われた「友達になりませんか?」という言葉。素敵だと思っていたこの言葉が私を縛る呪文になったのも、私には当てはまらない言葉のせいだと思ったこともあるくらいに私には合っていない。


 ここで軽く自己紹介をしようと思う。

 私の名前は中野千里なかのちさと。名前からもわかる通り、ごくごく普通の特に珍しさもない、探せばどこにでもいそうな一般人。

 普段は近くの公立高校に通う女子高生。一人っ子で両親共働きと家族構成も特に珍しさがなく、親の収入だって周りと変わらず、貧しくはないが豪華な生活が送れているわけでもない。ごくごく一般的な生活・人生を時間に抗うことすらせずに送っている。

 今日も学校に行き、「眠いなー」なんて思いながら授業を半分聞き流して受ける。 授業を四つ受け終えると教室の上の方に設置された四角いスピーカーから音が流れる。多分ほとんどの人の頭に浮かぶであろうあのメロディーだ。

 昼休みの開始のチャイムと同時に私は教室中央付近の自分の座席から二列隣、窓際の藤咲ふじさきリネカというクラスメイトの座席まで移動して、昼食をとる。これは日課みたいに当たり前になりつつある行動だ。

 いつも通りリネカの座席の方に向かうと私は目の前の景色に目を奪われた。一ヶ月に一回程度、本当に多い時には一週間に二回の頻度で同じ現象が私に起こる。そしてその時私の視界に必ず写っているものはなのだ。

 今日は開け放たれた教室の窓から流れ込んでくる風を受けて彼女の髪はまるで舞っているかのように煽られ、整った顔に当たる陽光がドラマや舞台のスポットライトのように彼女を照らす。

 この藤咲リネカというクラスメイトは私とは全てにおいて真逆の人間である。白い肌や整った顔、まるで白髪のような長くきれいな色素の薄い髪などの見た目、性格、大体のことをこなせてしまうほどの学力と運動能力、コミュニケーション能力などなど。また私において普通でない部分があるのならば、間違いなく彼女の存在だと思う。

 私が座席近くに移動してくると、それに気づいたリネカは待っていたように問いかけてきた。

 「千里さん、聞きたいことがあるのですがいいですか?」

 「またか」と思いながら心の中で溜息を一つつき、私はいつもと同じく近くの椅子を借りて座った。



五月十六日(曇り)


 「もし、真実を話しても信じてもらえなかったら…もしくは周りの人が真実を話しているのに信じてもらえていなかったら、あなたはどうしますか」

 件の彼女からいつも通り唐突に話題を振られた。

 「あんたにそんなことが起こったの?」

 いつものくだらない冗談だと思い、呆れながら聞く。

 パン。登校途中に買った菓子パンの袋を開ける。

 「まさか。例えばの話ですよ」

 私はパンをかじりながら心の中で「やっぱり」と呟く。私の予感は的中し最初から本気で相談に乗るような姿勢で話を聞かなくてよかったと心底思った。そもそもリネカの突拍子もない話達に本気で相手をしてはいけないのだ。

 「でも悲しいですよね。信じてもらえないなんて」

 リネカは机に肘をつき手を組んで言う。まるで自分で出した例えに同情するかの様な話し方だ。どこか遠くを眺めているような目と顔つきが似合い、絵になるのだから憎みきれない。

 「でも、あんたはそんなことないんでしょ?」

 「なぜそう思うのですか」

 少し嫌味っぽく言ってみたが、リネカには効かなかったようで、にやりと笑みをうかべながら理由を聞いてくる。

 「だってあんたに悲しいなんて感情ないでしょ?」

 「あら、私だって人並みの感情くらいありますよ」

 ―絶対にそんなことはない。

 この半年間、私は誰よりも彼女の近くにいた自信がある。でもリネカからそんな感情など感じ取った覚えがない。今現在も感情がないなんて言われているのに何事もなかったのようにスルーするぐらいだ。周りの意見など気にしない人が周りに一つ信じてもらえなかっただけで悲しいなんて感情は本当に出てくるのだろうか。

 「それで千里さんはどう思いますか?」

 「うーん…」

 一応聞かれたので腕を組んで考える仕草をする。

 「でも信じてもらえないのって内容にもよるけど、その人との信頼とか親密度とかにもよるんじゃない?普段嘘をついている人がいきなり本当のことを言っても誰も聞かないでしょ」

 考えた割には適当な答えになった、というよりは思いつかなかったの方が正しい。

 「確かにその人との信頼度は重要ですね。しかし――」

 リネカは顔を上げ私の目を正面から見つめる。

 「内容にもよるというのはどういうことでしょうか。信用・親密関係なく信じてもらえない内容というのは」

 キレイな二つの瞳に見つめられ相変わらず彼女は綺麗だと再認識するが逃げられないような恐怖に似たものも感じるから、リネカは怖い。

 「た、例えば宇宙人に遭遇した―とか、私有名人の誰々と友達なんだーとかじゃない?最初宇宙人の方はありえないって言えるけど、どっちも話だけ聞いたんじゃ本当かどうかは判別できないよね」

 「信じがたい話ではありますが、完全に否定はできませんね」

 リネカはうーんと私の意見を熟考して言ったが、すぐにフフッと微笑みながらこの話題に終止符を打った。

 私はちょうど食べ終わった菓子パンの入っていた袋をすぐに捨てられるように小さく丸めて結んだところだった。

 「あんた授業中にこんなこと考えてたの?」

 会話がひと段落したので聞いてみた。

 「はい。でもちゃんと授業も参加してましたよ。見てください、このノートを」

 そう言ってリネカから差し出されたノートはとてもきれいにまとめられて見やすいものだった。

 「…やっぱり勉強できる人はいいな」

 ポロっと出た小さな本音は昼休み終了五分前のチャイムと重なり消される。急いでノートと椅子をそれぞれの持ち主に返し、教室後方のごみ箱に小さくされた菓子パンの袋を投げ入れて自分の座席に戻った。

 午後の授業中、今日のリネカはおとなしい方でよかったと心の中で胸を撫で下ろした。願うなら明日からもこんな調子でいてくれないかと、普段は信じることもしない神に願った。



九月十四日(晴れ)


 今日のリネカはいつもと違った。朝から机に向かって考え事をしているようで眉間にしわを寄せたり溜息をついたりしている。嫌な予感しかしないがお昼の菓子パンを持って近づき、何かあったのって問いかけてみた。

 「あ、千里さんでしたか」

 声をかけないと私に気づかないことから相当何かに集中していたことがわかる。

 「千里さん、あなたに質問なのですが…」

 リネカはとても言いづらそうにしていたが意を決したように言葉をつなげる。

 「き、気になる人とかいますか」

 目の前の整った白い顔が一気に赤くなり、その勢いはこちらにまで伝染しそうだった。

 私はリネカの耳元に自分の口を近づけ、補助するように左手を耳と口の間に置いた。少し聞きづらかったけど、ハッキリさせたくて聞いてみた。小声で。

 「ちなみに誰なの?」

 「隣のクラスの渡辺君です」

 リネカはすぐに答えた後さらに頬を赤らめ始めた。

 私は反対にまた衝撃を受けた。隣のクラスの渡辺というのは見た目は良くて女子にカッコいいなんて言われて人気だけど愛想がなくてとても感じが悪いって噂されてる渡辺わたなべ貴秋たかあきだ。あと、何も知らない女子が告白して毎回泣いて帰ってくるのは当たり前で女子に人気だから他の男子も嫉妬して結構一人でいることの方が多いって言われてた気がする。

 マジか。なんて思っているとリネカは頬を赤らめたままいきなりこっちを見た。かと思うと私にさらなる衝撃を与えた。

 「では、これから彼に会ってきますね」

 「……」

 私は最初彼女の言ったことが理解できなかった。『会ってきます』…? 誰に…?

 この流れなら該当者は一人しかいないのに、私の頭は働かず全然その一人を絞り出せなかった。

 「彼って誰?」

 「渡辺君に決まっているじゃないですか」

 「今からってなんで今なの、早すぎない?」

 頭の整理が追い付かず、まだ状況がわかっていない私にリネカは笑いながら説明した。

 「実は昨日のうちに手紙を出しておいたのですよ」

 リネカは二本の人指し指で長方形を空に描く。きっと手紙を表しているのだろう。

 「これから校舎裏で会う約束をしたのです。そろそろ約束の時間なので行きますね」

 そう言って席を立ち、彼女は私の横を通って教室を後にしていった。なぜかいつもより足取りが軽く感じた。

 私はというとその場に静止、教室の真ん中に突っ立っていた。リネカを止めようと伸ばした手は彼女に触れることすらなく、不自然に空中においてあった。

 まだ状況の理解に苦しんでいた。が、すぐに我に返って彼女の後を追った。

 リネカの恋の行方がとても気になったしまった。普通告白現場に関係ない人が現れるのはおかしいから気づかれてしまえば言い逃れはできない。そのことを後で弱みにされたくなかったので、気づかれないように距離を取りつつ不自然な音は立てないように隠れながら後を追った。

 場所は変わって校舎裏。リネカが一人ぽつんと立っているのを私は校舎の影から見ていた。

 季節が秋への変わり目で、最近晴れの日が続いていたから隠れることを環境によって邪魔されることはなかった。もし制服のどこかが濡れていたら不自然すぎるし言い訳しづらい。

 視界も邪魔するものがなかったので、充分その場周辺も見ることができた。

 リネカはまだ頬を赤らめ気味で緊張しているようだった。本当に少女漫画のヒロインさながら、恋する乙女のようだ。

 リネカと私が校舎裏で待ち始めてから数分後、足音が聞こえてきた。現れたのは予想通りリネカの手紙で呼び出された渡辺だった。

 私は渡辺を噂だけでしか知らず、見たことがなかったので少し興味があった。確かに整った顔ではあったが第一印象は噂通りに怖い、とあまりよくはなかった。

 しかしリネカは彼が現れたとわかると嬉しそうにした。

 そんな二人は会うとすぐに話始めた。私は少しだけ二人と離れていたので聞き取りづらかったが、ギリギリまで近づいて耳を傾けて集中した。聞こえてきた会話はこんなものだった。

 「渡辺君今日はわざわざ来ていただきありがとうございます。いきなりこんなところに呼び出してすいません。しかしどうしても直接会って伝えたいことがあったので…」

 「……俺もちょうど藤咲さんに伝えたいことがあるんだ」

 渡辺は少しの間黙っていたが徐々にリネカ同様、顔を赤くして右手で頭を掻き始めた。

 私は耳と目を疑った。

 まさかの展開だった。私はフラれたリネカをどう慰めようかなんて考えていたのに、私の予想とは真逆にいい感じの雰囲気だ。これじゃ本当に少女漫画のワンシーンだ。

 そんな中リネカから告白する。

 「実は私、前々から渡辺君と友達になりたいと思っていました。お願いします」

 リネカに応えるように渡辺も告白する。

 「俺も藤咲さんと友達になりたいと思っていたんだ」

 二人は数秒間目を合わせ、二人だけで盛り上がっていた。

 「それでは私達は友達ですね」

 「よ、よろしく」

 「はい。よろしくお願いします」

 二人で両手を合わせてハイタッチなんかをしている。私は何を見せられているのだろう。目の前の男女二人は新しい友達を作ることに成功し、単純に喜んでいるようだ。

 私も普段なら『新しい友達ができてよかったねー』て言って終わっていた。しかし、今の私は到底そんな気分になれるはずもなかった。

 私は隠れていることも忘れて校舎の影から飛び出し、リネカに近寄る。リネカは私がいることを最初から知っていたようで驚きもしなかったし、やっぱりと目で語っていた。それに反して渡辺の方は私がいることに気が付いていなかったようで少し驚いていた。

 リネカはクスクス笑っていたがそんなことはお構いなしに私は彼女に問い詰める。

 「あんた、渡辺が好きな人だって言ってたじゃん。友達ってどういうことなの?怖くなって妥協したの?私の知ってるあんたは絶対そんなことしないのに」

 つい口調が荒っぽくなってしまった。当の本人はまだクスクスと笑っている。まるで可笑しくてたまらないと言わんばかりに。そして余裕そうな口調で回答が返ってきた。

 「私がいつ好きな人がいると言いました?」

 「えっ?だってさっき教室で言ってたじゃん」

 私はリネカの言葉に困惑した。リネカはクスクスという笑いはやめたが目は笑ったままだった。

 「確かに私は気になる人がいるとは言いました。これまでの渡辺君を見ていて彼とは仲良くできそうだと思ったからです。私は別に渡辺君を恋愛対象として好きなわけではありません。気になる人と好きな人は別物でしょう?」

 私は敗北感が湧いてきた。リネカは好きな人とは一度も言っていないのだ。私は勝手に気になる人=好きな人と思い込んで決めつけていたのだ。屁理屈だと言われるかもしれない。でも、もし本当にリネカに好きな人ができたら、彼女はその人のことを『気になる人』などと遠回しには言わないだろう。そんなことをわかっておきながら決めつけてしまった。私の失態だ。

 しかしこれだけは言いたい。それっぽい雰囲気を出していたリネカにも原因はあると。彼女にそう告げたところちゃんと答えが返ってきた。

 「渡辺君は部活にも無所属で授業が終わるとすぐに帰ってしまうので時間帯としては昼休みがベストだと思ったのでそうしました」

 「なんで校舎裏なんかで…」

 「場所は学校で人目につかない場所が他になかったからです。ほら、渡辺君はあまり人と一緒にいるところを見ないので、いきなり女子といたら変な噂がたって迷惑になるのではないかと思ったので」

 あれは?これは?あとは…。

 「これで満足していただけましたか、千里さん」

 私に言い返せるはずがない。的確で行動の全てに当てはまっていた理由だと思った。

 ちなみに、頬が赤かったのは単に緊張していたからだという。嘘だと思うが。拒絶されたら嫌だと思い、変に力が入ってしまったらしい。

 そんな感じで疲れた一日が終わった。



 十一月三日(晴れのうち雨)


 「千里さん、友達を解消しましょう。そしてオトモダチになりましょう」

 「は?」

 思わずそんな声が出た。無理もない。私はリネカの発言で混乱状態に陥っていたのだから。

 「何が違うかわからないんだけど」

 リネカはフフフって笑っているけど、私何か変なこと言った?声には出さなかったけど心の中で反論してみる。

 「いいえ、フフ、そうですね」

 真剣な私の顔を見て笑っているのは失礼と感じたのか笑い声は収まったがやはりまだ目が笑っている。私にはリネカが笑っている意味が分からない。今までも彼女のことで分かったことなんてほとんどないのだけれど。

 そもそも一年生のあの時、友達になろうと言ってきたのはリネカの方なのだ。

 そんなことを思っているとリネカは説明してくれた。

 『オトモダチ』とは友達で当たり前のことを互いに求めなくていいらしい。簡単に言うと相手のことを気遣った言葉、行動はしなくてもいいということ。相手より自分を優先しても受け入れ合うということらしい。

 男性よりも女性の方がわかってくれるだろうか。小学生または幼稚園生の時に同じクラスになった子に「おともだちになろう」と言ったこと言われたことがあるかもしれない。私も例外じゃない。小学一年生の時に言われたことがある。

 少し失礼かもしれないが、事実小さい子に相手のことまで考えて行動できる人はいないといっても過言ではない。無意識に自分を優先し、行動する。結果親などの大人から「相手の子のことも考えて」なんて叱られたりするものだと思う。だから先生たちは時間を設けてまでそういう類いの話を聞かせる。

 今私の前に座っている、やっと笑いが収まった彼女が求めているのはそんな小さい子達のような関係。でもこれではリネカ側にはメリットがないように見える。しかし提示してきたのにはなんか理由があるはず。なのに私にはそれが何かまで見極めるスキルがない。

 「オトモダチがどういうものかは大体わかった。でもあんたがそれをしたい理由がわからない。私がこれを受け入れたらあんたが不利になるだけじゃないの?」

 リネカは私が何を言いたいのかわからなかったようでキョトンとしていた。

 「千里さんが何をもって有利・不利と考えているのかわかりませんが、私はただあなたと対等な関係になりたいと思っただけですよ」

 これを聞いてもまだ納得できない。

 結局私は自分のメリットを基準として考え始めた。

 リネカの行動・言動には絶対何かしら理由がある。今までもずっとそうだったから。さっき彼女が言った通り、ただ対等な関係でいたいが理由かもしれない。でも私はそれだけじゃないと思った。根拠はない、ただの勘。

 この話、受け入れてもよさそうだし、受け入れたところで具体的に何が変わるんだと言ってしまうだろう。しかし私は悩んでいた。今までの関係が好きだったとか、固執していたとかではない。ただ単純に自分とリネカの利益の大きさを考え比べようとしていた。

 リネカは言ったことは必ずやる有言実行タイプだ。それができるほどの勇気と行動力をもっている。

 ここで衝撃的な事実を一つ提示する。私はリネカに反論することができない。してはいけない立場なのだ。リネカがこの案を提示してきた時から私には受け入れるという選択肢しかない。

 ではなぜこんなにも時間をかけて悩んでいるかというと、抜け道を探していた。もしかしたら今の関係を逆転できるものがあるかもしれないと。考えたところでなかったけど。

 結果私は彼女の提案を受け入れることになった。

 なぜこんなにも私は彼女と毎日一緒に過ごし、意味も分からない話に毎回付き合っているかというと、私の今の平穏は彼女がいなくては得られなかったものだからだ。私はリネカを手放してはいけない。その為なら私は何だってするだろう――。



三月二十六日(雨のち曇り)


 数日前から春休みに入った。今日は特にやることもなく、これといった出来事もなかったので、前に言った『彼女がいなくては得られない平穏』の話でもしようかと思う。

 これは私が一年生のころに遡る。ざっと一年と半年前のことだ。

 簡単にまとめると私はクラスの子達にイジメられていた。理由はよくあるもの。「あいつムカつくよね」とか「あいつのせいで」とかよく聞いた。

 私は頭もよくなくて成績はいつも平均以下。運動もそこまでできる方じゃなくて体育とかでは結構足を引っ張るメンバーだったことは自覚していた。クラスでも特に重要な役割を担っていたわけではない。いわゆる陰キャってやつだった。

 でも、いつも隅に一人でいるという普通なら目のつけられない学校生活を送っていた。自分でも賢い生き方だと思っていた。それは勉強や運動ができなくても、光を浴びる存在じゃなくても、人並みの生活ができると信じていたからだ。

 ―はっず。

 なに一匹狼気取ってんだよ、って今なら笑える。今だからこそ笑って話せるのかもしれない。

 でもイジメられた。

 そこから約半年間は地獄だった。有名なイジメは一通りされたと思う。暴力的なものはなかったけど地味に痛かったり精神的に追い詰めるものが多かった。教科書隠されたり上履き捨てられたり水をかけられたり、どこからネタを探してくるんだって言いたいぐらい色々された。

 そして私は途中から学校を休みだした。いわゆる不登校ってやつになった。でも留年はしないでほしいという両親の希望で少ししてから保健室通いになっていた。

 そんな時だった。彼女、藤咲リネカに出会ったのは。

 保健室通いだった私はいつも部屋の隅で勉強していた。そこにリネカが現れたのだ。

 「あなたが中野さんですか。先生からあなたの話を聞きました」

 「えっ…」

 一瞬怖くなった。イジメられていることを広められると思ったからだ。でも違った。

 「友達を欲しがっているそうですね」

 私はそんなことを言った覚えはない。これは私に配慮してくれた先生の優しさからきたものだったことが後から判明した。しかしあの時否定しなくてよかったと思う。この時に否定していたら私は未だにイジメられていたかもしれないからだ。

 「私とお友達になっていただけませんか」

 この時の感情を率直に言うと嬉しかった。学校には居場所がなかった。またいつイジメられるかわからない中で安心して過ごせなかった。そんな時に差し出された手、この時私はリネカのことを知らなかったけど、白い髪もあって女神に見えた。そして手を伸ばしてしまったのだった。

 そこで私の生活はガラリと変わった。私自身の変化はリネカと過ごすようになっただけ。でもイジメられなくなった。私自身ではなく私の周りの環境が変化した。

 でもなぜリネカと一緒にいただけでイジメられなくなったのか疑問に思うだろう。当時の私もそう思った。リネカが隣にいるとき、私をイジメてきた子達はこっちを見るなり逃げていく。そんなことが続いた。

 これは後から聞いた噂に過ぎないのだけれど、リネカが中学生の頃、前までの私と同じようにイジメられていた女子生徒がいたらしい。そしてそのイジメが結構過激なものだったらしく、周りも気にしてはいたらしいんだけど次は自分が対象になってしまうかもしれないと誰も注意すらできなかったのだ。そんな時、今回のようにリネカが現れた。どうやったかはわからないけど女子生徒へのイジメをなくしてその子を助けたらしい。誰もできなかったことを成し遂げたのでリネカは一気に英雄になった。

 幸いにも彼女の中学からはこの高校への進学者が多かったので、噂された結果なのだ。噂に過ぎないから本当かはわからないけど…。

 これが私の平穏な生活の原点だ。容易に手放すことができない『平穏な生活』。



九月二十九日(晴れ)


 今日は体育祭当日。私の望みは叶わず雨天延期どころか雲一つない晴天で、世間一般的には体育祭日和だった。私の出場種目は綱引き、騎馬戦、徒競走、クラス対抗リレーだった。

 私は運動できないから足を引っ張ったが団の結果は二位で、クラス対抗リレーではクラスの運動部の人達が頑張ったため見事一位だった。ちなみに、一位は青団、三位は黄団、四位は緑団という結果になった。

 高校生最後の体育祭が終わった。

 


十一月三日(曇りのち晴れ)


 今日と明日は土日にも関わらず学校中が活気に満ちる二日間である。学校関係者だけでなく、生徒の親、学校の近所の人達、高校の雰囲気を見に来た中学生と、大勢がこの文化祭二日間は学校の中を行きかう。

 私のクラスの出し物はクレープ屋。これが結構人気で今日は完売した。明日はもっと人が増えるから午前中には売り切れちゃうかもしれない。気を引き締めなくては。これが高校生最後の思い出らしい思い出になる予定なのだから。

 

 追記:翌日、思った通りクラスのクレープは午前十一時半にはすでに完売した。



三月二十日(晴れ)


 高三の冬。もう暦の上では春だから春になるのかな。でもまだ寒いから冬かな。

 受験も終えて進路も決まった。成績が悪かった割にはそこそこの大学に合格したと思う。

 卒業式もこのあいだ終わった。周りは凄く泣いていたり笑っていたりしていたけれど、私は特に泣くような出来事も笑って話せるようなものもなかった。思い出とか友達とか、部活も入っていなかったから送り出してくれるような後輩もいなかった。普通に式に参加して卒業証書貰って帰ってきた気がする。

 そろそろ四月からの新しい生活に備えて準備をしなくてはいけない時期に私は夜、家から電車で二時間くらいかかる漁港の跡地の船着き場近くにいた。

 実はこの漁港は数年前、老朽化から隣に新たな漁港をつくり、元々あった方はコンクリートの土台部分だけを残して今は更地になっている。

 真っ暗闇の中、波が堤防に打ち付ける音、風が顔の横を通ってゆく音など色んな音が混じって聞こえる。いくつかの街灯と月明かりが波に反射している景色が視界に入る。

 そこには私以外誰もいない。世界に一人取り残されたのではないかという普段は味わえない非日常空間。でも朝方になったら漁やなんやで人が来てしまう。それまでに私はここに来た目的を果たさなくてはいけない。

 一気に現実に引き戻された。

 でも高校生活を振り返って、この三年間

 「…あっと言う間だったなぁ」

 白い息とともにそんな言葉が出た。いくら高校の思い出がないからと言っても無意識に感傷に浸りたくなるものだ。

 すると暗闇から声が聞こえた。

 「そうですね。三年間あっと言う間でしたね」

 その声は私のつぶやきに応じた。暗い中コツコツと足音だけが聞こえ、振り返るとこっちに近づいてくる人影が見えた。

 さっきまで静かな波を輝かせていた数少ない街灯の光と月明かりが彼女の長い白髪を反射させていた。リネカだ。

 彼女は私の近くまで来ると海の方を向いたまま話しかけてきた。

 「ここまで遠かったですよ。こんなところ、よそから来た人はそうそう知らないですよね」

 リネカは私の方に顔だけ向けて微笑む。

 「ここは千里さんの思い出の場所とかですか?」

 私がいつもと違うと思ったのだろう。そんなことを聞いてきた。

 いつもなら答えないであろう質問にも気分がいいから答えてしまう。

 「昔この近くに住んでたの。私と私の両親とおばあちゃんとで。おばあちゃんは三年前に死んじゃったけどね。それで私の高校進学を機に家を売り払って今の家に引っ越したんだ」

「そうだったのですね。いいお祖母様ばあさまでしたか?」

 そう問われて色々思い出す。あそこに行った、あれを食べた、手を繋いだ。もう詳細まで思い出せない、でもよく笑う人であったことは覚えている。

 「うん。そうだったかも」

 「そうですか。きっとお祖母様も喜ばれていますよ」

 そうだといいなぁと思った。昔の私の両親は今よりとっても忙しそうで、家にいる時間も今より全然少なかった。だから小、中学生の時はおばあちゃんが私の基本的な世話をしてくれていた。ここも何回か一緒に来た記憶がある。

 私はおばあちゃんを見て育ったのでとても尊敬していたし好きだった。

 「ところで…」

 私が懐かしく感じていると、リネカがまた話しかけてきた。しかし、さっきとは雰囲気が違くて真剣な話なのだと容易に知ることができた。

 「こんなところに呼び出して何の用ですか?千里さん」

 そうだった。こんな昔話をするためにここに来たわけじゃない。

 気持ちを切り替えて本題に入る。

 今回こんな夜遅くに遠くの漁港まで呼び出したのは、今まで突拍子もないことをたくさんやってきたリネカではなく私の方だ。

 「手紙に書いてあったでしょう?あんたと話がしたい」

 強気な声で答える。私はここにリネカをメールやトークアプリなどではなく、手紙で呼び出したのだ。書いたのは宛名と今日の日付と時間、この場所と『話がしたい』という言葉だけ。私の名前は書かなかった。

 今まで彼女の行動には驚かされてばかりだったから、こっちが負かしてみたかった。少しでも可能性があるのならやる価値があると思ったのだ。あとは…。

 「はい。だから来たのですが、なんの話がしたいのかわからないので教えてください」

 リネカは笑っていた。今まで何度も見てきたこの笑顔の意味。彼女はわかっている。手紙が私からだということもこれから話す内容も。

 私は全て知っている。この二年間以上誰よりも彼女の近くにいた自信があるから。

 「私があんたをここに呼んだ理由。それはあんたを殺すため」

 彼女はまだ笑っている。殺すと言われているのに動じない。本当に感情はあるのだろうか。

 私が手紙に名前を書かなかった理由のもう一つの理由は証拠をできるだけ残さないため。

 もし、リネカが殺されたら最初に疑われるのは最後に一緒にいたと思われる人間だろう。しかも相手から呼び出されているのだ。余計怪しいだろう。

 リネカがここに来る。私に殺せれるために。何一つ狂いがなく予定通り進んでいるのに私は全く嬉しくなかった。それどころか徐々にイラつき始めた。

 「あんたこそ何しに来たのよ。あんたはわかってたんでしょう。手紙の差出人は私だということも殺すって言われることも、全部わかってたんでしょう。あんたはここに殺されるために来たっていうの?」

 私から発される言葉たちはどんどん大きく強くなる。怒りを込めたような声。自分でも怖いと思うくらい鬼気迫るものだった。

 しかしリネカは私とは対照的に冷静で、左手の人差し指を口に当てて、「しーっ」と静かにするように表して、なだめるような声を出す。

 「千里さん今は真夜中です。声が響いてしまいますよ。周りに人はいませんがもしもということもあるでしょう?」

 この言葉で少し冷静になる。今人に見つかったとして困るのはリネカじゃなくて私の方だ。これから人を一人殺すと宣言しているのだ。現場を見られたら一大事。そうじゃなくても誰かが私たちを見たら怪しく思うだろう。

 「確かにそうです。私は知っていました、全て。私がここに来たのは千里さん、あなたに殺されるためです」

 そう言い切ったリネカからは清々しさを感じた。少なくとも今から死ぬ人の顔ではない。まるで殺される気などこれっぽっちもないようだ。そして私のこの予想は的中してしまう。

 「しかし、私はあなたには殺されない。私はここに自殺するために来たのです」

 さっきとは違う幼い子供のような笑みを浮かべていた。

 私はリネカからいつもの雰囲気を感じた。昼休みに教室でいつもしゃべっていたあの感じ。

 「あんた、何言ってんの。自殺しに来た?さっきと言ってることが違うじゃない」

 さっき冷静になったのにまた感情的になってしまった。 一歩、二歩。リネカに近づきながら問いただす。

 私の感じたものは正しかった。リネカに殺される気など最初からなかったのだ。

 「はい、私は自殺するのです。理由は至極簡単です。千里さん、あなたはなぜ私を殺したいのですか?高校生までの人生をないものとしてこれからの人生をやり直したいと思ったからでしょう。だからたくさん勉強していい大学を受験して合格までした、あなたの将来のために。でも人生のリセットに私は不要、それどころか害であると判断したから私を殺そうとした。違いますか?」

 「……」

 「本音としてはあなたに殺される方を望んでいるのですが…あなたが今私を殺せば人生のリセットを願うことも叶いません。一生犯罪者としての罪を背負っていくのです。私はそうなってほしくないので、自殺します。ね、簡単な理由でしょう」

 彼女はまだ子供のような笑顔をしていた。でもどこかにふざけてなんかいないと思わせる真剣さもあった。

 「では、私の計画を話します。まず千里さんがここから立ち去る。誰かに見られては計画がダメになってしまいます。そして、千里さんの姿が見えなくなったら私はここから身を投げます。そのために私、水をよく吸う服を着てきました。私泳ぐの苦手なのでこれで溺死できると思います。そうですね、早ければ明日にはニュースになっていると思うので、それで確認でもしてください。何か異論はありますか?なければ今からでも始めますが」

 これは殺人じゃない、ただの自殺だ。警察はそう判断するだろう、事実そうなのだから。

 私は完璧だと思った。いや、完璧とは違う。一人の人が死ぬことが完璧だとは思えない。今の私達の最適解、そう言ったほうがあっている。

 そうだ、私がイジメられていた事実をまた掘り出してしまう可能性の高いリネカを消してしまえばいいと思っていた。私の望んだ将来に弱かった私は必要ないから。

 イジメられていたという人生でもっともの汚点をなかったものとして扱えるのなら、リネカが正しいと思った。

 でも私が感じたのはそんなものよりも強い怒りだった。淡々と話し、勝手に準備するリネカに苛立ちを感じた。

 そう思った途端、私は自分が子供のようになっているのに気が付いたがもう抑えることができなかった。気づいたら、私の下にリネカがいた。

 「馬鹿にしやがって」

 私はリネカに飛びかかっていた。コンクリートの上で私は彼女に馬乗り状態になりながら押さえつけていた。

 私は今持っている全ての感情を彼女にぶつけた。

 「そうだよ、全部あんたの言ったとおりだ。イジメられていたという私の人生最大の汚点。そこから抜け出したとして、周りから見れば私は逃げてあんたに助けてもらったただの弱者じゃないか。その時からだ。いつか『あんたがいたから』とか『あんたがいないと』とか周りから思われない人になりたいと、イジメてきたやつらにも思い知らせてやりたいと思った。そのためにいつかあんたを排除したいとずっと、ずっと、この二年間ずっと考えていたよ。あんたがいなくても私一人でできたんだって、周りに知らしめてやりたかった。でもできなかった――」

 私の下にいたリネカはびっくりしていた。私がこんな大声で叫んでくるとは思いもしなかったらしい。

 私はリネカの首に手を置き、両側から徐々に絞めていく。

 「私があんたといるようになって最初に決めたことがなんだかわかる?『あんたとは仲良くならない』あんたのことを利用して、いつかあんたとの立場を逆転させてやるって決めたのに。なのに――」

 リネカは私の言葉を真剣に聞いていた。徐々に私に絞められている首が辛くなってきたのだろう。苦しそうだ。

 でも私はやめない。まだ全部言い終わっていないのだ。逃げられないようにしなくては。もうこんな想いを繰り返したくないから…。

 「なのにあんたに情が湧いてしまった」

 「……」

 「渡辺の時もそうだ。あんたの弱みを握って脅してやりたかった。だからあんたの告白なんて失敗してしまえって願ってた。でもそれと同時に成功すればいいなぁって心のどこかで思っていた私がいたのも事実。友達を解消しようって言われて一瞬怖くなったのも事実。他にもたくさんある」

 実はさっきリネカに「殺す」って言った時の私の手はどうしようもないぐらい震えていた。何か月も前から覚悟していたことなのに、いざとなるとできないことを知った。

 突如、下にいるリネカの頬に上から水滴が垂れ、顔を伝って流れた。今夜の天気予報は晴れ。実際雨も降っていない。

 これは私の涙だった。

 最初私はそれに気づけなかった。嗚呼、私は今泣いているのだと、悲しいのだと、ロボットのように自分の感情を理解していく。

 そしてリネカの頬に垂れる涙が多くなるにつれて私の視界がぼやけだした。リネカの首を絞める手がほんの少し緩む。

 リネカは私の顔に手を伸ばし、その手で私の涙を拭った。

 「…千里さんが私を嫌っていたこと…慣れあうつもりなどないことも最初からわかっていました」

 掠れた声だった。

 「千里さんがずっと私との関係に囚われていると知っていました。だから表面上だけでもそれをなくそうとオトモダチになりましょうと提案しました。うまくいけばあなたを鎖から解き放てると…イジメはもう関係なく対等な関係になれるのではと…思ってほしくて。でもダメでしたね。あの時、千里さんは承諾してくれたけど、やっぱりあなたは私との関係を強いものと無意識に感じていたみたいですし」

 笑っている。今までに見たことのない笑顔。

 まだ私にも知らない顔があったのだと知った。友達になりたいと悩み、恋する乙女のような顔も嫌いな人を見る顔も生き生きとした元気な顔も、最近は卒業式で少し寂しそうな顔も見た。でもやっぱり私の中で一番印象に残っているのはリネカの笑顔だった。

 リネカは何種類もの笑顔を使い分ける。今までいくつも見てきたけど、きっとまだ何十種類、何百種類もあっただろう。これからの人生でもっと増やしていくはずだった。

 今まで理由がわからなかった変な行動も全部私のためだったことも知った。

 せっかく拭ってくれたのに涙がまた溢れてきて、リネカはその涙も拭ってくれた。

 そして私に最後の決断を促した。

 「千里さん、気は晴れましたか?あと二時間くらいで夜が明けてしまいます。どうしますか?」

 すでにリネカの首から私の手は離れていた。

 「あんたの…計画通りにしよう。……うわぁ‼」

 リネカがいきなり上半身を起こしてきたのでビックリした。リネカはそのまま私の方に体を寄せてきて、私の前髪を上げて額にキスをした。

 「えっ…⁉」

 「これは元気になれるおまじないです」

 そう言ってリネカは私を退かして起き上がった。退かされ、地べたに座った私を見てクスッと笑うと手を差し出してきた。私はその手を取って起き上がる。

 立ち上がったリネカは真剣な顔をして海を見つめていた。

 それを見た私はまたリネカに目を奪われた。固い決意をきめる彼女の横顔は、普段の美しさの中に芯のある強さが見える。

 がん見している私を気にも留めず、リネカは急にこっちを振り返って上着の内ポケットから白い封筒を取り出して私に差し出した。

 「これは私からのプレゼントです」

 渡された白い封筒の真ん中には達筆な字で『遺書』と書かれていた。

 「私がここから身を投げてすこし経ったら開けてください。私、これ書くのに一日使ったんですよ」

 リネカはいたずらがバレた子供のような笑顔を浮かべた。

 「では向こうを向いていてください。千里さんには綺麗な思い出のままでいてほしいので」

 私は指示通り海を背後にする。

 ―覚悟を決めなくては。

 コツコツコツ。リネカの靴の音が背後から聞こえる。数秒後、靴の音が止まる。端に着いたのだろう。

 「では千里さん、さようなら」

 タイムリミット。リネカの覚悟が決まった合図だった。

 私は振り返る。リネカは海を背後に背中から飛び降りようと考えたらしい。目があった。

 「え?」

 リネカはとても驚いたらしい。私が振り返ったことではなく、初めて見たであろう私の満面の笑顔に。

 「ありがとう」

 ドボン。私が感謝を囁いた一秒後、リネカは海へ落ちていった。

 私はその場にうずくまりながら泣いた、とにかく泣いた。ずっと涙が頬を流れるのを感じていた。

 もう泣けなくなったとき、手に握りしめていた封筒を思い出した。

 封筒を開けて中の手紙を広げて読む。

 

 愛しの千里さんへ

 これを読んでいるということは私は死んでしまっているのでしょうか。最後にあなたといられたこと、とても幸福に感じていると思います。

  あなたにとって私がどんな存在であったか感じることはできても正解はあなたにしかわからないでしょう。私にとって千里さんは家族のように大切な存在でした。

 最後にこの手紙を捨てることをお勧めします。海に捨ててはどうでしょう。

 あなたのこれからの人生に幸福が降り注ぐことを願って。

 今までありがとうございました。

  藤咲リネカ


 私はその場で手紙を破り捨てた。捨てないで私の持つ彼女の唯一の遺品となったしまったこの手紙を残すという選択肢もあった。確かに私は悩んだ。でも私は捨てることを選んだ。

 もし持って帰ってしまったらリネカがいたことの証明になってしまいそうで、私の目指したリセットのストッパーとして働いてしまいそうだったから。

 読めないぐらいにできる限り細かく。そして海に投げ入れる。リネカの言うとおりに。

 思い通り海に沈んでいったもの、波に流されていったもの、風に乗って全く違うところに行ってしまったものと色々な方へ消えていった。

 そしてそれらを見届けた後、私は駅に向かって歩き出した。

 始発はまだ先だし、こんな朝早くからやっているお店なんてない。程よい田舎で(それが理由で場所をここにしたんだけど)、近くにコンビニもない。どうやって暇を潰そうかな。



七年後の九月二十三日(曇りのち晴れ)


 リネカがあの漁港跡地から海に飛び込んで数年が経った。

 私はというと大学を卒業し、会社に就職。職場と家が近いため、(家事ができないわけではないけれど)一人暮らしはせず実家で暮らしていた。

 あの日の後、テレビでも新聞でもあの場所付近で十代の女性どころか誰も溺死した、または行方不明になったなんてニュースはなかった。当時の私は二週間ぐらいインターネットやテレビを使って必死に探した。けど見つからなかったのでとっくに諦めていた。

 今は会社で毎日生活するために働いている。

 突然、私宛の郵便物が届く。封筒だった。差出人は不明。封を切って中を見てみたが入っていたたった一枚の手紙に衝撃を受けた。


 愛しの千里さんへ

 お元気ですか。お話があります。あの日別れたあの場所へ来てください。待っています。


 覚えのある書き出し。見慣れた筆跡。

 私はすぐに準備して車を走らせた。七前までは電車で二時間くらいかかった場所が最近は道路なども綺麗に整備され始め、車で一時間半で着いた。

 数年前見た漁港跡は変わっていなかった。広く何もない。そこに一人の女性の人影があった。彼女は穏やかに波打つ海を見ていた。

 腰丈まであった長くきれいな白髪は肩あたりまでの黒髪になっていたがそれ以外は何も変わっていなかった。

 私の足音に気づいたのかその人は振り向く。

 「Hello. Long time no see, Ms.Chisato. 」

 変わらない声が私を呼んだ。

 「…なんで、生きてるの?」

 声が震える。

 「あの時に死ななかったからです」

 リネカは子供のように笑っている。それも懐かしい。

 「それは見ればわかる。なんで…死ななかったの?自殺するって言ってたじゃん。それはまだいい、なんで…なんで今更私の前に現れた」

 怒りでいいのかな。嬉しい気もした。騙されたことで傷ついていた気もする。自分でもこの時の感情がよくわからなかった。でもどんどん声が大きくなっていったのはわかった。

 「千里さん、私が死ねなかったのはあなたのせいですよ」

 「へぇ…?死ねなかった?」

 思わず出た返事は間抜けなものだった。

 「私の計画をあなたが狂わせたのです。私の完璧だった計画を…。私はあの時全てを完結させて思い残りをなくすために行動したのに…あなたに伝えたいことが飛び降りた直後にできてしまったのです。そのせいで死ぬことができなかった。私は元々やるつもりのなかった最大限の生き残るための手段を使ってしまいました。でも生き延びたのはほぼ幸運です。五キロ先の浜辺に辿り着きました」

 そうだったんだ。でもなんで――?

 「なんで今現れた?すぐにメールでも手紙でも送ってくればいいじゃない。なんで今更、何年も立った今なの⁈」

 リネカは悲しそうな顔をしている。

 「それはあなたのためです」

 「…私のため?」

 「あなたに亡き者と思ってほしかったのです。あなたの気が晴れるまで…。あなたの前に私が現れたら、またあなたを縛り付けてしまうかもしれないと思ったのです。でも今日あなたを呼びました。先ほども言った通り千里さんにお伝えしたいことがあったので。あと、私が先ほど帰国したばかりで会えませんでした」

 リネカは私との距離を詰め、二人の間が一メートル前後のところで止まった。そして手を広げ話始めた。太陽の光がちょうどリネカの後ろに来ていたから、彼女がとても輝いて見えた。

 たまに起こる現象なんだけど、髪に太陽光が強く当たっていると、反射して違う色に見える。今のリネカも例外じゃなくて、私にはこの時の彼女の髪色が黒じゃなくて白に見えた。昔と変わらない白に。

 「私の一番はあなたです。一番仲が良かったと思うのも、守りたいと思うのも、愛おしく思うのもあなただけです。今では色々な方と交流があるのですが、余計に感じさせられます。落ち込んだときなどバッサリと自分の考えを貫くあなたにどれほど助けられたかわかりません。最初怖かったのです。あなたを助けることが、余計にイジメを悪化させてしまうのではないかと。関わらない方がよかったと思ってしまうことがあるのではないかと。でもそれを塗り替えてしまうぐらいあなたと関われてよかったと思ったのです」

 「それを言うためだけに…?」

 死ぬふりをして、見た目も変えて、私がここに現れる確証もないのにずっと待っていたの?

 言葉にならない質問はちゃんとリネカに届いたようだ。

 「そうです」

 泣きそうになった。いやもうほぼ泣いていた。両目に涙を蓄え、零れないように意識する。でも瞬きと同時に一滴の雫が頬を流れ落ちる。

 「もう私に言うことがなくなったらまたあんたは自殺を図るの?」

 喋ろうとしても上手く声が出ない。この質問に対する答えが怖いからだろう。

 しかしリネカにとってはそれほど重要な質問でもなかったようだ。

 「どうでしょう?もしまだ千里さんにとって不要な存在だったのならそうするかもしれませんが――」

 リネカは私を見て優しく笑う。

 「私にはそんな必要がないように見えます」

 やはり彼女には全て見透かされているようだ。今の私はリネカがいようがいまいが関係ないところにいる。それならば私はリネカにいてほしい。

 そう思い、私は笑って見せた。私の意図をくみ取ったのかリネカもつられて笑った。

 近くのファミレスに移動した。お互いに話したいことがいっぱいあったから。そこで聞いたリネカの今までの状況を整理するとこんな感じだった。

 もともと大学はアメリカだと決めていたらしい。あの日彼女は本当に自殺するつもりだったらしいが、生き延びたのでそのままアメリカに行った。異国という場は身を隠すのに最適だと気付き利用するような形になったしまったらしいが。

 そして海外の生活に慣れるための半年間+四年間+二年間と大学に六年通い、予定通りの期間を終えたので帰国したらしい。今は就職先を見つけ十月から働き始めるのだそうだ。髪を切って黒くしたのはやはりバレないように少しでも変えたかったから。

 リネカの話を聞いた後、私がずっと気になっていたことを聞いてみた。リネカが中学生時代に女の子をイジメから救った噂の真相だ。

 「あの噂の女の子は誰だったの?なんで、あんたは助けたの?」

 「噂?女の子を助ける?何のことですか」

 リネカは全くわかっていないらしい。

 「噂であんたが中学時代にイジメられていた女の子を助けたって聞いたの。でもそれ以外の情報が全然なくてすごく気になってたの。その噂のおかげで私はイジメられなくなったって言っても過言じゃないんだから」

 「あら?千里さんは知らないのでしたっけ」

 なぜかリネカは驚いていた。

 「何を?」

 「私は助けた方ではないですよ。イジメられていた方です」

 「へぇ?」

 私はまた新たな事実を知ってしまった。やはりまだまだリネカのことはわからないし、全てを理解することはいつまでたってもできないだろう。でも一緒にいたいと思う。高校生の時のように意味が分からないようなことを話題に挙げて笑っていたいと心から思う。


 ***


 私、リネカはイギリスと日本のクウォーターです。色素が薄いのも周りと顔立ちが違うのもそのためでした。そしてそれを理由に中学二年生の時にイジメられました。

 ある日、私はイジメをしてきた人達に報復するために行動し、成功したためイジメからは解き放たれましたが半年間はつけられた傷が残りました。完全に解き放たれたのはこの半年後の時です。

 そして中学を卒業後、高校に入学し私はもうイジメられることがなくなりました。私をイジメていた人達とは違う高校だったこともあるかもしれませんがその時の出来事が大きかったと私は思っています。

 そんな時千里さんの話を聞きました。イジメにあっている子がいると。その話を聞いた時私は中学時代の自分自身を思い出し、重ねました。

 あの頃の私のように一人で苦しんでいる人がいるのだと思うと助けてあげたくなりました。もしかしたら人を助けたという自己満足のためだったのかもしれません。でも私は行動しました。

 それがどれくらいの覚悟でも、イジメられることがどれくらい辛いことだったのか身をもって体感した人だったから。

 

 「私は助けた方ではないですよ。イジメられていた方です」

 これを聞いて千里さんはとても驚いていました。千里さんにとっては当然の反応だったかもしれませんが、私はもう誰かから聞いていると思っていたので知られていなかったことに少し驚きました。しかし真実が知られていなかったことで私の知らぬ間に千里さんを守ることができていたことには嬉しく思いました。


 ***


 このノートは私が書き続けてきた日記の一部である。

 最初につけ始めたのは高校一年生の時。イジメられて学校をサボりだしたあたりで母が買ってきた一冊のノートから始まった。最初は何書けばいいんだよとか思っていたけど、暇だったから書いてみた。今となっては私の大事な日課となって、ノートの数も七冊目だ。このノートももうすぐ終わりそうでまた新しいノートにしようと思っている。

 書き続けているけれど特に目的があるわけではない。誰かに読んでもらうわけでも自分で読むわけでもない。私自身も読み返すのは今回が初めてだ。

 読み返していてわかったことがある。

 一冊目の最初なんて毎日簡素な一言で終わっていることが多い。しかも暇とか辛いとか怖いとかとにかく負の言葉が多い。家に引きこもっていたからまぁ仕方のないことなのだろう。しかし後半に移るにあたってどんどん文が増えている。この時はちょうどリネカと出会った時だ。

 高校生活または人生においての大きな変化した時期だと改めて知った。

 これからも私の日記は溜まり続けるだろう。

 誰かのためではなく私自身のために今日も私は書き続ける。


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