投身詐欺師と女子高生

笹煮色

脆弱なスーツ

 私は私の部屋のベランダで手すりに体重を預け、割れんばかりの風をその身に受けているだけだ。


「いや、キミは煙草を吸っていたね」

「あなたは関係ない。死人に口なしって言うでしょ?」

「難しい言葉をよく知ってるねぇ。でも実際問題、ボクには口があるみたいだ」


 その糸目男は趣味の悪いスーツを着て、煙草を吸う私の約三尺五寸先に立っていた。


「趣味は悪くてもセンスは良いだろ? まぁ、このスーツを評価するなら脆弱だったって言葉は入れざる負えないけども」

「脆弱だった?」

「あぁ、あまりにも脆弱さ。このビルの屋上から飛び降りただけで、ボクは死んじゃったんだからね」

「あっそ」


 吸いかけの煙草を一瞬迷ってからポケット灰皿に押し込み、糸目男を宙に置いたまま自分の部屋へと戻る。


「そんなに興味なくされちゃ困るよ。キミにはボクの成仏を手助けして貰わなきゃいけないんだ」

「何をしたら私の前から消えてくれるの」

「だから言ったろ? 成仏の手助けさ」


 話が進まないこのイライラは、私が一番嫌いなストレスの感じ方だ。クラスメートたちはこんな会話を一日中しているんだ、と思うと感動で涙が溢れそうになる。


「もっと具体的に言って」

「具体的にって言ったって、それまた困るよ。ボクだって死ぬのは初めてなんだ」


 徐々にイライラが募り始める頃合いになってきたが、今は我慢だ。ここで我慢すれば明日からは快適な一人暮らしがリスタートできるのだから。


「頑張って成仏の方法を二人で探そう。未練とかは無いの?」

「自殺したボクに未練かい? そうだなぁ……」


 そういうと詐欺師の様な信用の出来ない雰囲気を纏う男は、某銅像の様なポーズで思考を始めた。


「そういえば話は変わるんだけど、キミはボクを見ても驚かないね。幽霊って一人暮らしの女子高生が家に招くものじゃないよ?」

「別に招いてないけど。でもまぁ、私は慣れてるから」

「幽霊に慣れてるって? 怖いこと言わないでくれよ」


 ケラケラと笑う男はやはり、詐欺師という言葉がよく似合う怪しい雰囲気を掴んで放そうともしない。

 そんな男を前にすると、私は彼の言葉を訂正しようという気にもなれなかった。


「それじゃ、話を戻すとしようか。ボクの未練の話だったね」

「何か思いついた?」

「いや、ボクも昨日までは成仏したかったんだけど、今日キミと話してて気が変わったよ。歩かなくてもいいこの体で、話し相手も出来たんだ。今更苦労して成仏する方法を探す必要は――」


 すっかり視界から逸れていたイライラメーターが、逸らした視界からでも見える程に伸びてきてしまった。

 だから一度投身自殺を経験した男に、突き落とされるという他殺の経験をさせてしまったのも仕方が無いことだ。


「おいおいおいおい! 男の子は例え死ななくても"玉ひゅん"ってモノが在ってだね!」

「おかえり。さっき部屋に勝手に入って来た時に思ったけど、無理やり押し飛ばしても窓に当たったりしないんだね。」

「ん、確かにそうだね。というかキミ、よく幽霊をナチュラルに触れるね」


 若干引き気味なのがかなり不快である。幽霊本人に言われるのだから、もしかしたら名誉なことなのかもしれないが、ゴキブリに「よくゴキブリに触れるな……」と言われた気分だ。

 ……いや、あまり間違っていないかもしれない。


「そういえばあなたはなんで自殺なんかしたの? 大分人懐っこい性格みたいだけど」

「そりゃあボクは詐欺師だからね。人懐っこく生きなきゃいけない生き物なのさ」

「本当に詐欺師だったんだ。でも自殺なんかしそうにないのに」

「自殺ってのは自らを殺すだけ。どんな理由があろうと自分で死んだら自殺なのさ」

「どういうこと?」

「キミにはまだ時期尚早って事。ところで今日はそろそろ寝なくて大丈夫かい?」


 詐欺師の言葉にふと時計に目をやる。時刻は午後十一時三十七分、普段なら布団の中で携帯をいじっている時間だ。

 ただ、今日は携帯を弄る気にもなれなかった。


「寝れないし、何か面白い話をしてよ。家賃としてさ」

「そりゃいい! ボクも一人になるのは寂しかったんだ」


 そうすると彼は本心から嬉しいような声色で話を始めた。


「キミは寸々に切り裂かれた内臓を見たことはあるかい?」

「……私は"面白い話"をして、って言ったつもりだったんだけど」

「気に入らなかったかい? でも、本物の詐欺師の人生最大の修羅場なんだよ?」


 そう言われると俄然、興味が湧いてくる。

 詐欺師なんて一生で一度騙されれば御の字の、超レアキャラクターだ。


「少しぐらいなら聞いてあげてもいいけど」

「そうかい? それじゃあ続けるけど、僕は所属していた組織に騙されちゃったんだ」

「闇の組織ってやつ? というか詐欺師なのに騙されたの?」

「待った待った。ゆっくり順を追って説明するからね」


 そういうと陽気なすっぴんピエロにしか見えない詐欺師は、仰々しくスーツの上着を脱ぎ捨てて話を続ける。


「組織の名前は"家族"。騙された内容は"実の親子じゃなかった"って事さ」

「っ……」

「そして両親はボクに言ったんだ。『どうしたい?』ってね」

「……それであなたはどうしたの?」

「キミはもう知ってるだろ? 死んだのさ、このビルから飛び降りてね」


 詐欺師はくるりと首を捻り、おどけた様に肩を竦ませる。


「どうだい? キミも死ぬならずっと一緒に居てあげるよ?」

「……知ってたんだ」

「そりゃ、華の女子高生が慣れもしない煙草を吸う程に、自暴自棄になってるんだ。何よりボクはその後を誰よりも知ってる」


 相変わらず調子のいい受け答えだが、その眼差しはいつになく真剣だった。


「それじゃ私の身の上話でもしようか? あなたに比べたら大した事じゃないけど」

「いや、やめとくよ。ボクは愉快なおしゃべりがしたいんだ。悲しい話をされてもどう反応していいか分からない」

「あっそ」


 先ほどの同じ言葉よりも、少しだけ明るい声で話せた気がする。

 クラスメートたちの会話にもこれで混ざれるだろうか、などといつもなら絶対に考えない事を思いついてしまう。


「それで質問の答えはまだかな? 死ぬならずっと一緒に居てあげるよ」

「……それは勘弁。ずっと一緒は私のイライラメーターが壊れちゃう」

「それは良い選択をしたね。ボクは少し悲しいけど」


 それだけ言い残すと詐欺師は背を向けて窓へと向かっていく。


「もう少しぐらい話していってもいいよ? 私、眠れそうにないし」

「嬉しいお誘いだけどやめておくよ、ボクはキミに嘘を吐き過ぎた」

「詐欺師なんでしょ? それぐらい気にしないのに」

「ボクはまだまだ新米なんだ。一人の女の子を救うために、ついさっき始めた商売だしね」

「……なにそれ」


 彼と話し始めてから初めて……いや、もしかしたらこの家に来てから初めてかもしれない、本心からの笑みが零れる。


「それじゃ、おやすみ」

「うん、おやすみ」


 優しい詐欺師が去った後の一人っきりになった部屋。

 そこには女子高生の一人暮らしに合わない趣味が悪くてセンスのいい、それでいて脆弱なスーツが上着だけ脱ぎ捨てられていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

投身詐欺師と女子高生 笹煮色 @Sasanisiki0716

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ