夢の続き~エピローグに変えて

10 夢の続き

彼女の夢をみていた。俺は大広間の銀の椅子に坐って、彼女があいつと踊るのを眺めていた。彼女のドレスは美しく、お姫様の気品たる風貌を備えていた。

彼女のその長い紙が、美しい靴が、首から下げられた宝石が、そして何よりも波打つその体が、ずっと俺の頭の中を駆けめぐる。美しく輝くその彼女の隣に、もしあいつじゃなくて俺がいられたらどんなにいいだろう。銀の椅子から身を乗り出して、俺はそれを眺めるだけの存在。

そう思っていたら、彼女がきれいな足でもって俺のところへやってくる。その顔は晴れやかで、何の不安な要素も隠していない美しく無垢で喜びに満ちた、姫というよりは女神のようなものだった。

「そこの紳士。踊っていただけませんか?」

俺は恐る恐る彼女の手を握る。踊り方なんて俺は知らないはずなのに

彼女の隣で踊っている。

彼女は小さく笑って、

「踊り、お上手ですね。あなたは美しい。今度私の別荘へ遊びにきませんか?あなたと夜をともにしてみたい。お待ちしていますよ。来なかったらただじゃおきませんからね。」

彼女は俺にハグをして、そしてその手に、小さな紙と、宝石でできたペンダントを渡してくれた。

彼女が俺に初めて夢を打ち明けてくれたのは、高校受験の直前、電話をしながら二人で勉強をしているときだった。

「ヒーローって受験勉強しなくても大丈夫でしょ。」なんて冗談を言っていたあいつは、睡魔に襲われそうになりながら参考書を開く俺に、夢をとうとうと語ったものだった。でも俺は、ペンを持ったまま、机のうえで眠ってしまっていた。耳の奥に響くのは、彼女が打ち明けてくれる夢のぬくもりだった。俺はただ、その温かい声を聞きながら、「いい夢みろよ。」とだけつぶやいたらしい。そのときすでに眠っていた俺にはまったく記憶が関与しえないことなのだが。

あの夢の続きをしっかり聞いておけばよかった。ちゃんと最後まで話を聞いてやればよかった。俺は人の夢もろくに聞くことができない、ヒーロー失格の男だ。そう思っていた俺は、今こうして、彼女が話してくれた夢の続きを、目の前にみている。

でももしかしたら、それは夢の続きなんかじゃなくて、勝手に自分が彼女の夢の続きに書き込んだ、なぞの後付けストーリーだったのかもしれない。だってきっと彼女の夢の中に、俺はいない。彼女の夢の中にいるのは、俺よりもずっと強いあいつだけ。そしてこの夢が覚めない夢だと約束されない限り、俺の明日に彼女は、彼女は…。

『デイドリームビリーバー』の軽快な音楽が、夢の終わりを俺に告げたとき、俺はため息をつく。俺が彼女のために、自分のために作った彼女の夢の続きは、やっぱりどんなに頑張っても夢でしかなく、現実世界ではなんの意味もなく蹴落される。

世間はあいつのことなんか忘れたみたいに季節を進めていく。闇沢も守谷唯華も、普通に学校に登校指摘ている。俺だってそうだ。何もなかったかのように高校生活を過ごし、何もなかったみたいに、世間の中に溶け込んで、何もなかったかのように明日を思い描いている。心の中の誰にもばれないところに、ヒーローになる夢だけをを隠して。

朝、目覚ましが鳴っても、朝日が顔を出しても、夜眠ろうと布団にもぐりこんでも彼女はいない。彼女がいるのは、俺が勝手に思い浮かべる俺の頼りない夢の中だけだ。現実は人の落としたガムのごみやたばこの吸い殻、誰かの落とした紙の切れ端を踏みつぶすみたいに、誰かがこぼした夢のかけらや、誰かが必至で追いかけている夢をつぶしながら生きていく。そこには何も残されていない。俺たちは、ただ明日を生きるためだけに生きる。夢なんて俺たちにはどうだっていい…。自分にそう言い聞かせる。そして心の中のヒーローを必至で捨てようとする。

人間は、大人になるために散々何かをあきらめなければいけない。何かを捨てなければいけない。未来に向けて歩き出すためには過去のことを気にしていては始まらない。でも、実は、あきらめたものも捨てたものも、そして本当に気にしないように歩いていた過去さえも、実はずっと残っていて、そいつが俺たちの大きくなった体を覆い隠すようにのしかかる。それをどれだけ取り除いても、どれだけ潰しても、人間の体を支配するそいつの勢いだけは止められない。だからそもそも夢泥棒なんてあり得ないのだ。盗もうといくらためしても、そんな簡単に盗まれないのが夢の強さであり、そんなものに夢を盗まれる夢は、もともとが夢じゃなかったんだ。

現に俺はあの日も、そして今もずっと夢に押しつぶされそうになりながら生きている。それはとても苦しくて、現実すらみたくなくなることもある。でもそれ以上に、俺はその夢のために生きようと決意して生きた方が、案外顔を挙げて生きていけることを知っている。それは…俺が大好きだったあのお姫様に教わったのだが。

夢水アスナは夢というものにたいしてどこまでも従順な少女だった。彼女の世界には夢しかなかった。俺が初めてであったその日から、彼女は夢の話をよくしていた。目の前の現実的な話なんて、彼女は見えていなかった。見えていなかったんじゃなくて、彼女の中でそういうことは、空に浮かぶ塵みたいに見えたのかもしれない。逆に、人が夢について語りだすと、まるでおいしそうなえさでも見つけたみたいにそいつに食いつこうとする。彼女は夢を信じる人を好きになって、夢を信じない人からは距離をおいた。彼女の読んでいる本はいつも夢に満ちあふれた、現実が子供っぽいと軽視する本ばかりだった。

彼女は努力という言葉を嫌った。彼女は頑張るといわれるのを嫌った。彼女にとって夢というのは、そのうち自分から歩み寄ってくれるやさしい存在だった。もちろんそんなことは現実にはありえないのだが。だが、彼女にそれを気づかせようとすればするほど、この世界の不器用さが露呈する。努力しろといえば言うほど彼女の中で夢はすりへっていく。夢をかなえようとすればするほど現実のめは厳しくなって、彼女が一番大切にしていた夢を潰していく。

「おまえには無理だ。」

「おまえはそんなに強くない。」

「おまえは夢しかみていない。」

「とにかく頑張れ。」

言葉の弾丸に打たれていく彼女のことを、俺も含めた現実世界の人間は、みてみぬふりをした。なぜならそうせざるを得ないからだ。どれだけ彼女のことを友人と思っていても、そんな彼女の味方をすることは、現実的に不可能だった。それほどに彼女は夢に浸水した、夢を愛して、夢に愛された少女だった。だからそもそも彼女がこの現実世界で生きていくことにはむりがあったのかもしれない。

だが、そんなふうに夢に対してある種の限界を作ってしまったとき、夢は意識を失って死んでいく。俺たちは、殺虫剤をまいて虫を殺したり、肉を食べるために牛を殺すすのと同じ感覚、いや、もっと鈍い感覚で夢を殺す。それを正義と信じる人のそばで。

香山ユメキという、彼女にその夢の実現を約束してくれたヒーローと接吻を交わした後、彼女の体を悪夢が包んだ。お姫様になるべき彼女の体は悪夢にえぐりとられ、心の中に少しだけ残されていたはずの純粋な夢は食われていく。悪夢から解放されるためには、きちんと目の前の現実を知って、夢の世界から脱却するしか方法はない。お姫様になりたいという、

夢でしかなかったその幻想を、うまく現実世界に適合させなければいけなかった。

でも彼女はそれを選ばなかった。なぜなら彼女は本当に夢を愛していたから。本当に夢に愛されていたから。彼女はそういう馬鹿な人なのだ。人は彼女の記憶すらなくしたみたいに、夢に沈んだ馬鹿なお姫様として彼女を笑うだろう。もちろんそれはそうしていただいて結構だ。

でもみんなは知らない。そんなふうに笑うことで、じつはたくさんの夢を踏み潰して生きているということに。他人の夢を奪い、他人の夢を笑い、自分は世界で一番だと思ってみて、でも気づけば自分にはなんの夢も残されていないから、明日のためにデスクに残った紙の束にサインをしていくひび向き合うしかない。それは、夢に覚えて現実をみずに死んでいった夢水アスナと、どちらが気の毒な存在だろう。その答えを出すのは俺ではない。そこに生きる人々である。

ただ俺は悔しいだけだった。夢に愛され、夢を愛した彼女に、俺の夢を潰させてまで、死ぬことを選ばせてしまったことを。悪夢にうなされた彼女は、現実世界の人間の立場から言えば、原因不明の死を遂げたことになる。自宅のベッドで血だらけのまま、彼女は死んでいった。だがそれはひとえに、悪夢にうなされただけなのだ。やっぱり人を好きになるというのは、それだけで悪夢となるリスクが高い。でも彼女が死んだのはそれだけが理由ではない。やっぱり、たくさんの人たちの夢のエネルギーを体に取り込んで、そいつを使って夢の世界を守ったからだ。彼女は自分の命を無駄にしたときに初めて、夢の恐ろしさを自覚した。努力することや頑張ることの意味を知った。夢というのが少なからず自分を犠牲にすることによって成り立つことを知ってしまった。でもそれを知った彼女は、もう何も話すことはない。もう彼女は、朝目覚ましが鳴っても、夜眠りに落ちるときにもいない。彼女がいるのは…。

「いらっしゃい、小原君。」

ラボの扉をあけると、正夢さんが笑顔でお茶を進めてくれた。彼女が来るまでと変わらず、そこにはミアさんとナナオさんが喧嘩をしながら夢食い虫の世話をしている。ユメキは必死にクレーム対応に追われているのか、赤い目の下にくまを作っている。

「あのー…。新しい夢がほしいんですけど。」

「新しい夢って、君、ヒーローになる夢はあきらめたの?あと、ミュージシャンは?」

真顔でそう聞いてくる香山ユメキに、俺は無理してでも笑ってみせる。

「最強のミュージシャンになって、おまえとキスしたやつが俺のライブに来てくれる夢を見せてくれよ!俺はあいつにあいたいんだ!」

ユメキはニヤッと笑った。その笑顔を俺は今でも忘れられない。久しぶりに彼女のことを話題にしたからかもしれない。俺は彼女が死んで夢の世界が元の

安定を取り戻したあとも、よくラボには出入りしていたのだが、ユメキのためにも、そして俺のためにも、お互いにとって大切な存在だった死んだ女の名前を口にすることはよくないことだと思っていた。でも俺は気づいていた。ユメキはあれ以来あまり笑顔を見せなくなった。夢売りは笑顔で仕事をするのが一番と、あの夢売りのせつめいしょに書いてあったはずなのに、彼の表情はいつだって暗かった。そんな

ユメキが、これ以上ないほどの笑顔を浮かべたのだ。何か明暗を思いついたからなのか、それとも久しぶりに彼女の話をしてうれしくなったからなのかはわからない。それでもユメキの笑顔を見れて、俺まで安堵がこみ上げてくる。

「わかった。任せろ。僕はヒーローだから。」

「いや、ヒーローは俺だ。」

俺たちは決着をつけるために、また野球ごっこをしてみたりもする。こんな

ことも、あいつのおかげでできるようになった。やっぱりあいつは、ヒーローになり損ねた俺たちのことを救ってくれようとしている。

でも、本当の意味で俺に夢を見せてくれたヒーローは、やっぱり香山ユメキなのかもしれない。

それは、彼女が死んでから半年ぐらいが立った、少し寒い春の日だった。夜眠ろうとしていたら突然キョロチャンから電話がかかってきた。

「ばらちゃん、やばいよ。こないだ路上ライブに来てくれたお姉さん、ライブハウスの店長さんだったみたい!今度ライブハウスでライブやってみないかだって!いよいよ俺たちのメジャーデビューも近いな!」

俺はそのとき、少しだけ確信が持てた。これはきっと、夢のおかげなんだと。

ライブハウスは、俺たちの住んでいる街から少し離れたところにある、俺たちもびっくりするほど大きなライブハウスだった。俺たちのほかに、いくつかのバンドも一緒に演奏するみたいだったから、ワンマンライブとは行かなかったが、それでも45分ぐらい俺たちだけの尺がある。こんなうれしいことはない。

友人や家族、そしてそのまた知り合い二までたくさんのチケットを売りさばいた。もちろん高校生にとってそんなに安いものではないのかもしれない。だが、それでもたくさんの仲間がチケットを買ってくれた。そしてその中には、夢泥棒に姿を変えて、夢水の妹を苦しめた闇沢響の姿もあった。

チケットに書かれたのは、というか俺たちが書いたのは、「音楽で夢を売る情熱ライブ」だった。俺たちが住む現実世界は、夢売りもいなければあんな夢を売る枕も本当は存在しない。夢は売られるものではなく自分でみるものである。でも、だからこそ俺は夢を売りたいのだ。夢を盗まれた、夢をなくした、夢を潰された人たちのために。明日を今でも探す孤独な現実主義者たちのために。そして…夢におぼれて悪夢の中死んでいった大好きなお姫さまのために。

「それでは最後の曲です。皆さん、俺たちにずっと夢を見せてくれて、ありがとう。今夜もいい夢みろよ!」

キョロチャンがバチを振り上げて、カウントをする。拍手がわき起こる中で、俺たちはあの曲を歌った。夢の世界を救うためにアレンジした、あの子守歌を。

でもなんだかそのうち子守歌のペースで演奏するのに飽きてきて、原曲のあの軽快なペースで演奏を始めた。するとみんなが立ち上がって手拍子をしてくれた。いろんな色の、いろんな大きさの、いろんな形の手が大きく振り上げられる。

そしてその中に、俺は確かにみた。

手をつないだ見覚えのある二人の男女が、楽しそうに曲に合わせてステップを踏んでいた。二人は美しい衣装に身を纏い、すべての俺たちが売りつけた不ぞろいの夢の中で光り輝く。俺は今どこにいるのだろう。夢の中にいるのだろうか。現実世界にいるのだろうか。今を生きているのだろうか。夢におぼれてしまったんだろうか。

ギターを持つ手が滑り落ちそうになって、あわてる。でも気づけば、やっぱり俺の手の中に、俺のギターはなかった。代わりに俺の手の中にあったのは、小さくて強い、お姫様の手だった。

ユメキは俺の夢をかなえてくれた。しかもそれは、枕なんか使わないで、なんの色もない、夢というものがおざなりにされた最悪な世界で、みんなが夢なんかに見向きもしないで歩いてしまうようなこんな世界で、ユメキは俺の夢を一つだけいや二つもかなえてくれたのだ。

曲が最後のコーラスにさしかかったとき、俺はその夢で握っているのかそうでないのかはわからないお姫様にささやいた。

「夢水…。もし俺が本当に世界を救えるヒーローになったら、俺だけのお姫様になってくれませんか?」

彼女はいつもは見せないいたずら心たっぷりの笑顔で小さく、本当に小さくこう言った。

「いい夢みてね、大好きだよ。」

夢みたいな現実で交わしたそのときの幻のキスを、俺は夢の続きと名付けた。そして今も、そんな夢の続きを見せてくれた彼女に感謝せずにはいられない。俺のために、絶対にかなえることができない夢を売ってくれた彼女はもういない。彼女は、俺の夢の続きにいるのだから。

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夢売りたちの24時 夢水明日名 @Asuna-yumemizu

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