第2話 くノ一、去る
くノ一さんが去ってしまう。
お仕事だから仕方が無い。心の奥底では忍び無いと思っていても、任務を達成するために、忍者は非情になれるものなのだ。
忍者とはそう言うものだと思いたいが、きっと、くノ一さんは忍者とか関係なく、大網事業センターを去る事を、特に何とも思っていないだろう。感傷に浸れるほどの余裕が無いくらい、引越しが忙しそうだ。
長年通ったであろう、大網事業センターを去ることさえ何とも思っていないのだ。ちょこっとしか話した事がない私とお別れになる事など、もしかしたら意識の外の事かも知れない。
「そろそろ引っ越しの期限ですね」
私は寂しさの情感たっぷりに訊いてみたつもりだが、くノ一さんはあっけらかんと、
「そうなんですよ、でもまだ引っ越し先の準備が整ってないんです」
荷物は準備万端いつでも出せる状態にしてある。けれど、引っ越し先のビルが、まだ床材もろくすっぽ貼られていない状態で、せっかく荷物を持って行っても、置く場所が無いそうだ。
くノ一さんは愛用の忍具である雨天兼用の日傘をたたみながら、とても楽しそうに、笑い事ではないだろう事を、笑いながら教えてくれた。
やはり私とお別れになる事など くノ一さんの意識には上っていない。くノ一さんは罪作りな笑顔を私に向ける。
その、くノ一さんの笑顔は少しだけ抑えていないアルカイックスマイルだ。
ちゃんと目も笑っていて一番自然な笑い方だと思う。
アルカイックスマイルはモナ・リザや菩薩の仏像などを思い浮かべて頂ければ分かると思うが、一見優しげに微笑んでいるように見えて、実際にいたら気持ち悪い笑いかたのヤツだ。
何しろ目が笑っていない。
何を考えているか分からない。
相手の事を見ていない。
ようで、じっと見られている気もする。
その点、くノ一さんは話しかければ 綺麗な一重の瞼をまたたかせて笑い、ちゃんと私を見ながら返事をしてくれる。
私は照れてしまって くノ一さんの事を見る事は出来無いのだが、くノ一さんの受け答え方は何故だか私をいつも安心させた。
いつもは語弊がある。くノ一さんとは最初に驚かされてから、連続で4、5日立て続けに昼休憩終わりに会ったが、それからパタリと会えなくなってしまった。
いつもと言うには、あまりにも短い期間で突然 くノ一さんとの日々は終わりを迎えた。
引越しの日まで、昼休憩後のくノ一さんとのお話しが日課になる物だとばかり思っていた私は 肩透かしを喰らった気分になった。
(肩透かしを喰らって寂しいかい?)
そう自問すれば、
(寂しいと思う。)
そんな答えが昼休憩後に1人で構内に向かう私の中から返ってきた。
伝えてもどうしようも無い事なのに私は、
「せっかく話せるようになったのに、すぐにお別れになってしまって寂しいです」
そんなような事を直接 くノ一さんに伝えた気がする。
伝えられたのだから、連続して会えていた4、5日の間に言ったのだろう。
会えている内から寂しいと思っていたのだから、会えなくなれば寂しくなるのは考えるまでも無いことだった。
でもきっと、これで良いのだ。
くノ一さんは忍者だから、市井の人とはあまり親しくなれない掟があるのだ。
あのスラっとしたスタイルを隠すように着ていた白いゆったりとしたカットソーと、驚いた時の笑顔。私にそれだけの思い出を与えてくれて、後は謎を残したまま去って行く くノ一さん。
最後は煙玉を使って消えて欲しいが、それをすると忍者だとバレてしまうので普通にいなくなるはずだ。
サヨナラも言えず、煙よりも跡形もなく私の日常から居なくなる。
また忍法を使って私の前に現れてくれる事はあるだろうか?
その時はもうちょっと上手にお喋りしたいものだ…
それではバイバイ、不思議な不思議なくノ一さん。
おしまい
くノ一さん 神帰 十一 @2o910
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