2. 牛の怪

 真っ昼間で暑くてな。棕櫚しゅろの緑も、海豆花かずかの赤も、そこらの草から岩から、やたら鮮やかに浮き上がって見えた。あんまり鮮やかで目がちらっちらしたもんで後ろを見れば、翡翠の海だ。水平線に綿を散らしたみたいな細かな雲が浮いとってよ。

 長いこと薄暗い蒸し暑い狭っくるしい家の中に居ったもんで、おかしな話だが儂は「ああよかった」と思ったよ。

 村の皆が病に伏せて、夏至祭もできんかった。おっ父様とさ祭司さじだったから、これで夏の大風たいふうが祟ればウチのせいになる。とにかく不安でな。だがソトは変わらずそこにあって、無くなっとらんで、それがとても安らかに思えて、しばらく呆けていた。

 そしたら、どすんと何やら重たい音がした。


 なんぞと思って音のした方に目をやっても、ニセトウキビが邪魔でなんも見えん。さがって、土の盛り上がった所に登ったら、赤牛のむくろが見えた。

 横倒しんなって、舌がだらしなく垂れとってな。もうだいぶ腐れてはらわたは見えとるし、蛆だの蠅だのがあちこちにたかっておった。体の芯が冷えるような心持ちがしたが、儂だって獣の死骸なんぞ見慣れたもんだ。怖くなんぞあるものかと鉈を握り直した所でよ。


 牛がこっちを見た。


 横倒しのまま、ぎょろんと目玉だけが動いて、涙粒みたいに蛆を垂らしよる。

 儂は腕から脚から血の気が引いて、それでも、気のせいに違いない、きっと本当は動かなかった、そう思いたくて赤牛の骸から目が離せんかった。そしたら、首やら胴やらをよじり曲げて、こう、尺取り虫みたいにな。牛の骸が。


 だすん。


 骸が進むたびに頭がニセトウキビをなぎ倒してな。


 だすん。

 だすん。

 だすん。だすっだすっだすっ。


 逃げようとしたが、脚が動くのを忘れたようになって、腰が抜けた。もうだめかと思った、そん時だったよ。

「逃げないでね?」

 と声がして、かさをかぶせられた。

 こんぐらい、いやこんぐらいだったか、とにかく大きくて平たい笠だ。前が見えんくなって、慌てて笠を上げたら五色の布がひらひらして、その向こうで赤牛の骸に化け猫が喰らいついとった。

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