第7話『別離』
「────少し遅かったみたいじゃねえの、ガキ共風情がてこずらせやがって……なぁ?」
凶悪な笑みを浮かべた強面の若い赤服の男が書庫の入り口に立ち塞がっていた。
右の手にはその男の足から腰くらいまでの長柄の鎚。左の手には、十枚のトランプが握られている。
「……そのガキがジョーカーか? それともそっちの女か? まあどっちでもいいか、ちょっとばかし、行動が遅かったようじゃねぇの」
────この声は、さっき墓場で聞いた声だ。
その事に感付いた僕は、マギアの手を握り締めて叫んだ。
「マギアッ!! 逃げよう!!」
「────、やぁ、ボクはこの悪魔書庫の司書を務めているマギアっていう」
「マギアッ!! 今そんな、ふざけっ、いいから!!」
「いやいや。これは史上二人目の客が来た、というのにそんな無体な事が、で、出来ると思うかい?」
……マギアの顔には、恐怖の表情が張り付いていた。あの男はどう考えても客じゃない。剣呑な空気すら纏っている、客は客でも剣客とかそういう部類の奴だ。気を抜けば殺される。
マギアもそれは察しているだろう。彼女は僕よりも頭が良い。わからないはずがない。
なのに、そうやってもてなそうとするのはどういう意味が────違う。その理由を考えるのは後回しにしろ。
マギアが死ぬくらいならそんな事情は無視してしまえ。僕は、何よりもマギアには生きていて欲しいから。
そのためには、まずあの男が立ち塞がっている唯一の出入口を抜けて、外に出ないと話にならない。
だから、僕は。
「マギア、抵抗しないでね」
「んんっ!? く、クロウ!? お、降ろしてくれ!!?」
マギアを無理矢理抱え上げる。ちょうど、お姫様抱っこみたいな抱え方だからだろうか、マギアは顔を赤くして身を縮こまらせた。
大丈夫、マギアは年上とは思えないくらい軽い。抵抗もしてこない。なら、全然問題ない。これでもマギアが普通に走るよりも間違いなく速く走れる。
「ひゅー、力持ちぃ────うわっと」
立ち塞がる男に向けて、足元に転がった本を顔にぶつけてやろうと蹴りつける。そして僕は身を翻して本棚に身を隠して。
(────頼む。むちゃくちゃなお願いなのは分かってる。だけど、僕一人じゃとても無理……だからみんな、助けてくれ……っ!!)
『ワカッタ。我々ト、クロウノ仲ダカラナ!!』
武器ひとつない僕に頼れるのは、共に過ごしてきたカラスだけ。だってクロ助の
カラスの群れがこの悪魔書庫の周囲を遠巻きに見ているのは感じていた。どうしてか、カラスが今まで感じていた嫌な感じが消えているらしくて、近付くことが出来たのだ。
「のわっ!! 何だぁまたカラスかよ!! カラス風情が、何羽集まった所で無駄だがよぉ!!」
────ギィ、と断末魔のようなものが聞こえた。
僕は、構わず本棚の裏を通って横をすり抜け「通さねぇぞ、ガキ」本棚が倒れてくる。バラバラと降ってくる本からマギアを庇いつつ、下を駆け抜けた。
「そぉら一発!! 安心しろよ峰打ちだぁ!!」
「かはっ!?」
「クロウ!!? ボクを下ろしたまえよ!!」
男は鎚の部分を持って柄で殴りかかってきた。舐めた様子で、僕の背中に叩き付けた。
よろめいた足。踏ん張る。倒れない。偉いぞ僕、そのまま走れ。
背中を叩かれた? 確かに痛いが、こんなものでマギアを手放すと思ったら大間違いだ。棒切れで叩かれただけ、ちょっと痛いだけだ。こんなもん。
「カァァ!!! ギェァーー──」
「チッ」
カラスが鳴く。男が舌打ちして。僕は妨害ひとつされることなく入り口駆け抜けた。
「いいねぇいいねぇ!! そうじゃなきゃつまらねぇ!! ネズミみたいに逃げてくれや!!」
「けほっ」背中の痛みのせいでか、噎せた。「言われなくても……!!」
「折角だからゲームにしようか! 俺の手札は十枚、その全てが炎の矢を一本飛ばすって内容だ。お前らはそれを掻い潜って逃げ切ってみろよ────はいスタートぉ!!」
その声と同時に一本の火矢──と言うには生易しさに欠ける熱線が僕の右頬の横を通り抜けていく。
当たったら洒落にならない。後少しだけ左にズレていれば頭が無くなっていただろう。
とにかく、外は丈の長い草生い茂り木々が密生している、森だ。
外なら隠れる場所も多い……だ……ろ……おいおい、なんだこれ!?
「は、嘘だろ……森が燃えてる!?」
幾つもの木の枝葉から炎が吹き上がっている。特に大きな木の殆どが炎上している。上に行くほどによく燃えているようで、背丈の低い草花や樹木は、あまり燃えていないように見える。
さっき僕が通った時は、こんな山火事が起こりそうな状態ですらなかったのに……!!?
「クロウッ、右に飛べ!!」
背後を見ていたマギアが叫ぶ。僕は信じて右へと飛び、その次の瞬間に燃える弾丸は地面に着弾して大爆発した。
「────わぶぁ!?」
「ひゃあ!? く、クロウ……、変なところ触らないでくれよ……?」
爆風に煽られて吹っ飛ぶ。マギアを傷つけないように抱え込む力を強くして、転ばないように踏ん張る。
「緊急時!! 緊急時だからねマギア!! 暴れないでね!!?」
「おうおうイチャついてんなァ、ムカつくぜいつまで逃げられるかねぇ!!?」
火線が二つ、僕の両側を真っ直ぐ駆け抜けていった。
逃げ道は、前だけ。しかもその先には大きな木が立ち塞がっていた。
これでは逃げられないではないか。
「そうら終わりか? 景気付けに全部行っちゃうぜ!!?」
奴は手に持った全てのトランプカードを解き放ち火線の幅よりも大きな大きな炎が迫ってくる。
「終わりじゃない、っての!!」
僕は前にある木に目掛けて助走をつけて、駆け上がった。
迫っていた炎は足元で木に激突。爆ぜ、荒れ狂う爆風が吹き上げ、僅かに僕らの体が中に浮く。
「────へぇ、やるじゃん、か!!」
ヒュン────ガッ。
「ぁ……クロウ……っ!!」
風切り音が聞こえたと思ったら、目の前が真っ白になった。
僕はわけもわからないうちにバランスを崩してしまった。地面が目の前に迫り、マギアを下敷きに──してしまうのは不味い──僕は抱えていたマギアをなんとか上へと掲げた。
(あ────、は────?)
思考が真っ白になった。鼻の先に土。顔を横に動かす。棒が落ちてる。これはさっき見た。あの男の槌だ。何で僕の横に落ちてる。頭が動かない。左目がなにかどろっとしたものでふさがった。右目は動く。どうなってる。観察しろ。わかんない。ひょっとして倒れてるのか僕は。何で倒れてる。鎚。頭。左を見る。赤い水溜まり。これは。
「いやだ、クロウ、クロウぅ!!」
マギアの声だ。何故か泣き出してしまいそうな声で僕の顔を覗き込んでくる。泣き顔も天使のように可愛い。可愛いよね。マギアはいつも可愛い。初めて会った時から、ずっと可愛いと思っていたんだよね。両親が死んだ後、ハズレ能力カードを授かって、ぼこぼこに罵られて自暴自棄になった僕は、あの日本当に天使に会ったと思い込んだくらいに、マギアは。
「クロウ、クロウ、クロウ!! 目を開けて!! 目を、開けてよぉ!!」
いや急がせないでよ。いつも君が、先々を考えてくれているのはわかるけど。君ほど僕は頭が良くないんだ。あ、でも何度も同じこと言われなくても分かるよ。ほら。
「クロウ、ボクなんか庇って、いやだ……いやだよ、クロウッ!! クロウぅ!!」
「ナーイスショット……ふは、俺も腕が良いねぇ。まんまと無防備に飛び上がってやんのー、へへ」
揺すらないでよ。ほら、今気持ちよく寝て。
……ねて。ねてる。なんでだ。ぼくはなんでこんなところでねてる。どうでもいい? さむくなってきたなぁ。わかんないし。
「クロ────ぅやだっ!!? やめ、髪、引っ張らないで……!!」
「へぇ可愛い顔じゃねぇの。ジョーカー持ちはお前か?」
「ち、違──」
「へぇそうかじゃあこのガキを殺す」
「……ボクが、ジョーカーを持っ──」
────ダメだ。
「…………………おい、じじい」
「お? 何だよガキ、まだ動けたのかよ」
「……まぎあを、はなせ」
僕は、目の前の足を右手で掴んだ。握りつぶすくらいに強く強く。左手でコイツの足をよじ登るために高く。
「んだよガキ風情が。俺に触るんじゃ、ねぇッ!!」
靴底が、迫ってきた。目の前に星が散る。
「まぎあを、はなせ。じゃなきゃ、おまえを、ころす」
「るっせぇよ、ガキ」
靴底が。星が。一度じゃなく何度も。
どす。どす。どす。なんか変な音が聞こえる。もう前は見えねぇや。へへ。
「やめて、クロウが、クロウが死んじゃう!!」
「おいおいおいおいガキが俺に意見してんじゃねぇよ俺はクラウンズ序列三位、【
「んだよ、それ、かっこわる──ぐぇ」
どす。どす。何度も音は聞こえる。たぶんきけんがあぶない音だ。それでも口は動く。ムカつくやつが目の前にいるみたいだから。クローバー様? 変な名前だ。名前なのか? よく分からないけど今すぐ爆発してしんでくれ。まぎあをはなせ。
「じぃ、が、ふ、じいちゃ、いってた。けんりょくをかさにきるやつは、それしかねぇごみだってな」
「────っ。が、ガキ風情が、言うじゃねぇ、 か、よ!!」
また。変な音がした。なんか鳴っちゃ駄目な音が僕から聞こえる。まぎあがいじめられるよりはいい。
「がきにいいまかされてやんの、ぷぷ……──こふっ」
何か喉奥から変なのが込み上げてくる。吐いた。
「クロウ、いいから!! ボクの事なんてもういいから!!」
「うるさい、まぎあはいつもそうだ、そとにいこうなんてさそっておきながら、ひとりでこんなところにとじこもって」
「死ねよ、ガキ」
どす。ぼぎ。変な音が変わった。何か折れた。砕けた。なんでもいいや。
「いやだね、すきなおんなのこひとりまもれないでしね────ぁぁぁ!!」
背が砕けた。たぶん。背中からすごく痛い、を感じる。いや、どこもかしこも気持ち悪くなるようなくらいに痛いんだと思う。訳が分からなくなってきた。いやもう訳はわからなくなっているのだろう。めちゃくちゃだ。なにもわからない。
「もうそのまま死ねよ。ガキ風情が、
「いやだね、まぎあをはなすまで……ぼくは……!」
「だめ、クロウを殺さないで、ボクはどうなってもいいから……」
それはだめだ。ダメだって言ってるのに────
「面倒だ。じゃあそうさせてもらうわ」
男がそう言ってマギアに目を向ける。
「やめろ」
僕は手を伸ばした。
「遺言はあるか? このガキは言い残してくれた方が絶望するだろうしそしたら俺はすげえスカッとするからな。あるなら言っとけ」
「ありがとうね」
やめろ。やめて。やめてくれ。マギア。
「クロウ────ボクのことをあの書庫からほんの僅かな時間だけでも連れ出してくれたことは感謝してる。キミとの時間をボクは……いや。でも、ほら、キミは普通の人だ。だからさ、ボクのことを忘れてくれていいから、ボクの分まで生きて。お願いだよ? あと。そうだね、ボクもキミのことは大好きだ。それじゃ、またね」
「────まぎあ……?」
左目が、開いた。視界が開ける。
あの日と一緒の赤い赤い光が注ぐ悪魔書庫。
マギアは、涙を流しながら、僕に向けて天使とは程遠いぎこちない笑みを浮かべてみせた。
────そして、まぎあのまんなかにまっかなあながあいた。
「よっしゃあ、ジョーカーゲットだぜ!! ははーっ、さぁてこのジョーカーの効果はぁーっとぉ?」
ぐしゃり。と、まぎあのからだがゆかにおちた。
もう、いきがない。
「あははははははは!!!! こりゃ最高だ!!!」
こうしょうがみみざわりだ。
うごけるなら、ぼくはこいつをころしてやるのに。
「ははははははははは!!! 気分が良い、お前良い顔するなぁ!!! それに免じて見逃してやる!!! あははははははは!!!!」
ころしてやるのに、うごけない。ちくしょう。ちくしょう……。
────そこで、意識が途切れた。
◆
「────クロウ、しっかりして!!! 助けに来た……これって」
◆
「────こりゃあ、間に合わなかったか。遺体だけでも、運んでやるか……あ? こりゃあ、どういうことだ」
◆
「────僕が……絶対に……」
◆
────絶対に、殺してやる。
◆
────聖歴四百八十三年、冬。ヒュトリア王国の辺境から1つの村落が焼け落ちる形で地図から姿を消した。
生存者は不明。ただ近隣の町では赤い服の道化師のような出で立ちの集団を目撃したと証言する人物が多数見受けられた。
この赤服の道化師の集団が某辺境村落に関与していると見て、ヒュトリア王国は捜査をすることを約束した────。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます