いいゆめ見てね

9 いいゆめ見てね

その後私たちは小原に子守歌を投与して眠らせた。小原の寝顔というのは実に温かくてかわいいものだった。今は悪夢に苦しんでいる兆候はみられない。ミアさんによると、あと数10分助けるのが遅かったり、子守歌の投与が間に合っていなかったら、きっと小原は悪夢の手に落ちて、自分の夢を捨てていた可能性があったかもしれないとのことだった。

スエーロさんにすぐに駆け付けてもらって、ポケットの中にある夢はリサイクル工場に回してもらった。

「夢水さん。くさった夢というのはね、ずっと自分が保持していると大変なことになるのよ。」

眠っている小原のおでこを、まるでお母さんのようになでてやりながら、スエーロさんは私に言った。

「どうしてなんですか?夢を持ち続けることはいいことなんじゃないんですか?」

「そうね。確かに、夢は持ち続けること、信じ続けることが大切。でもね、

もう腐敗してしまっては、それはいい夢ではない。持っていても当人を苦しめるだけのトラウマにしかならないの。」

スエーロさんのいうことはよくわかる。でもやっぱり私は、いくら腐敗した夢であっても、それを信じ続けることも大切なんじゃないかと思ってしまうのだ。今それを持って苦しんでいる小原のことを眼前にしても、やっぱりこの不条理だけは受け入れられない。

「しかし、スエーロ。」

ユメキはスエーロさんをラボの椅子に坐らせて尋ねる。

「本当に彼は、その自分の捨てた夢をポケットに入れていたからこうなったと信じられるような妥当性はないだろ?」

「さすが、香山君。わかってるじゃない。彼はおそらく、自分のくさった夢の制でこうなったんじゃないと私は考えているわ。もちろんこのくさった夢が悪さをしているという可能性も否定はできない。だけどね、さっきゴミ処理場の空気センサーを確認したら、やっぱり夢食い虫が散布されていたわ。だからあそこにうずたかく積まれていた夢の数が極度に少なくなったの。でも、その代わり夢食い虫はごみ処理場に毒素を大量に放出していて、今やもう立ち入ることのできないほど毒素レベルが高くなっているわ。彼の体が汚染されたのはそのせいね。」

「ってことは、末吉さん、もうあのごみ処理場へは戻れないの?」

「必死で空気星条旗を回してはいるけどね、やつらは完全に、夢を食う最悪のプロセスを始めたということよ。こうなったら私たちが、現実世界のエネルギーを大量に取り込まない限り、私たちの世界はもう終わりを待つしかない。」

顔面蒼白になる夢ラボの職員たちをよそに、一人だけ万歳をしている人がいた。正夢さんである。

「やっと完成した!さて、時間がないから始めよう!」

「え?何か作ったの?」

私が、少し遅れた店舗で、そのつかの間の喜びを追いかけた。

「いまだ現実世界に残された人たちのうち、役半分に当たる30億人の個人の枕に、無作為に夢を転送させ、エネルギーを確保する作戦。危険が伴うから、あまり多くの人に口外していなかったみたい。」

ミアさんが簡単に説明してくれた。さっきスエーロさんが言っていた、エネルギーを集めない限り、という話はこれだったらしい。

「じゃあ、オスよ。転送ボタン。」

正夢さんは大きく深呼吸をして、その小さなキーボードを押した。そのときである…。

耳を劈くような大きな爆発音がした。ラボは大きく揺れ、棚から本や薬の瓶が落ちた。ミアさんがあわてて瓶のガラスが割れていないかを確認する。

スエーロさんがこわばった顔で私たちを見つめる。

「私は、行かなきゃ。とうとう始まってしまったわ。世界の終わりを告げる音よ。ゴミ処理場が崩壊した。」

ゴミ処理場の崩壊。それは、この夢の世界を考えるうえで、もっとも恐ろしいシナリオの一つとされている。ゴミ処理のタンクが許容範囲を超えて爆発し、タンクの中に給っていたゴミが空中に放出される。それは大量の汚染物質という名の悪夢になって、この世界に降り注いでいく。こうなってしまっては、外出はおろか、ラボの中で息をすることさえ難しくなってくる。

「こっちのエネルギー転送には問題は起きてないよ。」

正夢さんが、少しでもみんなを安心すべく、今いらぬ情報を伝えてくれた。彼によれば全員にエネルギー転送が終わるまでには一晩かかるらしい。その一晩の間に何かが起きないことを願うばかりだ。と言いたかったのだが、すでにゴミ処理場の爆発という最悪の事態が幕をあけた以上、予断を許さない状況となってしまった。

「小原が目覚めたら敵陣に乗り込もう。」

ユメキが、なんとも大胆で恐ろしい作戦を提案する。なぜそういう作戦が提案されたのか、私にはわからなかった。しかしなぜだか、その作戦以外に実行できる作戦がないとわかる。今一番安全なのは、きっと夢泥棒のいる場所なのだから。

そのとき、私はあることを思い出してしまった。それは正直なところ、今思い出すべきことでなかったのかもしれない。だが逆に言えば、今思い出せたことが一番の幸運だったのかもしれない。そう思えるほど、わたしはある日との存在を、つい今の今まで忘れかけていたのだ。

「ねえ、ユメキ。そういえばスズナは?あの子、こないだ夢をうるために営業に行ってから、ラボに帰ってきてないじゃない。私、探しに行きたい。」

すると、ユメキの顔色と同時に、スエーロさんの顔色が川っだ。

「まずいわね。もしかすると、あの夢食い虫、現実世界も壊すほどの勢いがあるかもしれない。誰かを現実世界に派遣させたほうがいいわ。」

ゆめきはしばらく何かを考えていたが、決心がついたように私を見つめる。

「現実世界への偵察を頼む。もしかしたら恐ろしい惨状になっているかもしれないし、場合によってはとても危ないかもしれない。もし自分の命が危なくなったらすぐにでもこの枕を使って戻ってきてほしい。今は自分の命が再優先だ。」

ユメキの気もちは痛いほどわかった。だが私にとって、今一番大事にしたかったのは、スズナのことだった。もしスズナが何か大変な目に会っていたら、それを救うことを最低限やりたかった。だがそんなことを言っている場合ではないのかもしれないこともわかっている。私はなんとなくわかっていた。現実世界は自分がおもっている以上に最悪な状況になっているということを。そもそもユメキが期待しているように、自分が生きて帰ってこれるかどうかなんかわからないのだから。

「私はスズナを助けたい。だからもしかして帰ってこられないかもしれない。でも、行ってきます。」

私はドリームミラーを構える。これを使って現実世界に入るのは初めてだ。だが、現実世界に入った場合、夢の世界に戻るには、この枕を使うしか方法はないらしい。ミラーは現実世界ではただの鏡にしかならないらしいのだ。

久しぶりに、まるでふるさとに帰るような気もちで現実世界に戻ることになる。でも私にとって、その現実世界は、ふるさとなんかとは呼べないほど、みすぼらしく崩壊しかかっていた。

鏡の向うに転送されてまず目に入ったのは、自分の部屋ではなく、だだっ広い街路だった。そこは、学校に行くときにいつも通っている広い繁華街のようなところだった。太陽はもう沈んでいるのだろうか。やけにお店の伝統がまぶしい。きっともう夜になってしまったのだろう。現実世界の夜と言うのは夢が花を咲かせるはずの時間帯だ。

でも、そのとき私が目にしたのは、夢の花なんか咲かない、もっと恐ろしくて残酷な景色だった。

自分のそばをゆっくりあるいていたように見えた親子連れが、突然なんの前触れもなく倒れた。彼らは悲鳴を挙げながら床に座り込む。

そばに誰かがかけよろうとした。だがその日とも突然倒れこむ。サイルイスプレーでもまかれただろうか。それとも熱中症だろうか。でも熱中症が発生するほどの気温ではないはずだ。

私にはその倒れた理由の予想がついていたのに、何も知らないかのように振る舞った。

突然道端に倒れた人たちが、意味もなく泣き出したのだ。自分の胸を抑えながら、ポケットの中のハンカチを探りながら泣き出した。そう思えば、あちこちから異臭もしてくる。異臭とともに聞きなれない水の音のようなものもしてくる。路面がぬれ初めていく。

彼らの意識は完全に悪夢化している。もうすでに、現実世界が夢食い虫の毒素にやられているとわかった瞬間だった。

よくみると、いくつかのお店の看板が壊されていた。壊されたというより、何か車でも突っ込んだのかと思わせるほどひしゃげて曲がっていた。もしかしたら本当に車が突っ込んだのかもしれないが、それにしてもかなりの壊れようだった。

手を打つのが遅かった。私はそれしか考えていなかった。スズナを探さなければいけないのに、地面にたくさんの人たちが眠っていて、そして夢の意識の中に閉じ込められている制で、どんなふうにして歩けばいいのかわからない。スエーロさんにもらったマスクをしっかりとつけ直す。自分も、現実世界を汚染している夢食い虫を吸い込んで、悪夢に意識を吸い取られかねないのだ。

たしかミアさんは、夜泣きやおねしょを発症するのは、バルネラブルジェネレーション(VGチルドレン)だけだと言っていたはずだ。彼らは悪夢に簡単に影響を受けてしまい、すぐに体に出てしまうからだ。でも今地面に寝そべって泣いたり小水しているのは、もちろん子供もいるが、半分近くは大人だった。彼らはまるで人間であることを忘れたみたいに泣き出している。このままだと、現実世界からどれだけ夢のエネルギーを転送させても、悪夢の侵食のスピードにかなわない可能性もある。本当ならこの事情を早く夢の世界に戻って伝えなければいけないとわかっている。でも私が今やりたいこと、やるべきことは…。

「こら、離せよ!てめえらも殺すぞ!」

「落ち着きなさい!君は…!」

一人の女性が警察官ともみ合いををしている。だが次の瞬間、彼女の振り上げたナイフが警察官の胸を貫いた。警察官が地面に倒れる。血まみれの警察官が、うめき声をあげる。何人化の人たちがそれをみて駆け付ける。

「よかった、邪魔ものが消えてくれて。さあ、あんたらも始末するから、待ってて。」

それが誰なのかを、わたしは目で判断できても、それ以外の体で、心で、意識では判断がつかなかった。ここは本当に現実世界なのかと疑う。

私はテレビで、無差別殺傷事件の映像をなんどかみたことがあった。それすら、現実に起こったものとは思えないほどの迫力だったのに、今目に移る光景はまさにそういう雰囲気があった。

彼女は猟奇的な生き物に姿を変えていた。でもその顔は、普通の人間の顔でもなかった。おそらく今の彼女に何を話しても、きっと彼女の心には、耳には届かない。なぜなら彼女は、どうしようもない夢遊病に取りつかれてしまっているのだから。

彼女の中にある、解決してくれない不安や、悪夢に対する恐れ、そして意識だけが覚醒したその体が、完全に彼女という生き物を、人間と言うカテゴリーから解放している。今彼女は感情だけで生きている。理性も頭脳もロジックも何もない。きっと、営業に言ったまま現実世界で眠った彼女に、何者かが悪夢を吹き込んで、そのまま夢遊病者に仕立て挙げた。そのまま、妄想の奥深くに沈み込んだ彼女は、誰が難と言おうともナイフを購入し、自分の意識の及ばないところで人を次々と殺していく。きっとあんなふうに店の看板がいくつも壊されているのも、彼女の制なのだろう。人間、本気の力を出せば、ほんの小さな女の子だって、簡単に建物だって破壊できるのかもしれない。そう思わせるほどに、彼女はかいぶつのような目をしていた。まるで悪夢を体現するかのように。

彼女は犯罪者であるが加害者ではない。彼女は殺人鬼であるが悪人ではない。彼女は私が一番に組む行動をとっているけれど、完全に憎むことはできない。私は彼女を止めるべきなのだが、止めることはできない。彼女を本当に止めるならっ。

ふとみると、自分の高校の征服を着た男子学生たちが並んで歩いているのが見えた。彼らは、スズナがナイフを振り回している方向に、何も気づかずに歩み寄っていく。

「だめ…!」

私がそう叫んだときには、征服姿の男子学生の一人は、もう彼女に胸部を着られていた。

私はその学生を知らない。きっと離したこともない。でもたしかに、同じ学校の生徒が殺されたことだけはわかった。

「スズナ…!いい加減にして!あなた、忘れたの?夢の力を、夢の美しさを…。お願い、思い出して。」

私は、彼女が思い出すまで、彼女から預かったノートをかばんのなかにしまったままにしておくことにした。彼女は、もし自分が夢を忘れても、このノートだけはもっていてほしいと、旅行でとったたくさんの写真に彩られたそれを、わたしに託してきたのだ。

「何、あんた。キモいんだけど。夢の美しさとか興味ないし。わたしはもう人を殺すことでしかいきていけないの。世界中の全員を殺して、また1からやり直したいの。ね、いいでしょ、お姉ちゃん。」


人間は、感情のままに動くとどうなるのかということを、私はこのときにようやく認識した。

かばんの中から私が取り出したのは、なぜだか夢の世界に戻るときに使うべき枕だった。

私はその枕を、まるで修学旅行のそれと同じように、勢いよく彼女に投げつけた。彼女はナイフを取り落とした。枕は見事に彼女の顔に命中し、そのまま頭に張り付いた。

「ごめんね、スズナ。あたしにはあんたを止める方法が思いつかなかった。だからこうするしかなかったの。」

スズナの取り落としたナイフで彼女を殺した後、わたしから涙があふれ出る。周りには、夜泣きやおねしょに襲われた人か、もしくはスズナによって殺された人間しかいない。道端には文字通り、地と涙と吐瀉物しかなかった。魂なんて人かけらもなかった。そしてその中に、等の私もいた。

もしかして、悪夢に沈むというのはこんな気もちなのだろうか。私は、夢食い虫を吸い込んでいないはずなのに、今みているこの惨状が、どうしても理解できなかったし、そもそもこれが本当のことなのかさえわからなかった。魂が抜けきったスズナの体は、最後に夢の世界でで生きた彼女を見たときと同じように、笑顔だった。かばんから取り出したノートを、彼女の何もなくなった手に握らせる。ノートに血がにじんでいく。でも自然と、そのノートの写真たちが、まるで生きているように彼女の中に入っていくような気がした。きっと、人は死ぬときに、自分の持っていた夢を自分に返してもらう必要があるのだ。たとえそれが誰かに踏みにじられ、盗まれ、潰されたとしても。

ふいに、すごい勢いで頭に何かが触れたのはそのときだった。

「ちょっと、アスナちゃん。あなた無茶しすぎよ。」

気づけば私は、夢ラボの近くの草むらにいた。

「す、スエーロさん。」

私の頭に、営業枕を張り付けたのはまぎれもなく彼だった。だがどうやって夢の世界からあの枕を現実世界の私の頭に張り付けたのだろう。そんな芸当はこの枕にできるのだろうか。

「あなたが無茶するとおもって、黒子になって現実世界に潜入してたら案の定よ。これじゃああなた、文句なしで犯罪者よ。」

「だって…あのままじゃああの子、悪夢に取りつかれて夢遊病になったまま、街の人をみんな殺しちゃうかもしれなかったんです。それを止めるためにはあれぐらいしか思いつかなくて…。」

スエーロさんにはそうやって言い訳を下が、実際よく熟考すれば、そんな

アイデア以外にも、いろいろと何かできることはあったはずなのに、それを選ばなかったのは自分をつき動かしたあの感情のせいだった。そんなふうに

悪夢に取りつかれたスズナをみたくはないという、ある主のやさしさであり、ある主の無知さであり、ある主の自分の一番極悪な部分だった。

「でも、スズナちゃんが街の人にしたことと同じことを、あなたはスズナちゃんにしたのよ。あなたはスズナちゃんが夢をみれた可能性を、物理的に潰してしまったのよ。いくら街の人を守るためとはいえ、ドリームミラーを使って彼女の意識に入り込んで悪夢を対峙するぐらいの脳はなかったの…?」

正直私は、スエーロさんがここまで怒りをむき出しにして怒っている様子をどうにも創造できなかった。彼は女っ気が強いからではなくて、いつも温和なイメージがあったからだ。でも今たしかに彼は、わたしに対して怒りをあらわにしていた。そして今私自身の中にも、私自身に対する途方もない失望と怒りの水が湧き上がっていた。

私は夢売りとして、正直一番やってはいけなかったことをやったのかもしれない。いくら彼女を止めるためとはいえ、これから夢を描くことのできたはずの彼女の魂を、人生を、そして彼女の夢さえも、このナイフで全部なかったことにしてしまった。悪夢に取りつかれているのは、スズナだけではない。あの血だらけの現実世界に生きる人たちは、死んだかすでに悪夢に侵食されている。別に夢食い虫なんかが現実世界にまで飛び散らなくても、すでにもうスズナも含めた全員が悪夢に汚染されていて、取り返しのつかないことになっているのに、どうして彼女を殺すということだけを選んでしまったのだろう。自分にいくら問いかけても答えが出てくることではない。自分はたくさんの人の命を守った、そして夢を守ったと思い込んで、悪夢に取りつかれた罪のない自分の妹を、現実に存在する刃で完全にたたきのめしてしまった。ただ現実世界を眺めてそれで終わりにすればよかったのに。自分がしたことは、完ぺきにとは言わないが、いや完ぺき以上に、夢泥棒が夢を潰したそれとほとんど同じだった。つまり私は彼らの手にまんまとひっかかってしまった。

「ほら、反省し終わったら早く着なさい。飛行車を待たせてるの。あなたが本当に夢を愛してるなら、この世界を救って見せなさい。」

そこには、水陸両用の車、ではなく、陸空両用の車が止められていた。といってもその車はずっとラボの前に止まっていたのだが、めったなことがなければ使われることはなかった。スエーロさんはこの車を使って、この世界を守ってみせろと言った。

「あら、あなた。運転したことないの?」

スエーロさんは助手席にそっと腰を下ろす。飛行車はおろか、車の運転すらしたことがないのに、いったいどうやって運転しろと言うのだろうか。

「ほら、ハンドルを握って!しっかり回すのよ!」

スエーロさんの大きな声が耳に響く。そんなこと言われてもと思いながら、だまされたと思いながらハンドルを回すと、たしかにそいつは空へ舞い上がった。

飛行車に乗っていると、私はとことん夢を信じきれていない弱い夢売りだったんだと気づく。

「飛行車を運転するのに必要なのは、運転技術でも車の免許でも視力でもない。夢を操る力だ。」

スエーロさんは、空へ舞い上がる車の中でそう言った。

もしそれが本当なら、私は今夢をまったく操れていない人間ということになるんだと、自分の頭の中の残念な自分につぶやく。

車をどれだけ自由に動かそうと思っても、風にあおられて不安定になってしまったり、自分がそんなつもりはなくても突然スピードを挙げたり、風に乗ってはばたこうとしない。これでは地面を走らせたほうがいいような気もしてくる。もしこれで、夢食い虫やゴミ処理場の悪夢でもって夢泥棒たちが追撃でもしてきたら、私の車は、というよりラボにある車はあっさり壊れてしまう。しかもそれは追撃に原因があったとしても、うまく操れていない私の制ということになるのだ。

きっとこんなふうに車が不安定な動きを見せるのは、さっき私がしたことにも原因があるのだ。私はついさっき、夢を、そして夢をみていた人を殺めた。悪夢にうなされた人間を殺して、正義の見方になった気分になった。そんなことでは世界なんか救えないと自分が一番知っていたのに。

自分の夢を信じられなくなった私は、夢の世界ですら自分の夢をまったく操れない人間になっていた。

私は車からおりたくても、スエーロさんから預かった任務を達成するまでは降りれないことぐらいわかっていた。それなのに、完全の車の運転ができないなんて。私の心の中の夢はもう市にかけているんだろうか。もしそうなら、私が夢売りになる素質や資格はああるのだろうか…。

鳥にぶつかったのか、それとも風にあおられたのか。大きく車が揺れる。どんどん車が下に落ちていく。このまま落ちてしまったら、車体はひしゃげ、場合によっては私の体だってそのままの姿を保っていられるかもわからない。夢に潰され、夢に傷ついて私は死ぬんだろうか。

「おい!」

目の前を赤い閃光が走りぬける。もしかして敵陣が追撃してきたのだろうか。私はその閃光を追うように、車についたサーチライトを動かす。その視線の先にいたのは、敵陣ではなかった。

「君はそれでも夢売りか?私に夢をみる喜びを思い出させてくれた夢売りの一人か?顔を挙げるんだ。空を飛ぼう。夢をみよう。私と一緒に。」

今守さんは、自分が夢の世界で乗っていたのと同じなのか違うのかわからないが、その大きな飛行機で、私のそばを飛んでいた。その顔には、涙も悩みも何一つない。そこにあるのは、夢を信じるための笑顔だった。

「今だ!戸部!」

私は忘れそうになっていた。いや、今も忘れてしまっていたのかもしれない。とにかく私は、夢をあきらめ、夢に潰されることしか考えていなかった。空はどこまでも続いて、一生懸命その空のうえを楽しんで飛んでいる人がいるのに。一生懸命自分の夢を守ろうと命がけで頑張っている人がいるのに。そして、一生懸命夢を信じたいと願う自分がいるのに…。

「夢を守りたいんです。夢を救いたいんです。先輩、スエーロさん、協力してくれませんか?」

今までよりずっと高く飛行車が空をと部。飛行機よりずっと高いところを飛んでいる。もちろんさっきまでの自分の罪が背中を押し潰しそうになることもある。それでも今の私は、誰かの夢を潰した分、違う人の残された夢だけは守って見せようとおもった。

「夢水!」

ふと遠くから聞きなれた声が耳に響いた。その声は、ずっと前から聞いていなかった声のようにも思える。その懐かしい声が、わたしの飛行車を揺らす。

「小原!」

彼はさっきまで悪夢の中に沈んでいたはずだった。彼はさっきまで悪夢の異様な力に体の全部をむしばまれていたはずだった。それなのに今彼はたしかに、わたしの飛行車に乗り込んだ。

「待って待って、うちらも!」

気づけばそこには、この世界を救う子守歌を作り出した情熱ローズのメンバーみんなが乗り込んでいた。

「小原、あんた、どうやって悪夢から解放されたの?」

私が面食らって質問するとキョロチャンが笑って答える。

「何言ってるんだよ、マネージャーさん。ばらちゃんは悪夢になんか負けない。俺たちのヒーローなんだから。」

「そうだぞ。うちらのばらちゃんに敵なんかいないんだから。」

とチズチャンも加勢する。

「小原が生き返ったなら、もう私たちにできることは一つだけだ。」

コウチャンも胸をはる。

小原ははしゃぐ3人とは対象的に、少し気まずそうな顔をしている。

「おまえら、やめてくれよ。おれの力だけで悪夢から解放されたわけじゃないんだ。めちゃくちゃ壮絶だったんだぜ。なにせおれは、17歳にしておねしょをやらかしたんだからな。」

おねしょというその言葉を聞いて、また私の頭の中に

恐ろしい現実世界の惨状がよみがえる。

「俺は深い深い悪夢の水のそこに沈んでたんだ。もう俺はこのまま死んでしまう。悪夢にやられちゃったんだっておもった。でもそしたらさ、誰かが泳いでくる音がしたんだ。魚かな?それとも怪物かなっておもったら、それはミアさんと正夢さんだったんだよ。」

「正夢さんが泳いだの?」

「そうそう。めちゃくちゃ楽しそうだったぜ。おねしょって、ただの汚水なのに、そんなこと気にせずに彼は泳いでたんだ。そして、今まで見せたことのないすごい力で、沈んでた俺のことを救い出してくれた。ミアさんがもってた夢食い虫とミラーの力で、悪夢を頑張って取り除いてくれた。だから俺は今ここにいるよ。」

「でも、どうして正夢さんは泳げたのかな…。」

考えてもしょうがないことを私は今なぜか考えていた。今は彼がなぜ泳げたかなんかより、小原がここにいることのほうが大事なのに。

「そんなの知るかよ。」

案の定小原は素っ気なく返事を返す。

「でもたぶん夢の力だよ。だってあの人の夢は、50メートル泳ぐことなんだからさ。きっとその夢の力を使って、いくらおねしょにおぼれたおれのことだって、救い出してくれたんだよ。やっぱ夢ってすごいんだな。」

そうだ。私は夢の可能性を忘れていた。夢を守ることは人を傷つけたり、思わぬ行動を起こしてしまうこともある。でも夢を守る力は同時に人を救う力にも変えることができる。さっき私がしたことは、夢を変に使ってしまっただけのことだ。間違った道に進んでしまったなら、急いで地図の向きを変えて、自分が見失いそうになっていた光のさすほうへ進んでいくべきなのだ。

「ああ、もうばらちゃんの悲喜劇の話なんかはもういいんだよ。とにかくおれたちは歌わなきゃ!」

キョロチャンが、どこにもっていたのか、小さなドラムを取り出す。

「私も準備できてるよ。私たちの歌を、夢の世界に響かせよう。夢食い虫なんて目じゃないほど最強の子守歌を!」

チズチャンもやる気だ。

「姉うえ。マイクをお貸しいただけないだろうか?」

ふとコウチャンが前を飛ぶ、今守先輩の飛行気に声をかける。すると、音もなく目の前にマイクが飛んできた。

「さあ、夢水。一緒に夢を追いかけさせてくれ。夢を守るという夢を。」

小原が、今守先輩から受け取ったそのマイクを片手に歌いだした。

耳に響くその声を、その音を背中に受けて、、車は少しずつまた上昇していく。

「よかった。私なんかいなくても、やっぱりあなたはできるんだから。どれだけ失敗しても、どれだけ傷ついても、這い上がってくる強い夢売りになりなさい!」

隣でそう言ったスエーロさんは、私が気づくともう姿を消していた。

私は、子守歌を奏でる情熱ローズの音に乗せて、この世界にいる人たちに、今のこの飛散で恐ろしい状況を伝えることができる。私は、マイクとミラーを同期させ、夢をみているすべての人たちに届くように叫ぶ。

すると、マイクの先から流れてきたのは子守歌だった。いや、子守歌じゃない。小原の、小原の澄んだ歌声だった。

小原たちの歌が、この世界中を包んでいる。空から降ってくるようなその声は、まるで今にも消えそうな星みたいに、それでも確かに私たちを照らしてくれる太陽みたいに、私の背中をやさしく押してくれた。これならば、きっと夢をみられるはずだ。ずっとこの世界は生き続けられるはずだ。ずっと夢は覚めずに、私たちを包んでくれるはずだ。

「皆さん、今あなたたちはどんな夢をみていますか?それはいい夢でしょうか。悪い夢でしょうか。どんな夢でもいいです。でももしそれが、自分にとってかけがえのない夢なら、絶対に離さないでください。落とさないでください。潰されないでください。そしてその夢をかなえてください。皆さんには、一人に一つずつ、夢をみる権利があります。生きる権利があります。もうすぐ世界が終わるとしても、もうすぐ皆さんの夢がどこかに消えてしまうとしても、皆さんはその夢を守る力があります。だからお願いです、ずっと夢をみてください!」

子守歌をかき消さないように、それでもちゃんと届くように、心のおくから響かせるように語りかける。それがたとえ誰かに聞こえなくても、誰かの意識に上らなくても、たった一人にだけ届けばいい。きっとその人は、ずっと夢をみて、潰されずに夢を持って生き続けてくれるから。少しの間だけ、悪夢がこの世界を支配するのを止める少しの間、みんなにはずっと夢をみてほしかった。

「君は夢に愛されているな。」

まるで何かの詩でも読み上げるように、今守さんはそう言った。

「夢に愛される?」

「夢に愛されれば子そ、君は夢に迷った。夢に愛されればこそ、今こうして私と空を飛ぶことができている。きっとそれはすばらしいことなんだよ。」

今守先輩の声が、なんだか少し遠くへ消えていくような気がしたとき、私の車の後ろを、さっきとは違う青い閃光が走った。そしてその瞬間、突然爆発音のような音がして、私は車ごとどこかへ吹き飛ばされた。

気がつけば私は草むらのうえに、まるで小さな獣みたいに放り出されていた。草むらはどこまでも続いていて、誰もいないように見えた。いったいどこまでこの草むらは続いているのだろう。木は1本も生えていないし、鳥だって飛んでいない。ただ私だけが、その草むらに寝そべっている。

「ここはどこだと思う?」

一人の少女が、わざと私をやさしく抱き起こした。そんな偽善は、今の私には必要ないというのに。その顔をみなくても、その人が誰だかわかるほど、私は彼女を憎んでいた。

「何の用。私を飛行車ごと爆発させておいて、ごめんなさいも言えないんだ。」

私は、彼女が飛行車を爆破したことも、私が草むらで眠っていることも

なぜだかすぐに予想がついた。彼女のような夢泥棒ならすぐにでもやりそうなことだと思ったのだ。

「どうしてそれを言う必要があるの?犯罪者をさばくのが私の役目よ。」

「あなたは犯罪者以前に泥棒じゃない。どうして人の夢を盗んだ人間にさばかれなきゃいけないの。」

堂々めぐりの議論になるとわかっていたけれど、私は彼女を許さずに追及し続けた。

「どうせそれはあなたの上司に吹き込まれたんでしょうけど、あなた、そんな戯れ言、まだ信じてるの。まあそもそも、夢そのものが戯れ言なんだけどね。そんなの、80や90になるまでサンタクロースを信じてる馬鹿な人と一緒だと思うわ。だから何度も言わせないでくれる?私は夢を盗んでいるわけじゃない。夢という現実から逃げる道具を取り上げて、みんながまともに生きるための手段を提供しているだけだから。」

その言い草は、彼女を現実世界で見かけたころと何も変わらない。彼女が現実世界で高校生をやってようと、夢の世界で夢泥棒をやってようと、きっとその態度は変わらないだろう。要するに、彼女は現実世界で、すでに夢泥棒としての仕事を成し遂げていた。事実、私が学校に行くことをやめたのも、この女の一言があったからだといえる。

「ここね、私の夢の意識の中なの。ほらみて!美しいほど何もないでしょ。」

確かにそこは、彼女の夢の中の意識なんじゃないかと思ったことがあった。夢にしてはあまりにも何もないし、何もないからこそ不気味で怖かった。それは、悪夢に襲われて苦しむことよりも、実をいえば恐ろしいようにも思われた。彼女は夢というものの本質を自分の中ら消し去って、自分が眠りにつくときも、ただ単に意識を失って体を休めるためのものだと思っている。布団にもぐりこむときに感じるなぞのわくわく感や、夢の続きが見られなくて感じる歯がゆい胸の内なんて彼女には関係ないのだ。彼女が求めているのは、夢や希望ではなくて、眠りだけなのだ。

「よく馬鹿な質問をされるのよね。昨日どんな夢みた?とか、将来の夢は何?ってさ。私は真顔で答える。そんなものはないって。将来の夢なんて、今時ないのが普通よ。だって、そんなものを持っていたって、どうせ邪魔になるだけなんだもん。そんなものを持っていたら、それが重くて歩けたものではないわ。いつかその夢にばかり縛られて、現実すらまともに受け取れず、現実から離れていく人だって大勢いる。こんなはずじゃなかった。私のかなえたかった夢はこんなんじゃなかった。そんなの、私はいや。」

「あなたはどうしてそんなに夢を軽蔑するの?あなたはどうしてそんなに夢を潰すことを考えているの?あなたには夢がないんだから、夢が重荷に感じたことなんかないはずだけど。」

私の質問を聞いても、彼女は少しも顔色を変えなかった。でも、まるで何かを思い出すように、ゆっくりとまた話を続けた。

「私の兄は夢に取りつかれた。兄と私は、兄が小学4年生ぐらいに

なるまで、漁師をしていた祖父と暮らしていた。祖父は遠洋漁業をしていて、ほとんど家にはいなかった。ある日祖父は兄にこういったそうなの。『俺は今から南の島に行って、財宝を探してくる。まだ誰もたどり着いていない、日本からずっと遠くにある南の島に、宝物が埋まっている場所があるんだ。おれは今からそこに行ってくる。帰ったらたくさん思い出話を聞かせてやる。』って。兄はそれを本気で信じた。もちろん祖父はそのつもりで航海を始めたのかもしれない。

でも祖父は帰ってこなかった。そのまま行方知れず。

兄は知ってしまった。夢は嘘をつくって。自分はこんな夢を持っているっていうことで、人は少しでも前を向こうとする。でもその内実は、実はそんなに強くて美しくて理想的に光物なんかじゃないって。そんな嘘をつくぐらいなら、現実に淡々と立ち向かっていったほうがずっと理性的で、ずっとまともだと思った。

人は夢というものに逃げるだけで、全然前に進んでいないの。夢をかなえるということは、ともすれば誰かを傷つけることになる。夢をかなえるということはともすれば自分を犠牲にすることになる。」

彼女は、そして彼女の兄は、夢をみて、夢に酔いしれて死んでいった祖父のことを取り戻したかったのだ。取り戻したかったからこそ、祖父のことを恨んでいる。祖父は魚をとるという現実世界を放棄して、宝が埋まっているはずの、夢にみた南の島へ航海することを選んだ。それを彼女の兄は、夢に逃げて現実を捨てた男の行動と解釈した。もちろんそれで祖父が生きて帰ってくれば、そんな解釈はしなかったのだろう。祖父が死んだ気持ちへの悲しみが、祖父に取りついた夢に対する恨みにすり変わって、彼女の兄と、彼女を襲ったのだ。

将来の夢を持つことや、夜に美しい夢をみることは、現実世界を歩く人たちの目を曇らせ、生きていく原動力になるどころかその人たちを殺しかねない凶器になりえると考えた彼らは、夢を潰す現実世界に加担し、そしてユメキが作ったこの夢ラボのシステムを壊そうとしている。

「それは違う!」

私は叫んでいた。彼女が私を止めようと、これだけは彼女にどうしても伝えたいということがあったのだ。

「私たちは夢に逃げて生きてるわけじゃない。私たちは夢というものを持って、今までもこれからも生きていくの。将来の夢がないのは、あなたたちがその夢を盗んだからでしょ。誰にだって、一瞬だけであってもなりたいものやみたい夢、かなえたいことはあったはずよ。それを奪ったのはあなたたち。みんなの夢を返して。みんなが幸せに生きられるように、夜いい夢をみられるようにしてあげて。みんなは夢で生きてるんだから。」

「そんなきれいごとは、とっくのとうに死語になったのよ。夢は私たちの世界には必要内。私たちはただ、現実世界の成り立ちに従って、やるべきことをしていていけばいい。それだけなのよ。」

「じゃああなたは何のために生きているの?」

止まらなくなる涙を必死に目の中に押し戻す。こんなことでないていては、自分夢を守る力なんかないみたいに思えてくる。

私たちの周りには、夢に逃げている人なんかいなかった。むしろ、夢をみようとすればするほど、その可能性を否定され、気づけば自分の夢がなんなのかも忘れそうになって

それでも必死で他人に夢を売っている少しへんで、それでも素直な人たちがいる。この子はそんな人たちを知らない。この子はそんなふうに、本気で夢と向き合って、本気で夢を信じる人たちを知らない。

彼女は私に生きる理由を尋ねられると、少しにんまりした顔になる。

「私はね、生きる理由なんか持ってないわ。生まれたから生きているだけ。生まれたということは、私が現実世界で生きる氏名が化せられたということ。あら、夢をかなえるために生まれたとか答えてほしかった?残念ね。そんな犯罪行為、誰がすると思ってるの?さて、あなたそろそろお仲間を助けに行ってあげるべきじゃないかしら。あなただってこんな草むらでぼーっとしていたくはないでしょ。」

それなら彼女はどうして私をこんなところに足止めさせたのだろうか。ぼーっとしたくないことがわかっているならば、どうして彼女は私のことをこんな草むらに、つまり彼女の夢の意識に閉じ込めたのだろう。

「どういうつもり?」

「早くしないと、あなたが信じる夢の世界は終わってしまうわよ。」

すると途端に強い風が吹いて、私は冷たい床のうえに放り出されていた。

その床はどこの床化といえば、ほかならぬ夢ラボの床だった。

「アスナ…助けて!」

私を目覚めさせたのはミアさんの悲鳴だった。私が顔を挙げると、そこに広がっていたのは恐ろしい光景だった。

ベッドのうえでもだえ苦しみながら血を流すユメキ。そして机のうえや近くの柱に潰された夢ラボの仲間たち。ミアさんや正夢さん、スエーロさんもいる。小原はまだ戻っていないのだろうか。それとも殺されたんだろうか。

「遅かったなあ、夢水アスナ。」

一人茫然とつったっていたのはほかならぬ守谷司だった。

「あんた…私の仲間になんてことを。」

「もうすぐ香山ユメキが死ぬ。そうすればこの世界は終わる。」

彼のいっていることの意味がわからなくて、私はベッドに横になっているユメキに

駆け寄る。彼のベッドはもうすでに血の色に染まっている。でもまだ脈は止まっていないし、息づかいも聞こえる。じゃあこの血はどこから出ているんだろう。

「やつは今悪夢に取りつかれている。この世界はやつの意識なしには動かない。このラボもじきに破壊されるだろう。さあ、夢水アスナ。君も眠ってもらおう。」

守谷司の持っている小さな瓶の中には、おそらく夢食い虫が入っているんだろう。その瓶をあけて虫たちを取り出し、私の夢を食おうというのだろうか。

そのときだった。突然眠っていたユメキが私を布団の中に引き入れた。

「ちょっと、ユメキ?大丈夫なの、ねえ…。」

私が心配する間もなく、ユメキは私にこう言った。

「僕には君が必要だ。僕と一緒に寝てくれ。僕のお姫様。」

それは突然だった。彼は悪夢にうなされているだけなのだろうか。それとも、自分の本能のままに、こんなことをしているんだろうか。彼はそのまま感情的に、そしてどこか無抵抗な私のことを、そのまま布団の中に引きずり込んだ。

その胸からは苦しそうな声があふれ、その顔はえぐれ、まるで守谷司を病院で見かけたときと同じような顔をしている。布団の中は血の色で染まっているのに、そこは血生臭い匂いなんかしなかった。そこには人のにおいがした。ユメキの生きた証があった。

「おまえをお姫様にしてやることはできないかもしれない。」

苦しそうなあえぎ声に混ざって、ユメキがささやく。その言葉の重みが私の胸に刺さる。どうしてそんな、自分から夢を潰すようなことをいうのだろうか。きっとそれは、ユメキの本心によるものではないのだろう。きっと今のユメキは、もう今までのユメキではない。

「だめだよ、ユメキ。約束したじゃん。私をお姫様にしてくれるって。だからそんなこといわないで。」

ユメキはその苦しそうな声をどんどん大きくしていく。彼の意識はもう取り戻せないところに言ってしまったのだろうか。

「夢水!」

私は今ユメキの声しか聞こえないほど布団の奥底で寝ているはずなのに、どこからかよく聞いたことのある、しかもよく透き通った声が響く。

布団の中に巨大なエネルギーの波が流れてきた。誰が与えたものなのかはわからないが、私はまるで夢の中に落ちていくように、その強くてどこから来たのかわからないなぞのエネルギーに吸い込まれていく。

「小原…。」

私は、自分の声と、さっきの声の招待だけを信じて、彼の名前を呼んだ。

「夢水、なんでおまえそいつと沿い寝してるんだよ。おれのほうがおまえを好きなのに。」

小原の声が本当に遠い。どこか別の世界から響く。

「だって…ユメキが一緒に寝ろっていうから。」

私の発言なんて聞こえてないみたいに、小原は続けた。

「もういいよ。だから…俺の夢を早く潰してくれ。」

「ちょっと、何がいいたいの?」

やっぱり小原は私の声なんか聞いていないらしく、また話を続ける。

「今、おまえの体に流れてる夢は、おまえの夢だけじゃない。この世界30億人の夢だ。子守歌を歌いながら、俺たちはこの世界中のエネルギーを蓄積して、今おまえに送っている。だから、ユメキとキスをして、この世界を守ってくれ。ユメキとキスをすれば、この世界の意識を支配するユメキにエネルギーが送り込まれるはずだ。頼む、もう時間がない。きっとおまえがユメキにキスをすれば、ユメキはおまえをお姫様にしてくれる。だから急いでくれ。俺の、この世界のお姫様…!」

小原は、30億人の夢のエネルギーを運んで、自分が好きだった人が別の男にキスをする様子を、、きっとどこか遠い場所から眺めているのだろう。この世界が救われるなら、別に私が違う男とキスをするぐらいのことは造作もないのかもしれない。

自分の夢をかなえるためには誰かの夢を潰すこともやむを得ない。それが夢というもののずるいところであり、美しいところなのかもしれない。

だが私は、小原の言っていることを受け入れようとした瞬間、一瞬だけ気づいてはいけない

ことに頭の関心が向いてしまった。それは、今ユメキは悪夢にとらわれているというのに、そんな人とキスをしてしまったら私はお姫様になる以前に、いったいどうなるんだろうという小さな心配だった。

でもそんな心配は私が理性を持っているときにだけ発動するものであり、今の私は感情のままにつき動かされていた。

私は気づかなかった。あの日、ユメキが自転車で私に枕を投げつけてきたあの瞬間から、実はユメキに保証のされていない期待を持っていたということに。現実に絶望し、無機質な毎日を送っていた私の夏の夕暮れに、彼はその小さな枕でもって、小さくて美しい、今にも壊れそうな扉を、私のために開いてくれた。彼は私に何の効力もない約束されていない約束、すなわち夢という約束を与えた。私はその約束に乗せるがままに乗せられて、それでも自分の頭にあるたった一つだけの夢を信じてここまで来た。その理由はもちろん、夢を潰されたくなかったし、夢をかなえたかったからというのもある。でも心の奥野私は、そんなきれいごとよりももっと汚く、もっと不純な動機の元に、夢売りの仕事を続けてきた。私は

この世界のヒーローたる香山ユメキを愛していた。

私は夢に愛されているのではなく、ユメキを愛しているのだ。

「ユメキ…。私とキスしよう。そしたら私をお姫様にしてね。いい、約束だからね。私、ユメキを信じてるから。」

小さな心配なんか期にならなかった。きっと布団の外では、守谷司が笑いながらユメキの心臓が止まるのを、今か今化と待っているのだろう。

私は深呼吸をした。すっかり意識をなくしたユメキの吹くを脱がせる。少しずつ少しずつ

ユメキの肌を感じていく。深く域を吸い込んで私はユメキの肌を自分の肌と一体化させるように、その小さな顔を近づけていく。まるで、今まで私をここまで包み込んでくれた夢に

感謝をささげるように…。

キスというのはあっけなかった。好きな人をろくに作ったことのない私にとって、それは初めてのことだった。体中が妙にいたい。頭の中が騒がしい。心の中が真っ暗なものに包まれていく。

「あなた、そんなおとぎ話をまだ信じているの?」

「うちにはあんたを習い事に行かせるお金はないの。」

「お姫様なんかあきらめちゃえよ…。」

言葉の刃がなんの遠慮もなく胸につき刺さっていく。ドレスはみだれ、髪は血に染まり、私は何かに追いかけられるように、狭くて寒い部屋の中を逃げまわっている。今私は夢の中で何かにつかまっているのだろうか。何かに襲われているのだろうか。胸が苦しくなる。域が冷たくなっていく。心の中が凍っていく…。

目の前に巨大な怪物が現れて私の夢を食っているのがわかる。私の体は小さくなって、魂は形をなくしていく。

「アスナ…!第好きだよ!いいゆめ見てね。」

遠くでわやさしい誰かがそんなことを言っているような気がした。でもきっとそれも嘘だ。私にはもう、何も残されていないのだから。今私にできることは、この覚めない悪夢の中で、いつか来る明日を願うことだけなのだから。そしていつかかなうはずのお姫様になる夢を信じることだけなのだから。

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