第7話 迎え(2)
「お父さん! 帰ってきてたの?」
くたびれたスーツ姿の中年の男は、血相を抱え紫姫に近づくと突然翼の肩をどついた。
「紫姫に近づかないでもらおう!」
「お父さん! 何するの! その人翼だよ? 覚えてないの? お母さんと仲の良かった市橋さんの……」
「紫姫! まさかもうこの男と性経験を済ませているのか……!?」
「――はぁ!?」
父の思考の飛躍に、紫姫だけでなく翼も唖然と口を開ける。
「ちょっ……! おじさん! 久しぶりに会ったのに突然何? その疑惑?」
「聞いてるんだ! 答えろ!」
「ないわよ! 一体なによ! 人を淫乱扱い!?」
激高した紫姫に父は冷静さを取り戻したのか、「すまん」と謝りながら眼鏡を正す。
「登下校はなるべく数人と一緒にって言われてるんですよ。だから送ってきたんです――じゃあ、俺はこれで」
と、ムッとしたまま翼はお辞儀をすると踵を返し、旧来た道を早足で帰って行った。
「ごめん、市橋! また明日ね!」
紫姫は申し訳なさも含んで声を大にして、去って行く翼に声をかける。
翼はおざなりに手をあげて「了解」と意思表示をした。
「お父さん」
「紫姫」
声を発したのは同時だった。
「二週間ぶりに帰ってきたと思ったら、あの台詞? 何?」
「お前、本当に経験ないんだな?」
「……それを聞くために帰ってきたの?」
呆れた、と紫姫はこめかみを擦る。
「教えなさい!」
あまりの父親の憤怒に紫姫は、
「ないわよ、そんなに気になるなら検査でもしようか?」
と溜め息をつきつつ提案する。
「本当なんだな?」
「本当だよ!!」
視線に気付き紫姫は周囲を巡らす。
滅多に外出しなくなった世間で、外で大声をだせば驚いて窓から顔をだして様子を見るのは当たり前になっていた。
目の前は自分宅のマンション――そこから幾つかの窓が開いていて、こちらを覗いている。
気まずそうに顔を逸らし、ソロソロと窓を閉める人もいる。
(まずった……こんな恥ずかしいことを公衆の面前で……)
耳まで真っ赤になって俯いてしまった紫姫と、今だ厳しい表情を崩さない父親に数人のスーツの男達が近寄ってきた。
「龍ヶ花さん。時間がおしています、早く」
「ああ……そうだったな。紫姫、お前が遅いから迎えにいこうとしていたところだったんだ」
父親の機嫌が直ったようだ、が紫姫の機嫌は直らない。
「これでも急いで帰ってきたんだけど?」
仏頂面で父親にそう答えたが、男達の姿に紫姫は怪訝な顔をしつつ緊張する。
スーツの上からでも分かる、屈強そうな身体つき。
そんな男達が数人いるのだ。
「……お父さんの職場の人?」
「まあ、そんなもんだ」
素っ気なく父親は答えると「さあ、車に乗りなさい」とマンションの前に停めてあった高級車に紫姫を乗せる。
「……あの女は? 一緒に行くの?」
念のために聞いてみる。
一緒に行くなら同じ車に乗りたくない。
「あの女? ああ、いまりのことか? 留守番だ。金を渡したからしばらく大人しくしてるだろう」
「ああ……そう……」
父親のいつもの素っ気なさに「ざまあ」と思うも、少なくても身内になっている相手にもこういう態度はどうなんだろう? と思う紫姫だ。
(……お母さんがいたときには、そう、もっと人らしくて、私にも……『お父さん』って感じだったのに)
そう考えれば、先程の「経験あるのか!?」と問い詰められたときは、久しぶりに父としての顔を見たような気がした紫姫だ。
いつの間にか車は発進している。
途中、別れた翼とすれ違う。
彼の方も分かったのか、見えなくなるまで見送ってくれた。
(明日、ちゃんと謝ろう)
そう紫姫は思いながら、明日の登校には間に合うんだろうか? と不安になる。
(まあ、学校でなくても近所なんだから寄ればいいか)
そう楽観的に考えた。
生まれてから既にこうした世界だった紫姫は、明日も明後日も、そのまた次の日も
異世界生物に怯えながらも、麻痺した精神の中で毎日を送るんだろうな、と安直に考えていた。
巫女は竜と踊る~私と目覚めし竜のデスダンス 鳴澤うた @utatodo
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