01-008 2022年 - ダンジョンで夫と再開する

 佐倉家の三人はあの日、さくらからのメッセージに気づいた。


 ダンジョンにいるはずのさくらからどうやって送ってきたのかわからないけど、これはさくらからのメッセージだと信じた。

 メッセージから、さくらがアンデッドと戦うつもりであることが分かった。つまり、魔物のいる層にさくらはいるということだ。三一層より下ということになる。孝利は絶望しそうになったが、娘の一言で気力を取り戻した。


「ママ……余裕そうだよね」

「……そうだな」


 実際のところ、さくらは泣きそうになりながらメッセージを打っていたのだが、家族はそうとらえない。

 死にそうな、または、ギリギリな状況で「おー!」なんて言っているとは思えない。


 深刻な三人。一方で「がんばるぞ、おー!」なさくら。どうもなにかが食い違っている気がしてくる三人。

 佐倉家のリビングには弛緩した空気がただよってきた。


「さすが 『釘バットの女神』 だね」

「あれ、『釘バットの姉御』じゃなかったっけ?」

「”女神”は中学の時で”姉御”は一〇年くらい前だ」

「ああ、大人の魅力か、さすがママ」

「ちっさいけどね、母さん」

「でもわたしよりおっぱい大きいよ」

「そりゃ姉ちゃんが小さいだけだろ!」

「ざーんねーん、わたしだってそれなりですぅ〜。なに? 悠人ったら星人なの? 星人? いやーん」

「くっ! このっ!」


 もはや子どもたちに全く緊迫感はない。そこそこ広いリビングで鬼ごっこが始まった。


 孝利も緊張がほどけてくる。出会って二十数年、ときどき想像の斜め上を越えてくる。きっと今回もそうなんだろう。

 ダンジョンからメッセージ送ってくるとか、わけわからん。

 以前、さくらはとある事務所に殴り込みをかけてそこの所長 (組長とか呼ばれていた) と仲良くなって帰ってきたことがある。あのときもよくわからなかったが、今回はさらにわからない、が、絶望が強い希望に変わった。


 孝利はもう一度気を入れ直す。


「母さんを迎えに行ってくる」


 孝利がそう言うと、二人は追いかけっこをやめ、強い目で父親を見る。その眼差しに暗さはまったくない。


「うん、待ってる」

「父さんも気をつけて」



 孝利は大学に休職を申し出た。練馬ダンジョンに潜るためだ。携帯端末を見せ、妻が生きているからには自分が諦めるわけにはいかない、助け出すまで休職する、と。これはあっさりと受理された。

 大学職員は孝利が見せた携帯端末のメッセージを全く信じていなかったが、孝利の意思を尊重したのだ。



 孝利は三〇層までを最短ルートで一気に降りた。三〇層まではマッピング済みで魔物がいない可能性も高かった。もちろん、だからといって油断していたわけではない。できたばかりのダンジョンは想像もしない現象を起こす。魔物が出ないのもその一つと考えられていた。いつかは魔物が出るようになるという想定もしていた。


 ダンジョン協会は一度目の調査で深層の魔物に太刀打ちできないと感じていたため、協力には消極的だった。

 孝利は時間を惜しみ、同行者を求めなかった。ちょうど空いているハンターに見知った顔もいなかったため、時間を優先した。


 孝利が三度目に三〇層に到着した頃には、ダンジョン発生から二ヶ月が過ぎていた。通常なら、落ちた人の生存は絶望的だ。


 三〇層をベースキャンプとして、孝利は一人で三一層にチャレンジしている。

 しかし、魔物に阻まれて先に進むことはできていなかった。もちろん、チームで挑んで越えられなかった壁だ。今回は魔物を避けながら進もうとしている。

 ただ、今のところ、そのチャレンジはうまくいっていない。クロウラーは動きは鈍いが、身体が大きく、複数で通路を塞いでくる。それに、口から吐き出す糸が意外と厄介だ。簡単に燃やすことはできるのだが、さすがに瞬時に燃やしきれるわけではない。糸には粘性があって、動きを阻害してくるのだ。


 さくらはおそらくここより下層のアンデッド層からメッセージを送ってきた。なるべく下層まで迎えに行きたいが、無理をして死ぬわけにはいかない。孝利は少しずつクロウラーの動きに慣れてきていた。もう少しで対応できるはずだ。


 さくらはどうしているだろうか、きっとつらい思いをしているに違いない。メッセージの言葉は空元気だ。深刻な状況ではなさそうだった。だが、ダンジョンに一人でいて、楽しく元気なんて当然ありえない。


 孝利は黙々とクロウラーを相手に修練を続けた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 アンデッドの対応ができてから、さくらは魔物に全く苦労をしていない。反射結界をまとったまま歩けば、魔物の攻撃は当たらない。攻撃してきたらそのまま跳ね返す。最初の頃はそうはいかなかった。サイクロプスに殴られれば結界ごとふっとばされ、怪我をした。《手当て》で治る程度ではあったが。


 さくらが難儀したのは、さみしさと迷宮だ。二ヶ月も独りでいたことはない。どうあれ自分の周りは人にあふれていた。さみしさのあまり動物型の魔物を手懐けようとがんばってみたが、懐くことはなかった。

 もうひとつは、迷路だ。さくらは最下層で目覚めてから、身体能力だけではなく、記憶力もよくなっていることに気づいていた。魔法書の内容は一言一句忘れていない。ただ、階層の道行きを覚えることはできなかった。記憶力の問題とは別だった。通路を曲がっても頭の中の地図が回転しないのだ。そのため、さくらの頭の中の階層の地図は、一直線だった。


 そんなこんなで色々あったが、今のさくらの頭の中はこれだけだった。


 毒々しい色をした芋虫がうざい。


 家庭農園でもこいつらは敵だったが、大きさも色も桁違いだ。さくらは槍の先から雷を飛ばしながら歩いていた。持っている槍の先端あたりに魔法陣が現れ、そこから雷が飛ぶ。通路を塞ぐようにしている芋虫のせいで、反射結界で跳ね飛ばしながら行くことができず、倒してはそれを乗り越え、を繰り返していた。

 さくらが数え間違えていなければもう三〇層くらい上っている。このダンジョンは一体何層あるんだろう。もうかなり飽きていた。


 さくらは途中から魔物の殲滅をやめていた。最下層に戻らず前に進むと決めたため、避け続けて階段さえ上ってしまえばいい。魔物とはいえ、意味のない殺生は避けたかったし、時間もかかる。早く脱出することを優先したい。なので、よほど追いすがってきたりしない限りは、避けるにとどめていた。


 何度か、草原タイプや火山タイプなどの特殊な層があった。迷宮型ではなく、なぜか空があり、まるで外界のようであった。ダンジョンから出られたと思ってぬか喜びさせられた。魔物が出たので違うというのはすぐに分かったが。

 それでも、迷宮でないことはうれしかった。おそらく迷宮型より広い層だったが、道に迷うということはなかった。


 そんなことを思い出しながら階層を歩いて数時間、さくらの耳に聞き慣れない音が届いた。多分、戦闘音だ。人の声も聞こえる。


「よっしゃ! ついに救出隊が来てくれたか!」


 さくらは喜びのあまり走り出す。通路を塞ぐクロウラーはさくらの勢いを止めることができずに弾き飛ばされている。

 近づいていくと、やはりだ、これは人間がいる。声を聞いている限りちょっとまずそうだ。


「あれ? わたしの名前? ……孝利?」


 さくらは聞き覚えのある声に慌てて速度を上げた。

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 孝利は三〇層での仮眠から目を覚まし、軽い食事を摂ると、装備を確認し、階段を降りる。もはや日課と化している三一層へのチャレンジだ。

 階段を降り、大して進まないうちに三体のクロウラーに出くわした。いつもは階段を降りてすぐに出くわすことはなかった。それに、複数体いっぺんに出会うこともほとんどなかった。

 これでは脇をすり抜けて先に進むという作戦はとれない。


 しかたがないので階段を上って、しばらく時間をおいてから再び降りてこようか、と思ったが、ふと怒りが湧いた。まったく進めないこの状況にだ。

 孝利はバスタードソードを両手で持ち、クロウラーに相対する。クロウラーは孝利に向かって鈍重な動きで近づいてくる。体当たりをするつもりだろう。孝利は走った。クロウラーの脇に回りこみ、バスタードソードを力の限り振るう。

 

 「このっ! 芋虫がっ!」

 

 孝利の攻撃はクロウラーの横腹に食い込むも、体皮を突き破ることができない。

 

 「通せ! さくらを! さくらを助けに行きたいだけなのに!」

 

 バスタードソードは何度も鈍重なクロウラーをとらえる。何度目かの打撃を与えると、ついにクロウラーの体皮をつきやぶった。

 孝利の攻撃のなにが今までと違ったのか、クロウラーはダメージを受け、今までとは違う動きをしてきた。頭から半身を持ち上げた。

 クロウラーの頭は孝利よりも高い位置にある。いままでのお返しとばかりに、糸を吐いた。孝利はクロウラーの巨大さに、面くらい、一瞬動きを止めてしまった。そこに糸が降ってきた。糸は粘性があり、孝利の身体の自由を奪う。

 

 糸に絡め取られた剣を振り回すが、むしろ逆効果だった。孝利はついに立っていることもできなくなり、ダンジョンの床に転がってしまう。

 三体のクロウラーはチャンスとばかりに孝利に向かって体当たりをかけてくる。

 

 「くそっ! こんなところで! こんな! こんな! さくらをっ! おれはっ! 畜生!」

 

 クロウラーがのそりと近づいてくる、体当たりと言うよりは轢き潰しになるだろうか。孝利は覚悟を決めて目を閉じた。


 しかし、そのときは訪れなかった。

 

「孝利さん!」

 

 透き通る声が聞こえた。その直後に、バリバリという激しい音が聞こえてきて、なにか重いものが落ちたような、低い、ドン、という音がダンジョン内に響いた。

 なにかが焦げたような匂いもしてくる。


「パパ!」

 

 まさか、と、孝利は慌てて目を開くと、目の前にクロウラーの焼け焦げた体が横たわっていた。

 

「パパ! 大丈夫?」


 それは見たこともない、いや、どこかで見たことのあるような美少女だった。心配そうな顔で孝利を見ている。

 

「杏奈? ……いや、さくら?」


 孝利が呆然としてそれ以上声も出せずにいると、その少女は身体に巻きつけたポーチからナイフを出して、クロウラーの糸を切り始めた。

 身体の自由を取り戻し起き上がると、奥にもさらに二体のクロウラーが倒れている。目の前のと同じように黒焦げだ。


 少女を見る。懐かしい気分になる。たぶん、そうだ、たぶん、そうなんだが、にわかには信じがたいし、いろんなことがいっぺんに起きすぎだ。受け止めきれない。

 少女は糸から開放されて立ち上がった孝利に満面の笑みで抱きついた。

 

「ありがとう……すごく……すごくみんなに会いたかった」

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