01-011 2022年 - さくらは協会長にあきれられた
協会長室での話しを終え、三人は地下へ降りた。
「ここは特別訓練室だ。本当に魔法が使えるなら今までの訓練室では強度に問題があるので補強した」
壁に鉄板を埋め込んだり、他の訓練室は剣道場のような木の床だったが、この部屋は床材まで全て剥がしてコンクリートの打ちっぱなしになっている。
孝利はビビっている。さくらはなんでそんなことを? と思っただけだった。
そんなさくらの表情でなにを考えているのか伝わってしまったのだろう、長谷部が説明してくれた。
「魔法を使う前提で作った訓練場じゃないんだ。主にランク試験や初心者講習に使っていた部屋なんだよ。ダンジョン外で魔法を使えるのはおそらく君が初めてだ。的も用意しておいた」
と指差す方を見ると、奥の壁際に人影がある。いや、あれはドラマなどでしか見ることがないあれだ。射撃場のターゲットだ。体の中心から何重かの円が描かれている。
「まずは魔法を見せてもらいたい。今まで、ダンジョンの外で魔法の発動に成功したものはいないんだ。
スタンピード中のダンジョンゲートのそばでは使えたという噂はあるんだが、きちんと確認は取れていない。
あの的に向かって魔法を使ってほしい。《火球》 は使えるか? 奥の壁は耐火レンガだから燃える心配はないぞ」
「ええ、多分。やってみます」
さくらは 体内炉に意識を集中してみると、特にダンジョンの中で感じていたのと変わらず魔力を感じることができた。使えそうだ。
「使えそうです、やっていいですか?」
「ああ、かまわん。よくわからんが、威力を調整できるならまずは軽めの威力で頼む」
そう言われ、体内炉から魔力の糸を引き出す、できるだけ細く、できるだけ短く。
「いきます。《火球》」
さくらは右手を上げた。その手の上に小さな魔法陣が現れ、そして魔法陣と同じ大きさの火の玉が出てきた。
腕をボールを投げるように的に向かって振り下ろすと、火の玉がものすごい速さで的に向かって飛んでいき、的の中心を射抜いた。大成功だ。
的は紙でできていたようで、中心は焦げて穴が空いていた。確認してみると、奥の壁のレンガもやや削れてしまっていた。
「うおお!」
長谷部は目を見開いてその様子を微動だにせずに見つめていた。孝利はダンジョンで一度見せてもらっているので驚きは小さいが、やはりダンジョン外で発動したことには驚きを隠せなかった。
長谷部はこのあと運動機能測定結果の確認のため、さくらに模擬戦を依頼するつもりだった。そもそも長谷部は脳筋だ。佐倉夫妻には申し訳ないが、身体で語ったほうが色々と分かることもあると思っていた。
しかし、その必要はなさそうだった。あの《火球》は避けられない。それに、《火球》を飛ばす際の腕の振りが速すぎた。目ではなんとか追えたが、魔法なしでもちょっと厳しい。
「どうですか?」
考え込んでいた長谷部に向かってさくらが話しかけてきた。孝利は「どうだ俺の嫁すごいだろう」とでも言いたそうな顔で見てくる。
「なんで魔法を投げてんだ? あと、その《火球》の他に《身体強化》を同時に使ってないか?」
「え? だって投げなかったら当たらないじゃないですか、それに投げるの遅いと避けられちゃいますよね」
「?」
「……?」
「俺の知ってる魔法は投げねぇんだがなぁ……。ダンジョンやハンターについてどのくらい知っているかね?」
「ええと、あんまりわかりません。夫とは家で仕事のことをあまり話さなかったので」
「学校でも教わっているだろう?」
「いえ、ワールド・アナウンスは高校入ってちょっとしたくらいの頃ですし、高校出てすぐ結婚して子供産んで……全然ですね」
「おっと、そうだった、すまん。どうにも慣れんな、見た目が若すぎて勘違いしちまう」
「あはは、しょうがないですよ、わたしも鏡見て戸惑いますし」
苦笑するさくらを横目に長谷場はううむとうなり考え込んでしまった。
これは思ったより大ごとだ、と長谷部は悩む。愛弟子の奥方がダンジョンに落ちて無事生還できたが、あまり目立ちたくないのでどうにかならないか、という相談を受け、人道的な観点からも助けることを決めた。協会の役割としても問題ないはずだった。確かにダンジョンからの帰還者なんて悪目立ちするし、やっとのことで帰還したところにマスコミが集まれば心が休まらない。
しかし、改めて弟子から聞いてみればそういうことではなかった。ダンジョンから若返って帰ってきたなどと、さらに魔法使いになって帰ってきたなどという話は、できるかぎり隠さなければいけない。ダンジョン絡みの発見には行き過ぎた情報収集が行われることも珍しくない。日本は人道的に、短期間の拉致監禁程度で済むが、海外の組織に狙われたら戻ってこられないケースもある。それに、本人だけでなく家族まで巻き込んで危険にさらされることもある。
その一方でダンジョンは我々にとって災厄であると同時に新しく与えられた可能性だ。
スタンピードが起きないようにコントロールできている限りは、恩恵も多い。ダンジョンで得られる資源は人類の発展に大きく寄与している。
つまり、今回の恩恵も社会に還元する必要がある。それも協会の使命だ。
そこで、以前から協会で実施していた研究の成果が出た、ということにする。なるべく早く発表できる成果を出せるよう、さくらには非常勤の協会職員として所属してもらい、魔法や持ち帰った魔道具について協会の研究員に協力してもらう。さくらしか持ち得ない秘密がなくなれば、当然さくらを狙うものなどいなくなる。
そのための現状確認だったが、長谷部は困ってしまった。さくらには前提知識がほとんどない。これでは研究員との会話もままならないだろう。
しばらく考え、長谷部は孝利に向かって頼みごとをする。
「佐倉くん、君に指名依頼を出す。奥方にまずハンターやダンジョンの基本知識を教えてほしい」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それから一週間ほどかけて、孝利はさくらに自分の授業の録画を見せて、ワールドアナウンス以降の歴史やダンジョン学を学ばせた。学生向けの授業動画はたくさんある、主に孝利がダンジョンに潜っている間の自習用として。
テキストと授業動画を見てもらい、帰宅してから補足説明し、質問に答える。
なぜか二人の子どもたちも一緒に勉強しているようだったが、悪いことではないので任せた。
時折、孝利がリビングをのぞくと、息子の悠人とゲームをしていたり、娘の杏奈とアニメを見ていたりした。詰め込み勉強はストレスが溜まるので息抜きも必要だ。テキスト以外の本がテーブルに山と積まれていた、勉強熱心なことだ。
さくらは高校卒業以降、あまり勉強らしい勉強はしていなかったが、やる気を出せば頭はかなりいい。中学で孝利に一目惚れしてから半年で当時孝利が教師をしていた名門高校に特待生で入学した。孝利から与えられた教材は一週間でかなり進んでいた。一般教養のダンジョン学は半期分を終えていた。
夕飯を食べながらさくらや子どもたちから話を聞くと、魔法は呪文の詠唱が必要、ダンジョンの外では魔法が使えない、さくらのもっている道具はどれひとつとってもレア中のレアであることなど、やっと世間の常識を身に着けつつあるようだった。
息抜きだと思っていたゲームやアニメは子どもたちがさくらが魔法を発動するのにイメージをつけるためにやっていたということだった。
さくらは純粋に大きくなってつきあいの悪くなった子どもたちが一緒にいてくれるのが嬉しいので、見ているだけのようだったが。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
さくらは一週間ほどである程度の知識を身につけた。勉強は続けるが、さすがに飽きたし、キリがない。長谷部にもいったんは一週間を区切りで、と言われていた。
「驚いたどころの話じゃないな」
長谷部の目の前では、さくらの手から放たれた《火球》がジグザグと蛇のような動きで的を撃ち抜いていた。
「ようするに、イメージ次第でどんな魔法でも使えるってことなんだな?」
「そうみたいですね、あ、そういえば、携帯端末の充電とかチャットも送れましたよ」
「ああ、そういえば、そんな話もあったな……めちゃめちゃだな」
ダンジョン外での魔法使用、しかも詠唱なしだ。今日は魔法名すら唱えていない。完全無詠唱だ。
「《身体強化》も使っているんだよな?」
「はい、あと《反射結界》も同時に使っています」
「無意識レベルでの多重起動か……。で、その魔法は最下層でもらった魔法書を読んで練習したらできるようになった、と。魔法書、もう一度見せてもらえるか?」
さくらはマジックポーチから革装丁の書物を取り出して長谷部に渡した。
長谷部は腕に血管が浮き出るほど力を入れて書物を開こうとしているが、開くことができない。
さくらに開いてもらってそれを横から覗き込んでもミミズののたくったような文字かどうかもわからないものしか見えない。
マジックポーチにしてもそうだったし、水筒もなにも出てこなかった。驚くべきことに槍や小刀のようなものも、ただ持つだけなら問題なかったが、武器として使おうとすると、ただのなまくらになった。突き刺したり切ったりすることができなかったのだ。
「参ったな。すまんがよろしく頼むとしか言いようがない。ああ、実験でダンジョンに潜るときは言ってくれ、ぜひ同行したい」
さくらさんはいつかスライムになるかもしれない 千鈴 @chiri2222chiri
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