魔女の雲助タクシー

金澤流都

魔女の箒による時間旅行

 ひどく酔っていた。ヤケ酒ののちなので仕方がない。ヤケ酒をして、もう完全に理性を失っている。しかし喧嘩する元気はない。喧嘩なんかしたらタコみたいになるだけだ。


 僕は魔法が使えないので、酔い覚ましの魔法もできないし、女の子にも「ダサーい」とか「キモーい」とか言われるタイプの人間だ。そんな僕に唯一優しくしてくれた、ミモザさんという職場の同期に告白して、豪快にフラれたのがヤケ酒の理由である。


 ふらふらの千鳥足で、大通りに出る。最近人間の国から輸入されたとかいう「ジドーシャ」が走っている。なんだこのやろう。轢くなら轢け。僕なんか生きる価値もないんだ。どうせ、女の子には軽蔑されるし男には馬鹿にされるコンコンチキだ。劇場に飾られた、今期の劇団の新人オーディション一位だという、なかなかの美男の顔を見上げながらそう考える。


 ……でも、ミモザさんだけは、僕のことを素敵な人って言ってくれたんだよな。銀行の同期の、事務員の女の子。明るい金髪に緑の瞳の美人。

 まあそのミモザさんに、告白して見事にフラれたわけで。素敵な人というのは嘘なのだ。その場を取り繕うために言った、とかだろう。


 足元が危うい状態で歩いていて、急に歩くのに疲れてしまった。

 はあ、とへたり込む。誰も助けてくれないんだよな……。


「ちょいとお兄さん。そんなとこで寝込んじゃいけないよ」

 若い女の子の声。顔を上げると魔女の正装の黒い装束に帽子、きれいな銀髪の女の子。


「だれですあんた」不躾なのは承知でそう訊ねると、その女の子はにこりと笑って、

「エスメラルダ・マッローネを知らないの? ここいらじゃ一番かっ飛ばしてるタクシーだよ」

 と、そう答えた。エスメラルダ・マッローネ。ちょっと前まで箒レースの上位をかっ飛ばしていた魔女に名前が似てるな。っていうか同じだな。

「タクシー? それなら乗せてってくれよ」自暴自棄で答える。

「じゃあどこまでいきます?」エスメラルダはそう訊ねてきた。

「きょうの昼前まで。湖南銀行サラセラ支店の休憩室」と、無茶を言ってみる。


「……ははぁん。お兄さん、そこで女の子に思ったことを言って、見事にフラれてヤケ酒のパターンでしょ」

 うぐ。なんでわかるんだ。こいつは何者だ。

「それくらい表情で分かるし、銀行の窓口で働いてるお兄さんを見たことあるだけですよ?」

「はぇー。魔女ってすんごいなー」僕は完全なる酔っ払いの口調でそう言った。

「駄目だこりゃ。『酔いよ醒めよ』」


 エスメラルダがそう呪文をとなえると、酔いが完全に醒めてしまった。そしてまた自殺したいほど恥ずかしい、ミモザさんにフラれた案件を思い出す。


 はあああああああ…………。怒れる酔っ払いから嘆くシラフに表情が変わったのを見て、

「あー……じゃあ、せめて傷つかないために、その女の子に愛を告白する前の時間まで戻って、自分に忠告しとくってのは?」


 エスメラルダは当たり前みたいにそう言う。時間を移動できるってどういうことなんだ?

 そんな技術はこの魔法の国にはないし、文明が遅れている人間の国にあるわけがない。


「あ、タイムトラベル、疑ってるっしょ」

「そりゃそうだそんなもんどんなすごい魔法使いでも発明できるわけがない」

 エスメラルダは貧相な胸を張ると、


「ところがどっこい、このエスメラルダさまは聖典賞レースを時速140キルテでかっ飛ばすさなか、突然半年前に飛んでしまった。聖典賞レースの最中に、半年前喫茶店で食べた人間の国のパチパチキャンディー入りアイスを食べたいと思ったせいで」


 レース中の魔女ってそういうこと考えてるんだ……。

「じゃあレッツラゴーだ、バック・トゥ・ザ・ねーちゃんしちゃおう。そんで自分を止めにいこう」


 というわけで、そのエスメラルダという魔女の、主にタクシーに使われるタンデム用の箒の後ろに乗せてもらう。エスメラルダは軽く地面を蹴ると、箒は急加速し、目がくらくらした。


 そういや人間の国から輸入された「映画」というやつでこんなのがあったな。「ジドーシャ」をかっ飛ばして、父さん母さんが学生の時代にぶっ飛ぶやつ。


 そして気が付くと、僕はきょうの朝、始業前の湖南銀行サラセラ支店にいた。エスメラルダはすぐ横で、僕に透明マントをばっとかけた。


「姿が見えたらまずいからね」

「お、おう……」


 始業前の銀行では、ミモザさんが一人で帳簿の確認や金庫の確認をしていた。一人だけ早くきて、こういう仕事をしているのだ。やっぱりこの人は偉い。そういうところが好きなんだ、僕は。


 そこに、湖南銀行の頭取が現れた。美男とは言い難いむさくるしいおじさんだ。

「やあクライスくん。元気そうだね」ミモザさんはフルネームだとミモザ・クライスという。

「あ……頭取。おはようございます」頭を下げるミモザさん。なにやら緊張した表情だ。


「うちの息子との結婚、考えてくれたかね?」

 頭取の発した衝撃の一言に、僕は凍り付いていた。え、ミモザさんって頭取の息子と結婚すんの。だから断ったの、僕と付き合うのを。


「いえ、その、そういうのは家にも相談しないと……いま下宿住まいですし、実家は電話を引いておりませんので、もう少し待ってはいただけませんか」


「気にすることかね。豪勢な結婚式を挙げて、ご両親やご兄弟にも来てもらえば納得してもらえるだろう。それともこれを断って、ここから出ていく気かね? ……息子も、一週間前に承諾してくれたよ。君の写真を見て大喜びだった」


「え……えっと……えへへへ……考えてみますわ」ミモザさんは困った顔でそう答えた。どうやら、本当に困っているようだった。


「このことは私とクライスくんの秘密だよ」頭取はそう念を押すと、すっといなくなった。そこで職員通用口のドアが開いて、

「ミモザさん、おはよう」

 と、なんにも知らないのんきな僕が現れた。


「あ……トーマスさん。……あの。いえ、なんでもないです」

 そういう反応をされて、僕は完全に誤解した顔でミモザさんを見ている。お前は馬鹿か。リアルガチに馬鹿か。好きな女の子が悩んでいるのになぜ気付かない。

 エスメラルダが耳打ちしてきた。


「こりゃもっと時間をさかのぼって、縁談をぶち壊すほかないぞ」

「んなこと言ったってどうやって」そう抗議すると、エスメラルダは当たり前みたいに、


「頭取を失脚させる。女性問題とか金銭問題とかぜったい抱えてるはず」

 と、とんでもないことを言いだした。偏見である。僕はただただ、

「はあ?」と喧嘩腰で言うしかできなかった。そんな、女性問題や金銭問題を、当たり前に抱えているわけがない。しかしエスメラルダはあくまで断定口調。


「あるいは、頭取の息子のほうをどうにかしちゃうとか。恋愛結婚とかさせちゃえばみーんなまーるく収まるんとちがうん? とりあえず頭取の息子が同意した一週間前に飛べばええやろ」


 エスメラルダが西方弁の下手くそなモノマネをして、僕たちはそっと銀行を出た。エスメラルダの箒で、今度は一週間前の、頭取家族の暮らす湖南地方で一番大きな街、ロクスラスに飛ぶ。


 頭取の家はとんでもなく立派な屋敷だった。透明マントをかぶって、そっと近づく。


「お断りだよ、オヤジが決めた相手と結婚するなんて!」

 頭取の息子――ぱっと見どう見てもいい歳ぶっこいたドラ息子――が、そうがなっている。


「お前みたいに不真面目な息子に、銀行を継がせるには、ちゃんとした嫁が必要なんだ。わかるな? 父さんが目を付けておいた、サラセラ支店のミモザ・クライスさんなら間違いない」

「だって俺銀行継ぐ気なんかねーし! 俺はやりたいことがあるんだっ」


「何を言う。魔法もだめ学問もだめのお前が裕福に暮らすには銀行しかないんだ。父さんが頭取をやっているからできることだぞ。わかるな? お前が連れてきたあの不良娘と結婚するなんて、絶対に――」


 がしゃん。頭取の息子は持っていたコーヒーカップを頭取にぶん投げた。そして頭取の息子は、脱兎のごとく家から逃げ出す。

「こらっ、ロイド! 待ちなさい!」


「これはもう、頭取の息子と不良娘を駆け落ちさせるほかないな? 全力で追うよ。タイムスリップしない程度の速さで」

 またタンデム飛行で、頭取の息子を追いかける。頭取の息子は、酒場に入っていった。


 様子を伺うと、髪を変な色に染めた女の子と、頭取の息子が話している。

「ロイドの父さんがそう言うなら、しょうがないんじゃない? うち、ただの雑貨屋だし。結婚してもいいことなんかないし」


 不良娘は意外と自己肯定感の低い女の子のようだ。なるほど、この不良娘が身を引いて、頭取の息子はミモザさんと結婚することを了承してしまうのか。その様子を見て、エスメラルダも難しい顔だ。本人の意思を尊重したいらしい。


 僕は透明マントをばっと振り払った。酒場に向かう。エスメラルダが慌ててついてくる。

「ちょ、ちょいまち。どうすんのあんた。何をする気?」

「頭取の息子とあの不良娘を、なんとか結婚させる!」

「あんたねえそんな無茶な。どうやって?」


 僕には考えがあった。


 からんからーん……酒場のドアベルが軽快な音を立てる。店内にはいかにもワルといった見た目の連中が溜まっていて、銀行員仕様のスーツを着た僕は明らかに浮いていた。


「なんだぁ? ロイドのオヤジさんの差し金かぁ?」と誰かが言う。

「ロイドさんッ!」僕は頭取の息子に声をかけた。

「な、なんだぁっ? 誰だお前」頭取の息子――ロイドはびっくり顔で僕を見上げた。


「僕は、あなたのお父様の部下です。あなたのお父様から、言づてを預かってきました。お父様は、『勝手に決めた相手と結婚させられるのが嫌なら、駆け落ちしてみろ』と仰っています」

「か、駆け落ちって……家も家族も全部捨てて、ミレイと遠くにいけってことか?」

「その方はミレイさんというのですか」


「はい、ミレイ・ダックスと言いますけれど……でも。ロイドは銀行の頭取の息子です。そんなロイドの、幸せな人生を、あたしなんかが邪魔しちゃいけない……」

「ではミレイさん! ロイドさんが親の決めた相手と望まぬ結婚をして、幸せに生きていけるとお思いですか! ロイドさんは銀行を継ぐよりやりたいことがあるんですよ!」


「ぎ、銀行を継ぐよりやりたいこと? なあにそれ、ロイド」

「……俳優になりたいんだ。上の学校に無理して通ったのも、演劇部が楽しかったからだ」


 なるほど自分の顔面偏差値をわきまえていない。


「すてき! ロイドみたいにハンサムならきっとできるわ!」


なるほど恋は盲目。あるいはアバタもえくぼ。


「これから駆け落ちするんなら、タダで帝都まで送っていくよ? 史上最速の魔女タクとはあたしのことだからね。ただし一人ずつだけど」と、エスメラルダ。


「いや。帝都は怖いから、オヤジに見つからないところならなるべく近く――例えばサラセラとか。サラセラには帝都劇団と同じくらい有名な劇場持ちの劇団がある」

 んん~サラセラの劇団、レベル高いからこの顔でオーディション通らねえよな~!


 事実一週間後にかかってた看板は別人だったんだよな~!


 まあそんなことはともかく。

 頭取の息子は、不良娘――と思っていたのは頭取だけらしい――と、僕の暮らすサラセラの街に駆け落ちした。これで、一週間前の「頭取の息子の了承」はぶっ壊れた。


 というわけで、ヤケ酒の晩に戻ってきた。エスメラルダは、

「ありがと。人のためになることができて、嬉しかったよ。あたし箒しか取り柄がないくせに故障しちゃって箒レース諦めたクチでさ。惜しいなあ、聖典賞レースでタイムトラベルしなかったら当たり前に選手やれてたのに。そういうわけで、あたしは魔法黎明時代にぶっとんで、魔法研究の論文バンバン出して手柄を上げるよ。それじゃあね」


 と言って、箒でどこかに行ってしまった。もしかしたら本当に魔法黎明時代に行ったのかもしれない。だとしたらちょっと面白いな、と思う。


 翌朝起きて、当たり前みたいに出勤すると、ミモザさんがニコニコで出迎えてくれた。


「おはよう、トーマスさん」そう言ってミモザさんは僕の頬にキスをした。

「おはよう、ミモザさん」僕がそう言うと、ミモザさんは、


「もう恋人なんだから、さん付けしなくていいのに。ミモザ、って呼んで」と、笑顔で答えた。


 も、もう恋人ってことはきのうの告白が成功しているんだ。とてもドキドキする。

「み、ミモザ。……こんな感じ?」やってみると恥ずかしいな。ミモザさん、否、ミモザは頷いた。ミモザは笑顔で、


「お弁当作ってきたから、お昼にいっしょに食べましょ。どうせ屋台で買うつもりなんでしょ?」

 と訊ねてきた。僕はありがとう、と笑顔を返した。心底嬉しかった。

「きょう、お仕事が終わったら劇場にお芝居でも見に行かない? ものすごい新人俳優がオーディション即デビューしたそうよ?」ミモザはそう言い、いたずらっぽい笑顔を浮かべる。


「そうなんだ。そんなにすごいの?」素直にそう訊くと、ミモザは頷き、

「ええ。なんでも一週間前にオーディションを受けて、天才的な才能があるって満場一致でデビューが決まって、たった一週間の稽古で舞台に立ったとか」と答えた。


 そりゃすごい。どういう俳優なんだろう。そう思っていると頭取が入ってきた。

「あ、頭取。おはようございます」僕がそう言うと、頭取は疲れた顔で、「おはよう」と答えた。それから一拍おいて、「……本当に、うちの息子は俳優になってしまったんだな。まあ、本人がそうしたいなら無理に辞めさせたりしちゃあいかんわなあ……」と泥を吐き出すような口調で言う。ということは、もしや。


 始業寸前、ミモザに引っ張られて銀行のビルディングの屋上に向かう。ミモザは、劇場を指さした。銀行のすぐ近くの劇場には、毎月オーディションを通った新人俳優の顔が看板になってかかげられる。劇場に掲げられていたのは、千鳥足で見たなかなかの美男でなく――案の定、頭取の息子ロイドの、人の悪そうな笑顔だった。

「あの俳優、頭取の息子さんだったのね。そっくりだわ」

 ミモザはちょっと意地悪くそう言い、にこりと笑った。


 その向こうを、とんでもないスピードの箒が、かすめていくのが見えた。

 ありがとうエスメラルダ、ありがとうパチパチキャンディー入りアイス。

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魔女の雲助タクシー 金澤流都 @kanezya

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