白に帰す

高山和義

或る少年と少女の話

「―――っ!」


 家にいるのが、堪らなく息苦しくなった。


 周りは、こんなになった自分を憐れんでいる。

 お気の毒に、という言葉が聞こえてきそうな目で見る。

 まるでを見る様に。

 最近は、家族でさえもそうだ。


 違う!

 勝手に俺がと決めつけるな!

 まだ俺は生きてるんだ!


 ―例え、近いうちにことが事実だったとしても。


 真綿で首を絞められるような息苦しさが限界に達したある日、俺は生まれて初めて家出をした。


 *


白喪病はくもびょう


 病原菌も、感染経路も、治療方法も、わかっていない。

 全身から色という色が抜けていって、ある日突然、ふっと、消える。

 だから、「白」くなって、「喪」われる、「病」気なんだと。

 人によって消えるまでの期間は違うらしいが、そんなことはどうでもいい。

 一度、色が抜けはじめたら、消える瞬間を待つのみ。そんな病だ。


 その、白喪病に、俺は侵されていた。


 学校でも、友達が何人も消えた。教師も消えた。

 もう悲しみも追いつかなくなって、周りの反応も、ああ、そうなんだ、くらいの薄いものになってしまった。

 担任も、朝のHRで消えた生徒の名前を無機質に告げるだけになった。


 ―そしてとうとう、他人事ではなくなってしまった。


 *


 未成年のする家出なんてものは、大抵は計画性の無い、ほどなくして破綻するものだというのが定石だと思っている。

 だけれど、俺の場合は違う。


 ―お前らとは違うんだ!なんて、意地っ張りを言うつもりでは無いんだ。


 今、俺の白喪病の進行は、恐らく末期。

 髪はとっくの前から白く、肌なんて、美白を通り越してもはやミロのヴィーナスだ。

 これくらい白くなった人は、大抵半月もしないうちに見かけなくなる。

 なんとなく、周りを見ていれば分かる。

 だから、家出に破綻も何も起きようが無いだろう、と思う。

 早い話、破綻するより前に俺自身が消えていなくなるだろう、ということだ。


 *


 何処かで見た死体探しの旅の様だな、と思いながら、行く当てもなく廃線跡を歩く。

 この辺は人口が少ない上に、白喪病の流行で輪をかけるように人が減ってしまったらしい。

 今までなら、廃線跡なんて歩いていたら怒られそうなものだが、もうそれを見られるような心配もないくらい。

 適当に荷造りをした軽いリュックサックを背負いなおしながら、曇天の線路を、ひたすらに歩いていた。


 歩き始めてどれくらい経っただろうか。遠くに人の姿が目に留まった。

 そこは廃駅のようだった、けれど、少なくとも俺の記憶にはその駅に列車が止まっている光景は無い。

 気になって、気づかれない様にそっと近寄ってみると、人の姿は白いワンピースを纏った少女だった。

 雑草の生えたコンクリートのプラットホームから足を投げ出すようにして座っている。


 不意に、ガリッ、と大きな音が響いた。

 踏んでいたバラストの石が削れた音だと気付くまでに、少し時間がかかった。

 少女にも聞こえたらしく、こちらを振り向く。

 別に不味いことは無いが、しまった、と思った。


「………」


「―こんにちは?」


「こ、こんにちは……」


 まさか、話しかけられるとは思っても無くて、中途半端な返事になってしまった。

 いけない事をしているわけではないのだが、見つかってしまった妙な罪悪感に近いものを覚える。

 少し間があってから


「ねえお兄さん、暇なら私と話していかない?」


 と、少女が言った。

 ―正直な所、二言三言で何となく察した独特な雰囲気の持ち主と会話が続く気がしないのだが。

 別に追われているわけでもないので、この少女の気まぐれに少し付き合う事にした。


 *


「……いえで」


「そう、家出」


 厳密には、家出とは違う気もするのだけれど。

 少女に対しては、家出をしている、ということにした。


 ここは廃駅のプラットホーム。

 隙間という隙間から雑草が生え、コンクリートはひび割れている。

 元々あまり大きな駅ではなかったらしい。ホーム以外にはバス停程の小さな待合室しかなかった。

 看板の類はとうの昔に降ろされたらしく、周りより少しだけ塗装が綺麗な場所が随所に見て取れた。

 座っているコンクリートのホームは太陽に照らされ、少し熱い。

 目の前は、視界の端まで広がる田んぼと畑。そして右隣に少女。


「ほら、俺もうこんなだからさ。周りから可哀想な目でしか見られなくて」


 真っ白な髪を少し掻きながら続ける。


「まだ普通に生きてるのにさ、もう死んでしまったお気の毒にみたいな」

「確かにこれだけ進んでれば先は長くないさ」

「でも、家族にすらそんな目でずっと見られてたら息苦しくなって」

「もう耐えられなくてさ、出てきた。そっちは?」


 会話のバトンを少女に渡した。

 ……初対面なのに随分と話してしまった。これは、良くないな。


 改めて近くで見ると、少女も俺に負けず劣らずの白さだった。

 麦わら帽子を被っているが、背中を半分は覆い隠す豊富な白髪はくはつを隠すには至らず、彼女もまた同じ白喪病であることを物語っている。


「わたしは…、なんだろう」


「なんだろうって…、そっちも家出?」


「いえで…、みたいなものかも」


 こっちは話したんだからそっちも話せというような、半ば理不尽な考えで訊く。

 でも少女は、第一印象に違わずその独特な雰囲気でのらりくらりと質問を躱す。


「そっちも白喪病なの?」


「どうなんだろう」


「いや髪真っ白だし」


「これはね…、ストレス」


「―ストレス?」


「そう、マリーアントワネット」


「……あぁ、そういうこと」


 ―何が言いたいかはなんとなくわかった。

 そして、多分からかわれていることも。

 それに、ふと思う


「そっちも、そろそろじゃない?」


「なにが?」


「消えるの」


「きえる?」


「だって、髪も身体も真っ白じゃないか」


 俺程ではないが、そろそろ白のワンピースと肌の境目がわからなくなりそうな程、少女も白くなっていた。


「ずっとこんなだから、わかんないや」


「……そうなんだ。多分俺はもうすぐだ」


 自嘲ぎみに笑って返した。

 少女から言葉は返ってこなかった。

 会話の継続を諦めかけた頃、顔に、ぽつっ、と雫が当たった。

 その雫は一滴では収まらず、みるみるうちにシャワーとなり、身体を濡らしていく。


「やば、雨降ってきた」


 そういえば雨具の類は持ち合わせていなかった。詰めが甘い。

 待合室に駆け込むと、少女も身体を濡らしながら、のそのそとついてきた。

 ほっそりとした少女の身体の輪郭が見えて、思わず目を逸らした。

 しばらく待ってみても、雨は弱まるどころか、警報が出そうなくらいの豪雨に変化していく。


「……雨が止むまで居させてもらってもいいかな?」


「いいわよ」


「さんきゅ」


 湿っぽくて重くなったパーカーを脱いで、丸めて待合室のベンチに置く。

 まとわりつくような湿気のせいで、さっきまで気にならなかった荷物の重さが急に体に堪える。


「疲れてるでしょ、少し寝てきなよ」


 反対側のベンチに座っている少女が言った。

 まさか気遣われるとは思わなかったけど、色々な事から解放されたせいか、急に眠気が襲ってきた。


「……あぁ、そうするよ」


 丸めたパーカーが枕に丁度良かったので、頭を預けて横になる。

 ベンチの硬さは、どうでもよくなった。

 大して長くない人生の中で、5本の指に入りそうなくらいには、寝つきが良かったように思う。

 固いベッドだったが、気持ちよく寝れそうだ……。


 *



 おやすみなさい

 もう、なにもしんぱいすることはないよ



 *


 丸一日降り続いた雨は、止むころには虹も出るくらいの快晴に変わっていた。

 色を失っていく人類とは正反対に、今日も世界は彩りに溢れている。


 今日もひとりぼっちで、ホームに座って、そんな世界を眺め続ける。


 私にできることは、もうこれくらいしかない。


 静かに終わっていく世界は、もう私にはどうすることもできない。

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白に帰す 高山和義 @Kazuyoshi_taka

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