燃えない……

アノマロカリス・m・カナデンシス

完全に不完全

 不要品を片付けるため、燃えるゴミ以外のモノを確認していく。欠けたコップや割れた茶碗、そんな燃えないゴミの中に、いつまでも捨てられずに残っている、ジッポの姿がそこにあった。使われなくなったそれは、ただの四角い金属の塊であるのに、もう長い間、燃えないゴミに紛れて居座り続け、時折思い出を蘇らせた。



 それは、20年以上も前に男友達がくれた物。高校生だった私たちは、友達として仲良くなった。彼の方には彼女がいた。私はそれを邪魔するつもりもなく、ただ自分の思いは胸に秘め、友達でいる事を選んだ。だから友達として、時には一緒に遊びに行ったりもした。もともと他の男子からも男扱いされるような私には、何の心配も必要なかったのだろう。

 高校を卒業し、私は県外の大学に、彼は県内での就職が決まり各々の道を進んだけれど、離れても友情は続いていた。電話で彼は、他の友達と一緒になって下らない漫才をして私を笑わせてくれた。地元に帰ればまた一緒に遊んで、いつの間にか酒もタバコも覚えて、夜遅くまで遊ぶ事もあったのに、それはいつまでも友情の枠を越える事は無かった。

 友達であるおかげで、いつまでも気兼ねなく電話をしたり、会ったりできた。はずだった。


 ある日、初めて彼の方が私の住むアパートに遊びに来る事になった。2泊3日で帰る予定。どこに行くとも予定は立てず、ただ、来る事だけが決まった。その頃の彼が、彼女とどうなっていたか等聞きもしなかったから、その辺の事情は分からない。どうせ私はいつまでも男扱いなのだから、私が気にする事もないだろうと思っていた。当然手料理なんて振る舞わない。近所のファミレスで夕飯を済ませ、帰りにコンビニでお酒とツマミを買い込み、2人でアパートに向かった。

 彼はお土産に、友達との漫才を吹き込んだカセットテープを私にくれた。お酒を飲みながら、その下らなすぎる漫才を聞き涙が出るほど私達は笑った。彼は恥ずかしがりながら、その漫才をしていた時の友達との面白エピソードを交えつつ出来の悪さの弁明をしたりした。そのどれも、全てが楽しかった。


 タバコを吸う時、彼はジッポを使っていた。丸みのない、角ばったジッポで『結構、レアもん』と言ってそれを見せてくれた。ケース上蓋には“THE FIRST ORIGINAL ZIPPO 1932”の文字が刻まれていたが、レア度は良く分からなかった。それでも蓋を親指で押し上げると“カキン”と小気味いい金属音がして、ただそれだけで、格好いいと思えた。冗談で『ちょうだい!』と言ったが返事は『やらねーよ』と、私が出した右の掌は、彼の右手にパチンと弾かれた。


 それなのに。


 いつの間にか、飲みながら寝てしまっていた。が、起きた時に彼はもう、出掛ける準備が万端に整っている状態だった。


「もう起きてたの?早いね」

「あぁ、俺、やっぱ帰るわ」

「え?何で?明日帰るんじゃないの?」

「あぁ、んー……ん。帰るよ。あ、コレやるよ」


 そう言って彼はテーブルに置かれたジッポを私の方に押しやった。


 「え?え?だって、コレ……」


 とにかく寝起きで頭が回らない私をよそに、彼は立ち上がって帰ろうとしていた。

 私は何が何だか分からなかった。もしかして、イビキがうるさかった?歯ぎしりでもしてた?寝言で変な事言った?私が寝ている間に何か……何かとてつもなく失礼な事をしてしまったのだろうか……?不安だけが頭を埋め尽くす。いくら友達とはいえ、男と女。そこに、何かが生じてしまったのか。


 何も確認する事が出来ないままで、彼は呆気なく帰ってしまった。寝起き姿のまま、ボサボサの頭と恐らく呆けた顔のままだっただろう私は、追いかける事も出来ず……玄関でサヨナラを告げられた。部屋でひとり残された私は、彼が置いていったジッポを手に取り“カキン”と、蓋を上げてみたり“カチャン”と、閉めてみたり何度か繰り返しながら、ただボーっと考えていた。帰り道、分かるかな?初めて来た場所、来る時はファミレスに寄り、コンビニに寄り、寄り道しなくても最寄り駅まで歩いて15分はかかるのに、そんな道のりを覚えているとは思えなかった。


 彼の後を追いかけるか……そう思って軽く身支度を整えていた時、家のチャイムが鳴った。そこにはバツの悪そうな彼の姿があった。


 「……帰り道、どっちだっけ?」


 「送るから、ちょっと待ってて」 

 私がいつもみたいに笑ってそう言うと、


 「いいから。ひとりで帰るから。どっちだったかだけ、教えて?」

 いつもの様子とは違う、少し真面目な雰囲気に押し負けて、道順を伝えると、彼は右手を出してきて


 「ありがと。じゃあ」 


 と。その差し出された右手に応えて私も右手を出すと、握られた瞬間にグイっと引っ張られ、私は彼の胸に引き寄せられた。彼の左腕が私の背中に触れると一瞬力が入り、体はピッタリとくっ付いた。


 理解の範囲を越えたこの行動に、何の反応も示す事が出来ずにいると、今度はグイっと体を引き剥がされた。


 「わりぃ。今度こそ本当に帰るわ。もう大丈夫だから」


 優しく微笑んでそう言うと、彼は今度こそ本当に帰って行った。



 それからは、もう会う事はなかった。



 完全に不完全燃焼の恋だった。会えなくなると分かっていたなら、友達じゃなくなると分かっていたなら、もっとちゃんと、盛大に告白して、盛大に振られた方が良かった……のかもしれない。暫くは、そんな思いに囚われていた。

 

 彼が残していったジッポは、大事に大事に使い続けていた。オイルの入れ方を覚え、ホイールが堅くて回らなくなれば、フリントと呼ばれる石を交換する事も覚え、いつでも元通りの姿で返せるように『やっぱ返して』と、言ってこられてもいいようにしながら使い続けた。

 


 

 引っ越しを重ねて行く中で、大事だったものも少しずつ処分し、あの漫才が吹き込まれたカセットテープも無くなってしまったけれど、いつしか使わなくなってしまったそれは、いつもいつまでも“燃えないゴミ”の片隅にいて、気が付いて手に取り“カキン”と音を鳴らしてみても、オイルの匂いさえも無くなるほど乾ききったレーヨンと、石がすり減って回らなくなったホイールでは、もう火を灯す事は出来ない……。


 それなのに、今度こそ捨てようと何度思っても結局はゴミ箱の片隅に居続けて、完全に捨て去る事が出来ずにいる。

 シミだらけで汚れてしまっているのに、それでも擦れば少しは輝きを取り戻す。あの頃の輝きには及ばないまでも、艶めいているそれを、やはりどうしても、私は捨てられないままなのだ。



 

 

 

 




 

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