第42話:なんで言い切れるんだよ?

 上級生の一人が業を煮やして、とうとう理緒の胸元に掴みかかった。これはさすがにヤバいと、一匠は校舎の陰から飛び出した。


「ちょ、ちょ、ちょっと待って! 暴力はダメだって!」

「えっ……? 白井くん!?」

「あんだよ、誰だお前!?」


 一匠は理緒と上級生の間に割って入り、理緒の胸元を掴む手を離させた。


「せ、先輩方! 俺、青島さんと同じクラスの白井です! 何かの間違いだ。青島さんはそんなことをしません!」

「はぁっ? なんで言い切れるんだよ?」


(なんで言い切れるのかって? そんなのわかり切ったことだ)


 上級生二人が睨む視線の圧が凄い。

 一匠はその圧に押されてかけたが、ひと息深呼吸をして、しっかりとした口調で言い返した。


「青島さんはそんなことをする人じゃないからだ!」

「はぁ? ……そんなこと信じられっかよ!」

「先輩方は、その岸上って人に頼まれて青島さんを責めに来たんですか?」

「いや、別に岸上先輩はそんなこと頼んでないけど。先輩からその話を聞いて、私たち岸上ファンとしたら我慢できないんだよ!」

「じゃあ先輩方。ここでその岸上先輩に電話してみてくださいよ。今目の前に青島さんがいるけど、さっきの話がホントなのかどうかって」


 このファンの二人が思い込みで勘違いしているということもあり得る。

 しかしもしかしたら、その岸上という人が適当なことを言っているのかもしれない。


 それを確かめるには、今ここで電話をかけてもらうのがいい。

 目の前に理緒がいることを伝えたら、岸上先輩も適当なことは言えないだろう。


 一匠はそう考えて、そんな提案をした。


 2年生の二人はお互いの顔を見合って、うなずいた。そして一人がスマホで電話をかける。


「あっ、岸上先輩。実はですね……」


 一匠が言った通りに、岸上先輩に確認している。


「えっ……? あ、ああ……そうですか……」


 岸上先輩と話した2年生女子は、急に眉をひそめて自信なさそうな喋り方になった。

 どうやら岸上先輩は、さっきの話とはちょっとニュアンスが違うことを言っているようだ。


 先輩との電話を切った彼女は、戸惑った顔で一匠と理緒を見た。

 一匠が2年生女子に尋ねる。


「どうでしたか?」

「いや、あの……青島が言い寄ったってのは言い過ぎだって……」

 

 ──言い過ぎ。


 この二人の過剰反応だったか、もしくは岸上先輩が言葉を変えたか。


 いずれにしてもやはり理緒が言うように、言い寄ったのは岸上先輩というのが正解のようだ。


「じゃあ青島さんがとやかく言われることはないですよね」

「あ、ああ……」


 二人は困ったなと言わんばかりの顔でお互い見ている。そして急に二人とも逃げるように走りだした。


(なんだよ。濡れ衣を着せといて、詫びのひと言もなしか)


 走り去った二人の後ろ姿を一匠が眺めていたら、横から理緒が声をかけてきた。


「白井くん……ありがとう」

「あ、青島さん、大丈夫?」


 さっきまで毅然としていたはずのその顔は、眉がハの字になって瞳は潤んでいる。

 理緒は突然しゃがんで、地面に向かって叫んだ。


「もおーっ! あのアホたれ女! ちゃんと確認してから言って来いってんだーっ!」

「えっ?」


 あのいつも清楚で丁寧な理緒が。

 泣きそうな情けない顔だけど、意外なセリフを吐いた。


 そして立ち上がって、照れたような表情で、一匠に話しかける。


「ごめんね白井くん、驚かせて。私は聖人君子でもなんでもないの。腹が立つ時は立つのです」


 理緒は決して嫌味な顔ではなく、ちょっと恥ずかしそうな顔をしている。


「白井くんはいつも、飾らないで話してくれるから……つい私も本音を言っちゃいました」

「うん。たまには本音を吐き出すのも必要だね。『王様の耳はロバの耳〜!』みたいな感じかな」

「へへ……そうです。さすが白井くん。すぐにわかりましたか」

「そうだな、ははは……」

「へへへ……」


 理緒は泣き笑いみたいな顔で笑い声を出したあと、一匠に歩み寄ってきた。


「ああーん、ホントはこわかったぁ〜」


 突然理緒は、片手と顔を一匠の肩に押し当てて泣き出した。

 毅然とした対応は、かなり無理をしていたようだ。


(頑張ってたんだな、青島さん)


 こんな情けない姿を晒す理緒を見るのは初めてだ。よっぽど怖かったのだろう。


 一匠は胸がキュッと痛くなる。

 優しく肩を抱いてあげたくなったが、それはさすがに気が引けた。


 しばらくすると理緒は落ち着いたようで、一匠の肩から顔を上げて、一、二歩後ずさった。


「ご、ごめんなさい白井くん」

「いや、大丈夫だよ。落ち着いたかな?」

「う、うん……」

「人気があるってのも大変なんだね。俺なんか、そんな大変さなんて全然思ってもみなかった」

「あの……白井くん?」

「ん? なに?」


 理緒は泣き腫らした目で、まっすぐ一匠を見ている。


「さっき白井君は、『青島さんはそんなことする人じゃない』って言い切ってくれたよね?」

「あ、うん。そうだね」

「なんでそこまで強く言い切れるんですか? 私のことをそんなに深く知ってるわけでもないのに。下手したら白井くんがあの人達から、とばっちりを受けるかもしれないのに……」

「ああ、そのことね」


 一匠はそんなに難しいことじゃないよと思いながら、不思議そうな顔の理緒に説明する。


「俺はさ。人付き合いは苦手な方だけど、その分自分が喋るよりも、他人がどう考えてるのかをよく見てるんだ。だからその人がどんな人なのか、見抜くのはそこそこ自信がある。まあ、そこそこだけど」

「そ、そうなんですか……」

「で、青島さんとはそんなに長い付き合いってわけじゃないけど……絶対に人の心を弄ぶような人じゃないって俺は確信してるんだ」

「ありがとうございます」


 理緒はほっとしたような顔で、少し笑みを浮かべた。


「それにもう一つ。……青島さんはいつも俺に好意的に接してくれるし、信頼してくれてる気がしてる。だから事実がどうであれ、青島さんの言うことは信じたいし、もしも青島さんが困ったことがあったら、全力で助けたいって思ってる」

「白井……くん。ありがとう」


 ここまで言ってから、一匠はとんでもないことを言ってしまったと気づいた。これは訂正しておかないと。


「あっ……」

「どうしたのですか?」

「あ、いや……青島さんが好意的に接してくれてるなんて、単なる思い過ごしかもしれないのに……そう言っちゃったなって……」


 一匠が頭をぽりぽりと掻くと、理緒は手を口に押えて、ぷっと笑った。


「いいえ。そんなことないですよ。白井くんのお察しの通りです。私は好意的に白井君と接していますよ」


 まさか、という答えを、理緒は口にした。

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