01-009 2022年 - ダンジョンからやっと出た
孝利が戦っていた場所は本当に階段のすぐそばだった。
少し落ちついた二人は、階段を上ることにした。別のクロウラーが近づいてきていたからだ。
さくらは孝利の怪我を治療したかったし、孝利は三〇層は魔物が出ないことを知っていたからだ。
「ほら、孝利、怪我を治すからそこに座って」
「いや、上ってすぐのところに俺のベースキャンプがあるから、そこまで行こう」
階段の途中でさくらが声をかけると、孝利が立ち止まらずに答える。
「三〇層から上は魔物がいないんだ。なんでかはわからないが」
「三〇層!」
さくらは微妙な顔をしながら叫んだ。
まだ半分しか上っていなかったこと、もう三〇層も上り続けないといけないことには、孝利に会って安心しかかっていたさくらには辛い話だった。トンネルの出口が見えたと思ったら出口はまだまだ遠いと知らされた。
しかし、そこまでして孝利が迎えに来てくれたことや、もう魔物が出ないから道行きは心配がないこと。それに、もう道に迷わなくていいことはとても嬉しい。命の心配はもはやなくなった。
長い階段を上りながら、改めてさくらを確認する孝利。面影は間違いない。しかし、別人に見えてしまう。
最終的には、初めてデートで行った場所とプロポースの言葉と子どもたちの生年月日の言葉で信じることができた。
三〇層についた。たしかに魔物の気配がない。それ以前に、魔素がとても希薄なことにさくらは気づいた。最下層から層を上るにつれて魔素が少しずつ薄くなってきていることには気づいていたが、この層は別世界だ。
さくらが周りを見ていると、孝利がそばに立てられていたテントからカセットコンロと鍋を出してきた。
「腹、減ってるか? お茶か雑炊、作るけど」
「お茶、かな。お腹はあんまりすいてない。パパ、色々と大変だったの。聞いてほしいことがたくさんあるの」
「そうか、わかった。あ、その前に、これを見ろよ」
お湯を沸かしながら、持っていた小さな手鏡を渡す。
さくらは鏡を受け取り、ちょっと暗いなと思い《明かり》を使う。無詠唱だ。指先に小さな魔法陣が現れ、そこから光球が浮き上がる。
二人は同時に驚いた。
「うぉっ! 魔法!?」
「ん? うぉ! すげぇ、パパ、これがあたし? だから杏奈と間違えたのか……ね」
さくらは興奮のあまり素が出てしまった。どちらにせよ、独りでダンジョン生活を過ごしている間に猫のかぶり方を忘れてかけていた。
もちろん、長い夫婦生活の中でバレているのだが、夫にはよく見られたいので、言葉には基本、気をつけている。
「びっくりしたろ? だから下で会ったときわからなかったんだ」
「本当……思っていたよりすごい……」
それ以上言葉が出ないさくらに、孝利は、それより、と、今までどうしていたのかを聞いてきた。
それから、長い時間をかけてお互いの情報を交換した。と言っても、主にさくらの話だ。魔法の件、どうやってダンジョンに落ちてから魔物のひしめくダンジョンを抜けてきたのか、食事はどうしたのか、孝利には知りたいことがたくさんあった。
お茶を飲みながらしばらく話をした。
「とてつもない話だな……」
なにを聞いても信じられないような話ばかりである。長くダンジョン研究者兼ハンターをしている孝利が聞いても、荒唐無稽としか言いようがない。知る限り、世界でも似たような事例はなかったはずだ。
とはいえ、明確な証拠がある。
若返ったさくらを見て、目の前に浮かぶ 《明かり》を目にして、さくらが所持しているポーチとその中身を見て、何一つ嘘があるとは思えない。そもそも、さくらが孝利に嘘をつく理由がない。
「どうしたもんかな……」
どうしたの? と視線で問いかけるさくら。
「ん? いや、な、これ、どう考えても世界中の諜報機関に狙われる未来しか見えない」
孝利はため息をつく。さくらはダンジョンのことをあまりわかっていないのでしょうがないが、全てを公にするとまずい。世界にどれだけ広まっている話かわからないが、練馬のダンジョン生成に巻き込まれた人が出たことは、大きなニュースになった。
さくらが戻ったとなれば、大きく報道されてしまうだろう。深層からの帰還者は世界初だろう。そのときにすべての情報を出してしまうと、大騒動になることは火を見るより明らかだ。
ダンジョン協会とも連携して、少しずつ明らかにしていくとか、別のハンターの功績としてもらうとか、考える必要がある。
まずは、帰還したことを報道させないようにするべきか。
孝利はさくらの方を見る。
薄暗いダンジョンをさくらの魔法が明るく照らす。さくらは鏡で自分を見ると、ほう、とか、へぇ、とか、でへへ、とか言っている。
なんとしても守らなくてはならない。もちろん、ことが露見すると家族にまで被害が出る可能性がある。
ひとしきり確認して満足したようすのさくらに、孝利は話しかける。
「さくら、落ちついたなら、そろそろ、家に帰らないか?」
「そうね、子どもたちにも会いたいし」
それから二人はダンジョンを出るために再び上り始めた。
「三〇層もがんばって上ってきたのに、またさらに三〇層なんて……」
さくらがうへぇ、という顔でため息をつきながら歩く。
「でも魔物はいないし、道もわかっているから、そんなに時間はかからないと思うよ。俺の足で一〇日くらい」
「大丈夫よ、あたし、かなり鍛えられたから。パパの速さに合わせられると思う。それにしても、本当に魔物がいないのね、これならもっと早く歩いても平気よ。さっさと出よう!」
「はは、そうだね、帰ろうか」
ダンジョンを上る道すがら、さくらは孝利からダンジョンの常識を教えてもらった。そして、いかにさくらが非常識な状況にいるか、も。
それからは、なにをどこまで話すか、を二人で話し合った。
二人の結論は、世間にはなるべく隠せるかぎり隠すべき、であった。そうしなければ、さくらや、それだけではなく家族の安全も劫かされる。
しかし、この発見は今後のダンジョン攻略や世界の発展に間違いなく寄与する。そのため、ダンジョン協会には情報を提供し、ダンジョン協会で発見した体をとって情報を公開してもらう、ということにした。
孝利はダンジョン協会との付き合いも長い。協会長との関係も悪くない。
孝利とさくらがダンジョンから出たのは、一二月二一日のことだった。
ダンジョンの外にはプレハブでできたダンジョン協会の支部があり、若い青年が暇そうにしていた。練馬ダンジョンに入るものは少ないからだ。
とはいえ、魔物がまったく出ないダンジョンというのはそれなりに需要があるようだ。
魔物が出ないことが分かっているため、ダンジョンは怖いが魔物には会いたくない。けどダンジョンは見てみたい、という者や、ダンジョン内で採れる薬草や鉱物の採取をしたい者。
ダンジョン内はさくらの感覚からすると薄いが、地上よりは魔素があるため、安全に魔法を練習したい者。
魔素に弱く、魔素に酔う者もいる。しかし、ダンジョンに数日こもれば、体が慣れる。そういった魔素適応のために入る者、などだ。
さくらと孝利は五層から自分たち以外のハンターを見るようになったが、みな、さくらを見ると一様に奇妙なものを見るような顔をした。
隣にいかついハンタースタイルの男がいるので、なにかを言われることはなかったが。
孝利がダンジョンから出てくるところを見て、プレハブのカウンターで暇そうにしていた青年は無事に帰ってきてくれたことを喜んで笑顔で手をふる。そして、その隣にジャージ姿の女性がいることに驚く。奥さんを助け出したのだろうか。陽の光が眩しいらしく目の上に手をかざしている。今日の入場者にいたら間違いなく忘れないはずだし、泊りがけでダンジョンへ入る申請を出していたのは孝利だけだ。
「斎藤くん、ただいま、ダンジョンの退場処理をお願いするよ。あと、協会への連絡を頼めるかな? できれば、協会長へのアポイントもお願いしたい」
「わかりました。お隣は奥さまですか? ついに、救出を?」
カウンターまで来たところで、女性が少女、といってもよい年ごろだということに気づいた。しかし、状況からすればそう尋ねるしかない。
少女は斎藤の方へ視線を向けることなく、携帯端末をすごい速さで操作している。前髪が邪魔で顔がよく見えないが、非常に整った顔をしているように見える。頬を伝うのは、涙だろうか、汗だろうか。
「それも含めて色々と相談事があるんだ。まずは秘匿通信で話をしたい。プレハブとは言え、設備はあるんだろ?」
「ありますよ、でも、よほどの事情じゃないと使えないです。まずは説明をお願いできますか?」
「すまないが、そこを曲げて、依頼だけ上げてくれないかな。A級ハンターからの依頼ってことで」
「そこまでですか? わかりました。本部に依頼します。少々お待ちください」
A級以上のハンターは、単純な強さだけではなく、ハンター協会への貢献なども昇格の条件とされる。それだけ狭き門をくぐり抜けたハンターにはふさわしい特権を与えられている。協会の上席者へ直接話をする権利も含まれる。
そこからはトントン拍子に話が進んだ。
プレハブの一室へ案内され、見たことのない形のごつい通信機を使い、孝利は協会長としばらく話をした。
さくらはその間ずっと携帯端末とにらめっこだ。孝利が横からのぞき込むと、家族チャットをずっとしていたようだ。
「さくら、終わったよ、まずは健康検査だ。二日ほど病院に缶詰になる。退院したら協会長に今回の件を報告だ」
その日、練馬ダンジョンの入退場ゲートの入退出記録にエラーがあったが、次の日の報告ではエラーなし、となっていた。
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