私の愛した"彼"へ

ちょん


パートナーのことは心から好きなんです。だから結婚したんです。だけど、どうしてもふと思っちゃうんです。


ああ、私、本当にこれでよかったのかな。


って。


インタビューを答える40代専業主婦のAさんにスタジオにいるタレントたちは賛同する。


お昼のワイドショーをテレビで観ながら、結菜はうどんをすすりながらふと考える。


結婚生活が続くにつれて付き合っているときのような倦怠感がくるものなのだろうか。


結菜は5歳上の夏樹と結婚して3年が経った。夏樹の一目惚れから始まり、結菜も夏樹の顔が良いという理由で付き合ってとんとん拍子で結婚に至った。最初の頃は好きだの愛してるだの言葉で表現したり、必ず出かける時や寝る時は恋人つなぎをし、行ってらっしゃい行ってきますのキスをしていた。それが今やキスする頻度もハグをする頻度も減った。別にそれを今まで気にしたこともないし、話し合ったことさえない。そもそも誰が決めたルールでも無いのだから話し合う必要も無いと意見する人がもしいるのならこう言い返してしまうだろう。それに夏樹に対して今も変わらず愛がある。愛があるのだから別に何とも思っていない。


3年経ったけど、きっと私は自分が思っているよりもずっと夏樹くんのことが好きなんだ


考えた末にこの結果以外何も思い浮かばなかった。

テレビの電源ボタンに手を置いた。


私、最近考えるんです。

あの時、あの人と別れていなかったらどうなっていたのかなって。

ふとした瞬間に"いちばん好きだった彼のこと"を思い出しちゃうんです。


"いちばん好きだった彼"


この言葉が結菜の心に刺さった。

そして真っ先に"彼"の顔が浮かぶ。

その人はかつて大親友だった同級生の男の子で友達から恋人になり、そして1度結菜の倦怠期で別れ、1年半後に復縁し、ワケあって好きなのに別れ、今はお互い連絡も取れないほどの仲になった相手だった。

結菜は別れを切り出した時のきちんとした理由を話せず、悪者になったまま連絡を絶たれた。別れ際に言われた


お前がそんな最低な奴だと思わなかった。別れて正解だわ。


という言葉が心の奥に棘となり刺さっていたままだった。忘れかけた思い出を思い出し棘をグリグリと抉られているかのようにズキズキと胸が痛んだ。

別れた時はこれでもかと言わんばかりに友だちに愚痴をこぼした。行き場のない気持ちを怒りに任せて大泣きした夜もあった。悔しくて悔しくて何度も本当のことを言おうと思った。


自分が理由をきちんと言えば関係が戻るのではないか。

復縁しなくても、最高の友達に戻れるのではないか。


その考えも虚しく、復縁はおろか、友達にも戻れていない。

結局言えず、胸の内に隠していた。それからポッカリ空いた穴を埋めるように付き合っては別れてを繰り返した。だが誰1人その穴を埋められなかった。結菜は諦めていた。正直、夏樹からアタックされて付き合った当初は気持ちなんて無かった。好きだなんだと夏樹が言うと、私も好きだよと言い、キスをする。その言葉に気持ちなんてなかった。しかし結菜を大事にしてくれる夏樹との時間が増えるにつれて気持ちが現れるようになった。好きという気持ちとは裏腹にこんな私でもいいのかと不安になるようになった。結菜は夏樹への気持ちはあるもののやはり引っかかった棘は抜けないままだった。隣りで寝ている夏樹に背を向け声を殺して泣いた夜もあった。本当の私を知ったらきっとこの人は幻滅してしまう。それならいっそ別れてしまった方がこれからのお互いのためなのではないかと思うこともあった。


冬のある日、プロポーズをされた。素直に嬉しかったが、正直返事は今すぐ出来なかった。もちろん夏樹の気持ちは嬉しかった。今すぐにでも返事をしたかった。でもやはり、私は心の奥底にある気持ちを誤魔化せなかった。夏樹がこの気持ちを知ったらきっと結菜への想いは無くなる。


1週間待ってほしいです。


結菜は夏樹にそう言った。夏樹は驚いた表情を見せたがにこやかに


うん、わかった。


笑いながらそう言った。

夏樹と距離を置いたりはせず、そのまま1週間が過ぎた。プロポーズしてからの生活も今までと変わらずだった。


この間の返事を聞かせてほしいな。


夏樹が結菜の目を見て言った。普段おちゃらけた性格の夏樹はいつもニコニコ笑っていた。しかしこの日は今まで見たことない真剣な顔だった。この1週間考えたことを夏樹の目を見て結菜も話始める。


夏樹くんのことは好きだし、プロポーズされて舞い上がった。けど、それと同時に私の中で忘れられない人がチラつくの。本当に心から好きだった、一緒にいて心地よかった。この人だって初めて思った相手なの。その人とはもう会えないけれど私の中できっとその人の存在は消えない。こんな私で良いの?夏樹くんならきっともっといい人がいるよ。


目に涙を浮かべ結菜は言う。本当に好きだからこそ、夏樹のことを傷つけたくなかった。夏樹がくれた愛を自分には何1つ返す自信がない。そう思う結菜は深く息を吸って、また話す。


私ね、好きなのに自分から別れを切り出した人がいるの。それはその人を守るためで、あの頃の自分は弱かったからそれくらいしか自分には出来なかったから。でも別れてからポッカリ穴が空いたみたいになっちゃって。その穴を埋めるためだけにいろんな人と付き合って別れたの。最初は夏樹くんの顔がタイプだったし、穴を埋めてくれる相手としか思ってなかった。ごめんね、私最低なの。でも夏樹くんとの時間を過ごしていく中で、私も夏樹くんのことすごく好きだなって思ったの。すごく好きだし、大切にしたいなって。だからこそ私じゃない方がいいんじゃないかなって。ふふ、引いたでしょ?もう何年も前のことなのに1人で引きずって利用するような真似して。最低でしょ?私。ごめんね、夏樹くん。


大粒の涙が止まらなかった。夏樹に嫌われて、別れたらもう誰とも付き合わず生きていこうと決心した。それだけ気づかぬうちに夏樹への想いは大きくなっていた。大泣きする結菜を夏樹はそっと抱きしめた。


結菜が夜泣いてるのも知ってたけど、それが理由なんだね。気づいてあげられなくてごめんね。たくさん悩ませてごめんね。俺は結菜といてすごく楽しいし、これからも一緒にいたいと思ってる。結菜が忘れられない人ってことはきっと素敵な人なんだね。忘れろとは言わないよ。結菜が大事にしてる人なんだから。でもこれだけは言わせて。俺は結菜のことを愛してるし、これからも一緒にいろんなところに旅行に行きたい。家族になって、あほだなってこと、しょうもないことでも笑っていたい。

結菜、改めて、結婚してください。


気づけば夏樹も泣いていた。2人でその日は大泣きした。泣いた後の顔はぐしょぐしょで、お互いの顔を見て笑った。


それから夏樹への想いは増すばかりで、子宝にも恵まれた。"彼"のことをふと思い出すが前のように気にしなくなった。

今その"彼"がどこで何をしているのか結菜には分からないが、きっと持ち前の優しさで幸せになっているだろう。ふふと結菜はにこやかに笑い、ぽこぽこと動くお腹をさすりながら電源を切った。




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