01-010 2022年 - さくらは協会長と話をする

「佐倉さくらさん、あなたは二ヶ月もダンジョンにいたとは思えないほどに健康です。身体に異常は見つかりませんでした。一応、異常なしという結果です」


 ダンジョン協会の医務室だ。

 さくらは二日もの間、ありとあらゆる検査をされた。練馬ダンジョンから病院に直行し、一通りの問診のあと、よくわからないが色々な検査をされた。

 最初は軽い健康診断のようなものだったが、その後運動機能テストのようになり、さらには大きな機械の中に寝るように言われゴンゴンとうるさい思いもした。

 詳細な結果に関しては数日かかるものもあるらしいが、基本的な部分で問題ないということで、病院からダンジョン協会の医務室へ移動してのお話となっている。


「健康、ですか。それはよかった〜」


 にっこりと笑うさくら。

 検査の合間に子どもたちに会うこともでき、さくらはこの二日ですっかり自分を取り戻し、言葉づかいも元に戻っている。


「ところで、あの、『一応』というのは、なにかあるんですか?」

「はい、検査に数日かかるものもありますので、すべての結果が出ていない、というのと、もうひとつ、検査結果で、佐倉さんの身体が健康な一〇代女性という診断結果に、佐倉さんの運動能力が高すぎたことを正常とするか異常とするか、で病院側と我々ダンジョン協会側で意見の相違がありまして……」


 「身体に問題がなかったのならそれでいいじゃないですかねぇ?」


 さくらが『にっこりと』医師を見ると、医師はそのとおりとばかりにうなづく。このあたりの話は事前に孝利と協会の間で話がついていた。さくらもそれを聞いている。

 高位のハンターの運動能力が高くなることや、老けにくくなることは一般的に知られていることだった。これは俗に『レベルアップ』と呼ばれている。

 さくらに『レベルアップ』が起きていた、ということになっている。度合いについては誰もなにも言っていない。


「そうですね。問題ありません。ただ、しばらくは病院側がうるさいと思うので、なにかあればここ、協会の医務室の方へお越しいただければと思います。経過を見る意味でもしばらくは毎週通っていただけると助かります。もちろん、費用はすべて協会で負担します」

「それも夫と?」

「はい、佐倉さん……ええと、佐倉孝利さんと協会長の間で話し合った結果です」

「わかりました。お手数をおかけします」


 その後、協会長が話を聞きたいということで、さくらはダンジョン協会の最上階にある協会長室へ案内された。

 協会長室は、エレベータを最上階でおりた目の前にあった。築二〇年以上になるダンジョン教会の建物は古びているが清掃はきちんとされているようだ。扉の前で孝利が待っていて、一緒に部屋に入る。

 広いが、デスクと簡易な応接セットがあるきりで、殺風景な部屋だった。

 孝利と同じくらいの上背に鎧のような筋肉をまとった男がにこやかに挨拶をしてきた。


「協会長、と言っても大したものではないので緊張しないでほしい。長谷部一郎という。君の旦那さんとは古い付き合いだ」


 孝利が教師からハンターに転職した際の恩人で、ハンターの手ほどきをしてくれた大先輩だと聞いていたさくらだが、鍛え上げられた体躯とその容貌はぱっと見た程度では、孝利と大して変わらない年齢に見える。

 ただ、よく見ると頭髪には白いものがわずかに混じっており、目尻には幾重にも深い谷が刻まれている。孝利が大先輩と言うからには、孝利より一〇前後は上なのだろうか。それにしても、さくらが持っていた協会長というイメージからは大きくはずれている。デスクワークをするような人物には見えない。


 実際のところ、長谷部は協会長という肩書きはあるが、組織の運営はほとんど部下に任せきりで、ダンジョンハンターとしての活動がメインだ。

 つまり、ハンター歴二〇年以上の大ベテランだ。

 長谷部の筋肉の端々からにじみ出してくるようなオーラは肩書きにふさわしい風格を与えている。


 孝利は、「師匠、相変わらずお元気そうですね」と言いながら隣に立つさくらを紹介した。

 さくらはお辞儀をしながら、「あのでかい巨人みたいな感じだな」と思い、思わず《反射結界》を発動する。病院でCTになにも映らないと言われ、切ったままにしていた。


 その瞬間、長谷部の目が細められ、ギロリとさくらは見つめられたが、魔物に比べれば大したことがないので素知らぬ顔をした。数秒、にらみつけるように見られていたが、さくらがなにも反応しなかったためか、特になにも言われることもなく長谷部は話をし始めた。


「孝利くんからおおよその話は聞いている。協会としての公式な記録は佐倉くん……孝利くんにレポートをうまいこと書いてもらったからそれでいい。それよりもだ」


 長谷部はニヤリと笑う。楽しそうだ。筋肉だけではなく目からもなにかエネルギーが出てきたように感じる。


「殴っていいかい?」

「あ゛ぁん?」

「師匠! さくら!」


 孝利の声にはっとさくらは我に返った。危ない、ここ二〇年以上超かわいい奥さんでがんばってきたのに、と慌てて、にっこりする。

 長谷部も孝利のとがめるような視線から少しだけ気まずそうに目をそらせて、改めてさくらに話しかける。


「おっと、いや、すまない。お願いがいくつかあるんだ。その前に、協会長としてひとつ話しておくことがあった。

 今回の練馬ダンジョンに巻き込まれた一般人の件に関しては、世間の目になるべくさらされないように強く配慮することとした。

 君が病院で検査している間に、すでに帰還者に関しては発表済みだ。ただ、プライバシー保護の観点から、帰還者が無用に取り沙汰されないよう関係各機関には強く要請した。


 二ヶ月間どうやって生き延びたか、については、浅い層にうまく隠れていたために見つけられなかっただけ、ということにした。つまり、君は三〇層より下には行っていないし、魔物と出会ってもいない。孝利くんによれば二五層が森林層だったということだったので、二五層の奥のほうに隠れていた、森の恵みで生き抜いた、という設定だ。


 申し訳ないが、ダンジョン発生時に捜索におりたチームもいるし、ダンジョン研究者でもあり金級冒険者でもある佐倉くんは業界では有名だ。その奥方がダンジョン生成に巻き込まれた、というのは東京では少なくないハンターに知られてしまっている。ただ、詳細を知るものは少ない。

 なので完全ではないが、少なくとも国レベルで注目されるようなことはないはずだ。

 暇なマスコミが寄ってくるかもしれんが、そこは先ほどの設定を通してくれればそこまで時を置かずして興味が削がれる予定だ。

 我々もそれどころじゃない新発見を発表する予定だからな」


 そういってまたニヤリと笑った。孝利もそこでニヤリと笑っている。ふたりともちょっと黒い笑みだ。

 長谷部は立ち上がり、デスクの上に置いてあるポーチを取り上げた。

 ソファに戻ってきてそのポーチをさくらに渡す。入院前に孝利にわたしておいたマジックポーチだ。


「でだ、その発表についてなんだが、魔法についてにするつもりだ。佐倉く……孝利くんに聞いたところによると、ダンジョンで魔法書を発見したそうだね。

 そのポーチに魔法書や他に発見したものが入っているということで預かったのだが、私も孝利くんもこのポーチを開けることができなかった。個人認証でもついているのかね……」


 そう言われてさくらは手に持っているポーチに視線を移す。二ヶ月もの間使ってきたそれはすっかり手に馴染んでいる。ボタンを外し、フラップを持ち上げ、手をつっこんで見る。

 頭の中に内容物のイメージが湧いて来たので、その中から書物を選ぶと、手になにかを掴んだ感触があったので、そのままカバンから引き出すと、革張りの書物だった。さくらには使えるようだ。


「おお!」


 長谷部は興奮した叫びを上げた。


「どんなに試しても私には使えなかったのに! 使用者が限定されているのか、これはすごい! 世界初かもしれん!」


 あの日——ダンジョン協会ではワールドアナウンスと呼んでいるそうだ――以降、魔物を倒したあとにアイテムが発見されることがある。ダンジョンで強い魔物を倒したあとにふと見ると落ちていたり、スタンピードを乗り切ったあとにふと気づくと落ちていたりした例がある。

 その中には、まるでゲームのように、ポーションだったり、魔剣だったりといったものがあり、その中のひとつにマジックバッグがある。

 マジックバッグの発見数は少なくはないが多くもない、というところだ。


 さくらは魔法書だけでなく、入っているものをすべて取り出してみた。兵糧丸だけ途中で諦めた。一度に一粒で二〇回ほどで飽きてしまった。


「ほう、やはりかなり入るようだな。そんな小さなポーチでどう見ても数十倍のものが入っている。すまないが、魔法書だけ協会で預からせてくれ。他は君のものでいい」


 長谷部はそう言って、魔法書を開こうとした。そして顔をしかめる。


「む? むぅ、まさかこれも? ふぬ、ぐぅ、かぁぁぁ!」


 どうやら魔法書を開くことができないようで、革張りの表紙をぐっとつかんで赤い顔をしている。額にはうっすら汗がにじんでいるが、魔法書はピクリとも動かない。


「すまんが、録音機器を準備するので、明日、また来てくれないだろうか」


 書物をさくらに返しながら、へにょりとした顔で長谷部はそう言った。

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