緋色爆ずる

 鶏頭は恐怖で喋ることも出来ず、ただ魚のように口を開閉させていた。火刑台の上に乗る燃える神は、決して罰せられたりすることがない。その影が揺れたかと思ったら、一瞬のうちにして、眼前に迫ってきていた。

「また貴様は、俺の邪魔をする――!」

 先程まで眼を押さえていた右翼が、こちらへ伸ばされる。火威自身の小さな掌を覆うようにして、火で作った指が長く突き出ていた。

「いけません……! いけません、火威樣!!」

 女の、泣きそうな叫びが、こちらの耳朶まで届く。額から鼻の先まで掴まれたかと思いきや、身体に痛みが這った。燃えているのだ、木の枝のように。

「ぎゃあ――!」

 恐怖で身体は動かない。幼い雛の後背で、見知った男が怒りの顔をしている。火炎で造られた、炎麗の姿であった。火炎魔神(イフリート)は燃えゆく老人を見て取って、火威の身体へと戻っていく。

 羽根は黒だが、炎の色は皮肉なほど赤く、爆ぜていた。

「火威樣! どうして、どうしてこのようなことを――!」

 問われた火威は、ちらと後方を流し見る。冷たく何も感じていない表情で、獣者を探し当てた。爛れた皮膚のその奥、右眼だけはまだ、金のまま戻っていない。

「炎麗、樣……?」

「久しいな、駒草、蛇結茨、羊蹄! この身体、良く守ってくれた」

「そんな、まさか――」

 頭では否定しようにも、その口ぶりを目の当たりにしてしまったら、もう何も考えられない。大仰に身振りをする癖は、炎麗のものだった。焼かれる星長はすでに灰と化して、火威の身体の周りを飛んでいる。

 確かめるように節々を回して、火威は――いや炎麗は、余裕綽々と笑って見せた。

「俺のことを忘れてしまったのだから、この身体を奪うのに少々時間が要った。だが安心するがいい。これからはまた、俺が天下を治める」

 いやしかし、と炎麗は指を顎に遣って、自身が下した呪いについて考えた。

「人を根絶やしにすると言ったのだから、天下を取っても意味はないか!」

 クツクツと意地悪そうに笑う炎麗を前に、獣者はただ黙っているばかりであった。星長が燃えたときから、民はすでに近くにない。あるのは火刑台に残された、可哀想な男だけだった。

「かあいそうに。しかしどうせ殺されるんだろう? 手始めに肩慣らしと行こうか」

 彼は右翼を振り上げ炎を纏わせる。遂に死ぬのだと嘴が覚悟したとき、懐かしい切望の祈りが聞こえた。

「待って、待ってください! どうしてですか、火威樣!? 炎帝樣は、わたしの父を救ってくれると仰ったのに!」

「――はぁ? あぁ――」

 身に覚えのない救助の依頼に、炎麗は厭いながら首を傾げる。次いで合点が行ったと見えて、彼は呆れるように笑った。

「俺が目覚める前に、厄介な頼まれ事をしたんだな? 残念だが坊主、人はすべて滅ぼすって決めたんだ」

「そんな!」

 優しかった彼はどこへ行ったのか。顔つきも少し変わったように思えて、哢は狼狽した。再び燃え盛る火を構えると、指を滑らかに動かして飛ばそうとする。余韻を持って遊びを楽しんでいるものと思っていたが、違ったらしい。

「ん? ……何だ?」

 炎麗は忌々しく掲げた腕の松明をねめつける。いくら動かそうとしてもびくともしない。

「貴様……! 火威か!? 俺の邪魔をするな!」

 幼き意志は消えていなかったようで、断固として身体の自由を利かそうとはしなかった。やがて意識も火威のものと混濁し始める。

「させ、ない。もう、僕の身体で、そんなこと……!」

 次第に力も弱まっていき、肩で息をしながら膝を突いた。逃げなければ。ここではない、どこかへ。これ以上民を傷付けることはできない。

 どうか生き残れ、と火威は神力を土地へ放つ。民がどうか、少しでも長く生きられるようにと願いを込めて。

 人の姿を取るのは力を多く使うので、だんだんと鳥へと姿を変えていった。最後の一絞りだけを残して、まだ動けるうちに飛び立つ決心をした。獣者は付いてきてもいいが、ここに残って支援をしてもいい。

 どちらでも選べるように、命を与えてやる。

「獣者たち、ありがとう。これからは自身の好きにすればいい。僕は、星から巣立つ」

「火威樣……」

 呼んだ名が、炎麗でなかったことが救いだ。火威は黒い翼をはためかせ、よろめきながらも空へと昇っていった。どうか見送るな。別れが辛くなるから。そうして独りで星間を抜け、知らない軌道を進む。他の星にだって迷惑は掛けられない。行く宛てもなく空気も熱もない真空を飛ぶ。

 薄れゆく意識で、どうにか早く癒しを感じられるところに降り立たねばと考えた。傷も完治はしていない。

 ――灼熱だ。どこかで、火が燃えている。

 神は火の気を感じ取って、辺りを見渡した。遠くに、赤々と煮え滾る惑星がある。安らぎを求めて突っ伏して、その粘り気のある紅蓮に埋まろうと考える。

「痛っ!」

 岩は整備されているはずもなく、火威の滑らかな肌を切り裂く。それでもやはり焦熱(しょうねつ)はいくらか治癒を早くしているようだ。ここならば、誰も傷付けることなく眠りに就けるだろう。


 その土地には、まだ名前はない。しかし後に、地球と呼ばれる星になる。

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其は紅く燃揺る―――、  -緋色爆ずる- 猫島 肇 @NekojimaHajimu

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