その八
翌日午後1時、場所は井之頭公園。
俺は不忍の池のほぼ真ん中、弁天堂に、佐藤弘君と二人で立っていた。
佐藤君は昨日理髪店で整髪して貰ったという。
見事にすっきりした、今時珍しいクルー・カットにして、髭の剃り跡も青々としている。
この蒸し暑いのに、きちんとネクタイを締め、夏向きのスーツで決め、薔薇の花束(彼女が好きだという赤いバラだ)を持っている。
笑ってやるなよ。彼自身大真面目なんだ。
かたや俺はと言えば、すっかり肩崩れしてしまった薄茶のジャケットにネイビー・ブルーのインナー、流石にコートは着ていなかったが、髪はぼさぼさ、髭は半分だけ剃っただけという、如何にも冴えない格好だ。
『すみません。付き合わせてしまって』
彼はすまなそうに頭を下げる。
『なあに、どうせ暇だからな。その代わり、手間賃は割増しと言うことで頼むぜ』
『勿論です』
彼はまた律義に頭を下げたが、すぐに不安そうな表情になり、
『彼女、本当に来てくれるんですか?』
『向こうは来ると約束したんだ。あの目はウソはつかんと俺は思う。何なら賭けてみるかい?』
彼はとんでもないというようにかぶりを振った。どこまでも真面目な男だ。
佐藤君はもう一度不安そうに腕時計を見た。
時刻が1時15分を過ぎようとした頃、彼女が現れた。
ブルーに無地で、裾が広がったワンピース。
足には茶色のパンプス。
髪はポニーテイルに結んでいるという、まるでオールディーズの写真集から抜け出してきたようなスタイルだ。
化粧は薄いピンクの口紅を塗っているだけである。
『遅くなってごめんなさい。初めまして、私が高宮秋子です』
彼女は佐藤君に向かって丁寧にお辞儀をして見せた。
『こ、こちらこそ・・・・は、初めまして』
彼はまるで出来損ないのロボットみたいにどもりながら、ぎこちなく頭を下げて返した。
『あ、あの、よかったらこれを・・・・』後ろに隠していた薔薇の花束を震える手で差し出す。
『有難うございます』
そう答えて彼女は受け取る。
『あ、あの・・・・私のことは乾さんから・・・・』
『はい、聞いています。大方のことは!でも僕は気にしません!本当です!僕だってそうそう自慢できる男ではありませんから!』
佐藤君の額から汗が滴り落ち、顎から垂れて、コンクリートの上に落ちた。
秋子が下げていたグレーのハンドバッグからハンカチを取り出し、そっと彼の額に当てる。
『あ、有難うございます!』
佐藤君の声が上ずり、それにつられて彼女がくすりと笑った。
俺は隣で吹き出しそうになるのを辛うじて
『言った通り、彼女は来たろう?後は君らの仕事だ。追加料金はお忘れなく』
それだけ言い残すと、二人に背を向けて俺は元来た道を引き返して行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
三日経った。
俺はボロの洗濯機の腹を何度か蹴っ飛ばしていうことを聞かせ、終えたばかりの洗濯物をベランダ(ネグラの外は大半がそうなんだ)に干していた。
え?
”あれから二人はどうなったか?”って?
知らんな。
”知ってるくせに勿体つけるな!”
仕方がない。
間もなくして、佐藤君から俺の銀行口座に、少しばかり多目のギャラが振り込まれ、それと相前後して、彼から手紙が届いた。
二人はとりあえず”お友達から”ということで、清い清い交際を始めたという。
ああ?
”ウソをつくな!”だと?
俺は探偵だぜ?
ウソだけはつかないのを信条にしてるんだ。
それにあの男、今時珍しいくらい純情な男だぜ。
正直者だと信じてやってもいいじゃないか。
さて、洗濯も干し終わった。
今日は臨時休業だ。
デッキチェアに寝そべって、冷蔵庫のビールで呑んだくれるとしよう。
その後はバーボンだ。
文句があるか?
終わり
*)この物語はフィクションです。登場人物その他については、全て作者の想像の産物であります。
ディスプレイの向こうから 冷門 風之助 @yamato2673nippon
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