第32話:いつもよりも元気がない感じが……

「おはようございます白井くん」


 一匠と瑠衣華がぎくしゃくして二人とも無言で座っていたら、理緒が登校してきた。

 理緒はいつもどおり、美しい顔に優しい笑みを浮かべている。


「あ、ああ。おはよう青島さん」

「どうしたんですか?」

「何が?」

「いえ……なんとなくいつもよりも元気がない感じが……」

「あ、いや、大丈夫。ちょっと寝不足でさ」

「そうですか。睡眠はちゃんと取らないといけませんよ」


 そう言ってニコリと笑いかける理緒。

 本当に優しくて気遣いのできる人だな、と一匠は感心する。


 まさに瑠衣華とは大違いだ。

 そう思ってチラリと瑠衣華を見たら、一匠と理緒のやり取りをボーッと見つめていた。

 一匠と目が合って、瑠衣華は慌てて視線を逸らせる。

 瑠衣華も今では評判の美少女なのだけれども、ちょっと情けない顔をしていた。


 瑠衣華は、理緒がスムーズに一匠とやり取りしているのを羨ましく思っているのだろうか。

 自分のできなさ加減を悔しく思っているのだろうか。


 ちょっとわからないけれども、瑠衣華は小声で「よしっ」と言いながら、きりっとした顔をした。

 前向きに頑張ろうという意欲は見て取れる。





 それから休み時間や昼休みになるたびに、瑠衣華がチラチラと視線を向けてくることを一匠は感じていた。

 何かコミュニケーションを取るチャンスを窺うような感じ。


 しかし褒めるとか謝るとか、自分の気持ちを素直に伝える場面がそうそうあるわけでない。

 何か話題を振って、会話が弾めばそんな流れもあるのかもしれない。

 けれどもそんなふうに自然に会話に持ち込むなど、今の瑠衣華にはハードルが高すぎて無理だろう。


 何度も瑠衣華は、何かを話しかけようとして諦めているふうだった。

 そしてあっという間に一日の授業が終わった。




 一匠は帰り支度をして、廊下に出る。

 そして廊下を真っすぐ歩いていると、少し遅れて瑠衣華が教室から出て来るのがわかった。


 一匠は階段を下りて昇降口に向かう。

 相変わらず瑠衣華は何気ないフリをして、後ろをついて来る。


 しかしその顔は、獲物を狙う肉食獣のように鋭い目つきだ。

 きっとコミュニケーションを取るチャンスを窺っているのだろうが……


(それじゃあまるでストーカーのようだよ赤坂さん……)


 とは思うものの。

 一匠もちょっと瑠衣華が不憫になってきた。


 ──うーん、どうしたものか……

 と考えていたら、誰が捨てたか、目の前の廊下に紙屑が落ちているのが目に入った。


(よし、これだ)


 一匠は立ち止まり、しゃがんで紙屑を拾い上げる。

 そしてすぐ近くにあるごみ箱にそれを捨てた。


 きっと後ろで瑠衣華がそれを見ているだろうと、一匠の意識は背中の方に向かう。


(ほら、褒めるチャンスを作ったよ赤坂さん)


 その背中の方から女性の声が聞こえた。


「さすが白井くん」


 ──来た!


 一匠は声の方に振り向く。


「やっぱり白井くんって真面目で誠実ですね」


 ニコリと笑う理緒がすぐ目の前に立っていた。

 その少し後方には、呆然とした表情で瑠衣華が立ちすくんでいる。


(あちゃ。赤坂さんって、なんかタイミング悪いよな……)


「あ、いや……なんか恥ずかしいところを青島さんに見られちゃったな」

「いいえ、恥ずかしくなんかないですよ。良いことをするのを他人ひとに見られることを恥ずかしがって、変に悪ぶる人もいますけど。そういうふうに正しいことを素直に行動できるのは、白井くんのいいところだと思います」

「そ……そうかな?」

「そうですよ」


 理緒が笑顔でこくんとうなずくと、艶々と美しい黒髪がふわりと揺れた。


(うわっ……青島さんに褒められちゃったよ)


 理緒の言葉は、お世辞やおべんちゃらを言う感じではなく、心からそう思っているように聞こえる。

 ホントに褒め上手だなと一匠は思う。


「あ、ありがとう」

「白井くん、今日はこのまま帰るんですか?」

「うん、そうだよ。特に用事もないしね」

「それならば駅まで一緒に帰りませんか?」

「えっ? あ、ああ。そうだね」


 理緒と並んで歩き出しながら、一匠はチラッと後ろの瑠衣華を見た。

 青ざめた顔で瑠衣華は立ちつくしている。


 瑠衣華にはちょっと悪いことをしたと思うものの……

 せっかく理緒が一緒に帰ろうと誘ってくれているのを断るのは、それは理緒に悪いという気がする。

 今日はこのまま帰るだけだと言ってしまったし。


 だから一匠は瑠衣華のことが気になりながらも、理緒と一緒に下校することにした。

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