第 話『カラスの少年と言霊の少女、出会う』

「……はぁ……はぁ……」


 人二人が並んで歩けるかどうか位の道端。長すぎる石の階段を、膝に手をつき、荒い息を吐きながら昇る。


 見上げる先には黄昏色の空。登り始めた頃は斜陽だった。思ったほどに時間は経ってないのか、そう思って振り返ると百ほどの階段の先を住居の壁に阻まれている。そういえば、さっきこの道直角に曲がったんだった。


 どれほど歩いただろう。振り返ってもこれでは、ひょっとして先程まで延々と階段を昇っていたのは幻だったんじゃないかとまで思えて、それを口に出しそうになって首を振る。


 ダメだ。言っちゃいけない。そういうのはよくない。こういうときは元気に振る舞うべきなのだ。


「────〈〉」


 いや。嘘だ、疲れた。というか元気ってなにさ。あたしは元々自己暗示は効かないのは分かってるよね? 自分の話なんだからさ。


「はぁ、上に目を凝らせば階段が無限に続いているんですよ? そんなんじゃ気も滅入るってもんですよ……はぁ……あれ?」


 どす、どす、と俯きながら牛さんみたいにゆっくり歩いていたあたしは、気が付けば階段脇に壁みたいに住居の建っている密度がいつの間にか減ってることに気が付いた。


 先を見る。階段の先がなかったように見えた。


「は、果てだ、やっとこさこのクソ長い階段が終わったか。はへ、こ、これであたしの勝ちって事で良いですよね!? 勝った!! 私階段に勝った!!!」


 あたしは勝った勝ったと叫びながらよろよろと階段を駆け上がる。あたしのどこにそんな元気が残っていたのか、甚だ疑問である……いや、終わると思ったら元気が出るよね。温存じゃなくて火事場の馬鹿力とかそういう。


「……やっ、たぁ……!!」


 階段を上りきった。キャーだのニャーやらギョエーとか、港町特有の鳥の鳴き声が無限に聞こえてくるのでどうも気分をぶち壊され、いやそんなの関係ねぇ!!


 登りきった!! 登りきったんだ!! あたしは、ガッツポーズをして、天を仰いで、そのまま。足元のでっかい石に蹴躓いて。


「わぎゅう!!?」


 ずっこけた。


「あいたぁ……疲れてるんだろうなぁ、あたし」


 ……こけたまんま(仰向けに万歳したポーズ)で固まるあたし。


 わざわざ二時間近く階段を歩いたのだからそりゃそうだろ。足ガクガクだったもん、あたし転っけまーす。あ、あーらら、手の平めっちゃ擦りむいてやんの。痛い、ぐすん。どーせ誰もいないもん、泣いても誰も見てないさ!!


 ぐるん。横に転がり、仰向けになって空を見上げる。


 ……ちくしょう。お空きれい。空気がきれいな港町なので星空はめっちゃきれいに見えるのである。てかいつの間に日没しとったんかいワレェ。


 やばい、ちょっと情緒不安定かもしれない。普通に泣いてるもん今。見られたら死ぬわ。うん。死ぬ死ぬ。恥ずか死んじゃう。


 ────ギョェー、ギョェー

 ────カァー!! ガー!!

 ────ニャー!! ニョヤー!!


「……っるさ……下じゃそんなに居なかったでしょうに」


 あたしは、ぼやいて立ち上がる。鳥の鳴き声がうるさくて、危うくのを思い出した。


 私は階段を背にして前へと歩き始める。


「──やあ。珍しいね、こんなところに人が来るなんて」


 ────先客が居た。


 その先客はベンチに座り、何故か足元に大量の黒い鳥を侍らせていた。


 黒い鳥に囲まれた男の格好は黒いシャツに黒いズボンで髪も黒い……なんかもう黒ばっかで見えづらいわ!!?


 ぼんやり見ると黒い鳥の集合体に紛れてしまうので、話し掛けられるまで気付かなかったのも納得だけど、あれ、ひょっとしてさっきのあたしの醜態見てました??


 じー。よくよく見ると、彼、手には一斤くらいの大きな食パンを持っていた。餌付けしていたようだ。


 あ、何故か取り巻きの鳥に睨まれた。いや餌奪わないからそのままどうぞ……。


「……なんですか。に人がいたことの方が寧ろ驚きですが」


「へぇ、じゃあ僕の事は当然知らないよな」


「知るわけないわ、あんたみたいな死んだ目した奴……どこかで見てたら忘れらんないだろうし」


 そう言うと、男と目があった。


 ────全てを憎んでいるかのような目だった。対照的に口元は、何がおかしいのか笑っていた。いや、笑顔というには無理がある。それをもし笑っていると形容していいか迷う邪悪な笑顔だった。


 ────カァー。


「よし、クロ助2世、その調子で巡回頼むな」


 そう言われた黒い鳥の一羽が飛び立っていく。その寸前、胸を張って羽を折り曲げて『まかせろ』みたいなポーズをとったように見えた。


 ……………え、鳥が??? っていうかよくよく見たらあの鳥カラスじゃない? カラスがあんなポーズするの!? ええマジぃ?


「どうした?」


「い、いや、なんでも?」


 見間違いだろう。彼の取り巻きの黒い鳥はよく見たらカラスだけじゃない。そういう鳥が混ざっててもおかしくはないだろう。


 いや、そういう鳥がいるかは知らないんですけど。ひょっとしてカラスはそれだけの知能を備えていた……? あいつら頭いいし、あり得ない話じゃ、ない?


 ……いやいや。芸達者とかそういうレベルじゃないぞ? それだけでもうサーカスとかにいるレベルでは?


「なぁ、あんた。ボーッとしてどうした? なにか目的があってここに来たんじゃないのか?」


 ────


「……は? なんでそんなこと言わなきゃいけないわけ?」


 あたしは咄嗟に拒絶するようにベンチに座る男から離れた。あと、年の頃は私と大差ないように見えたから、敬語を使うのは止めた。


 すると、彼は更に卑屈そうな笑みを強くしてパンをちぎってカラスに餌付けした。視線はカラスに向けたまま。


「すまんな、あんたを通してちょっとばかり感傷に浸ってたらしい。昔、似たようなことがあってな……あんときゃ、随分と……いや、初対面の奴に言うことじゃねぇな」


「じゃあ言わなくていいっしょ。あたしはここなら人がいないと思ってきたの、それ以上でも以下でもないから」


「……それこそよく似てるんだが……あ? この女がジョーカー? マジで?」


「は? なんか言った?」


 少年の呟きは、カラスの鳴き声にかき消された。だから、よくわからん。本当に聞こえなかった。


 ただ、ちょっと強く言い過ぎていたのだろうか。少年は誤魔化すようにパンをばらまくペースを上げたように見えた。


「あー。生憎、ここには僕が居るからな。人がいないところを探してたっていうなら他を当たってくれ」


「しょうがないな、それじゃあ日を改めるよ」


 ……正直、どんな知らん奴の人目があろうが問答無用で敢行してもいい目的ではある。そうではあるものの、それで気後れするのは確かだ。


 出来れば人目がないときに、この場所で……がベストだ。


「残念だったな。言い忘れてたけどよ、ここが一番こいつらが集めるのに適してるんだってよ。だから僕はこれから毎晩ここに居るぞ」


「はぁ!!?」


「あー。本当に、なんかその、悪いね。こっちも日課みたいなもんなんだ、やるとやらないだと死活問題に関わってくるんだよ」


「カラスの集会で、死活問題……?」


 冗談は寝言だけにしてほしい。ここに誰か居ることがあたしにとっての死活問題に関わってるんだけど。


「そうそう、僕ってばカラスと話さないと死んじゃうんだよ」


 少年は申し訳なさそうにそう言った。残念ながらそんな人間はいない。……あたしの知る中じゃ、だけど。


 もしかして本当に死んじゃうのかな……とそんな与太話を信じてもいいのか揺らぐくらいには少年はなんか死にそうにも見えた。黒い服でカラスと群れて境界が曖昧に見えるからかなぁ、これは違うかも。


 とにかく。本当に言うとおりなのであれば、あたしも引き下がるしかない。


「そ、それなら悪かったね、あたしは引き下がるわ」


「あ、そう? 冗談だったんだけど言ってみるもんだなぁ」


「は? 冗談??」


「あ」少年はしまった、とでも言うみたいに口元を押さえた。


 ────あたしはムカついた。


(そりゃそうだわ。カラスと話さないと死ぬ人間がいるものか。なんであたしは騙されてんのさ。少し考えれば分かるでしょバカじゃないの。バカはあたしか。いや、ふざけんなこの男ほんとうにふざけんな。ちょっと死相っぽいのが浮かんでるからって調子に乗るんじゃないわよ!!?)


 ────という台詞はこらえた。あたしは大人のレディなので??


「あんた全部口に出してるぞ」


「は??? 出してないけど???」


(あたしはであるとよく知っている。その事を、よぉく思い知らされている。そういう言ったらいけないことは喋らないように訓練しているのだ。そんなあたしが喋るわけないだろうが)


「口は災いの元、ねぇ。確かにあんた、口悪そうだからな。余計なこと言いまくってそうだ」


「お前もしかしてあたしの心を読んでるな!!?」


「残念ながら僕はカラスと会話出来るだけだから無理だよ。あ、でもこの子達の中のテレパシーが出来る子がいればとは思う。けどやっぱどう見てもあんたの口が動いてるように見えるんだよなぁ」


「う、嘘っ!?」


 あたしは慌てて口を押さえた。その動きを見てけらけらと少年は笑って。


「あと、そうだな、あんたみたいな大人がいるものかよ。大人ってのはな、もんだよ、胸とかね」


 そう、言った。


 ────


 あたしは極めて普遍的な身体的特徴を指摘されて、その言葉で頭が埋め尽くされた。けらけらとバカにするような嘲笑い方と、あたし自身この場に来るまでに結構疲れてるのもあってすぐに頭に血が昇ってしまって(……振り返ってみるとそこまでぶちギレることなかったんじゃないかと思わないこともない)いや誰がド貧乳腐れチビじゃぶっ殺すぞ。いいや殺すね。


 殺す。あたしは、怒りの余りに握り締めた拳がぷるぷる震える。ころしてやる。それと同時に、どこか冷静になった頭がこの男をどうしてくれようかと回転しているのを感じた。ほんっところすわよ。


 そして、その回答を思い付く。一発殴る? ちがうわ、そんな暴力的で野蛮でみたいなことあたししないわ。あたしの思い付いた作戦はなんか思い付かないくらいに極めて頭脳的な。いや頭を使う(物理)じゃない。頭脳的な作戦だ。


 まず、あたしは手に一枚のトランプを持って、究極のフレンドリーなスマイルを浮かべます。


「君、名前は?」


「……君? さっきまで僕のことお前呼ばわりしてたのに、怪しいなぁ。もしかしてなんか罠に嵌めようとしてる? そういう能力のカード持ってるのか、よく分かんないけどさ。ほーら、あんた、それ聞いただけでもう顔色変わった。ポーカーフェイスもできないのかぁ、怪しさをすぐ見抜かれるくらい頭が弱いのか、お子ちゃまだからかな?」


「……っ!!」


 カラスはあたしが近付くと蜘蛛の子を散らすように飛んでった。


「いってぇ……あのさ、名乗るときは自分から、って誰かに教わらなかったのか、おちびちゃん?」


 顔を殴られた少年が、それでもあたしを挑発するように笑っていた。でも、あたしは何を言われたのか一切聞いてなかった。


(……ぁ。うそ。少年が、殴られた? 誰に。あたししかいないのに。あれ、じゃあ殴ったの、あたし?)


 あたしは、動揺した。


「どうした、そんなに右手を見て。名前も言えないのか」


「ご、ごめんなさい、あたし、うそ、なんで……」


「……? おい、大丈夫か? あんた、顔色が悪くないか……?」


 殴るつもりはなかった。人を殴った感触が、遅れてあたしの手に実感を届けてくる。殴ったのだ。あたしが。みたいな暴力を、今日会ったばかりの少年に、あたしが……?


「おーい? おーい??? マジで大丈夫か? 急に呼吸が荒くなってるが……」


 ちがう。あたしはとは違う。とあたしは関係ない。関係ない。なにもない。なのにあたしはみたいに、辺り構わず暴力を? あたしは、やっぱり────。


「────ぁ?」


「ぁ? ってなんだよ。握手だ握手。わかるか、シェイクハーンド。おけー?」


 ……なぜか、少年があたしの右手を握っていた。


「いやまぁ、そううまく落ち着いたりは────」


「は? ……何言って……てか何してんの?」


「────したな!!?」


 少年が驚いたようにあたしの右手を挙げる。


 殴った感触を上書きするように強く、あたしの右手が握り込まれている。どうしてか、少しだけ落ち着くことができた。


 あたしは。


……」


「……それがあんたの名前か?」


「な、名乗った!! あたし名乗ったから次はあんた!!」


「えー。名乗ったらなんかするんじゃないのか? その左手のカードで。ダイヤのキングか……デカい数字だな、それ」


「ダイヤのキング……?」


「いや見たまんま言っただけなんだがなんであんた首を傾げてるんだ?」


 …………あっ。


「そ、そうだ、ダイヤのキングだったよね!!? というか変なことなんてしないわよ!! 殴ったお詫びには、お前の名前と立場と滞在日数を言いさえすれば勘弁してあげる!! あと年もね!! というわけで感謝しなさいよ!!?」


 勢いに任せて喋ると、あたしは右手を握り返した。そして、少年は困ったように笑った。


「寧ろ条件増えてんじゃねぇか」


「何よ!!? 文句ある!!?」


 手を出しておいて何をいってるのかという意見は至極真っ当、だが今あたしは滅茶苦茶にテンパっている。


「別にないな。という訳で名乗らせてもらうと、僕の名前はクロウ。歳はこないだ十三になったな。そんでウェズっていう行商人の手伝いで、二週間くらいこの町に滞在することになってる」


「……クロウ、ね。覚えたわ」


「おう、覚えとけ覚えとけ。それで殴ったのはチャラだ。という訳で手を離してくれ」


「……やだ」


「はっ?」


 少年────クロウは素っ頓狂な声をあげて目を白黒させていた。


 正直に言うと、どうしてか手を握っているのはとても落ち着いたのだ。その事を言うのは、憚られた。年上としてプライドがあるというか、なんというか、認めるのは癪に障るわけで。


 だから、あたしはなにも言わずに、しばらくの間握る手に少しだけ力を込めていた。


 それからたっぷり十秒くらい無言の間があった。


 その間になにかに思い当たったのか嘆息したクロウは困ったように笑った。


「…………ま、いいや。どうせしばらく僕は動く用事はないし、子供のお守りくらいはしてやっても、」


「……あたしは十七よ」


「………………、なんかその。すまんかったな」


 クロウは私の頭の高さを見て、謝ってきた。



 …………それはそれで癪だった。


 ◆◆


 僕は、この町に来てすぐにジョーカーを見つけた。


 しかも、ジョーカーの持ち手たる彼女の近くにはクラウンズ。


 またとない絶好の機会に、僕は笑った。


「絶対に、マギアの仇を取ってやるからな……首を洗って待っていろよ。クラウンズ!!」

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カラスの足跡には道化師が転がっている リョウゴ @Tiarith

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