くノ一さん
神帰 十一
第1話 くノ一、現る
くノ一さん。
本当の名前は知らない。
彼女は忍者のように突然 私の背後に現れた。
だから、くノ一さん。
それは会社でのことだった。
私は仕事で複数の企業が入っている大網事業所センターと呼ばれる事業所に通っていて、事業所の中では小規模な部類の会社に籍を置いている。
くノ一さんは比較的に大きな会社の人で、この事業所では くノ一さんの会社が1番の稼ぎ頭になるだろう。事業所内の建屋の占有率も、くノ一さんの会社が群を抜いて高い。
ざっくりとしか分からないが、色々な物の検査をしている会社だそうだ。
くノ一さんの会社……、仮にE社としておこう。
このE社に、日本のあちこちから色々な物を検査してくれと依頼がくる。
色々な検査依頼の中で、くノ一さんの専門はお水の検査が専門だそうだ。きっと水遁の術を使って、テキパキ仕事をこなしているのだろう、そんな姿が想像できる。
くノ一さんが、「このお水は基準をクリアしています。」そうOKを出さないと営業出来ない会社があったり、設備を交換しなければいけない会社があったりする。
結構、殿様商売的な会社だと思う。
くノ一さんは殿様に仕えているのだ。
そんな 殿様的E社が入っている大網事業所センターには、昔はもっと色んな会社が入っていたそうだ。今はもう少なくなってしまった。
くノ一さんの居るE社が支えていたような物だが、それも限界を迎え、もうすぐ大網事業所センターは閉鎖される。
殿様は別の場所に拠点を構え、もちろん くノ一さんも殿様に付いて行くことになる。
せっかく話すようになったのに寂しいかぎりだ。
まぁ、話すようになったと言っても、セキュリティゲートから研究棟と呼ばれる建屋までの短い距離の、時間にしたら1分にも満たない間のことなので、話すようになったと思っているのは私の方だけかも知れない。
くノ一さんは最初に書いた通り、いきなり私の背後に現れた。
最初に現れたのは、きっと月曜日だったと思う。
私が昼休憩を終えてセキュリティゲートから構内に入ろうとした時だった。
外から事業所に入る為には二段階のセキュリティを通る必要がある。
一段階目の門には監視カメラが付いているだけだが、二段階目はIDカードをかざさないと開かない門が、外部の者の不要な侵入を防いでいる。
二段回目のセキュリティゲートから、構外の方へ50メートルほど歩いて行くとT字路になっていて、T字路を左に曲がって、70メートルほど歩けば従業員の駐車場出入口があり。T字路を右に曲がって、事業所内をブラブラと道なりに歩くと一段階目の門が見えて来て、その先は一般道に出る。
二段回目のセキュリティゲートより構内側の様子は、企業秘密のため詳しい事は書けない。
この二段階目のセキュリティゲートの扉は意外と重い。
普通に手で支えながら閉めれば自動でロックされるのだが、扉の自重に任せてガチャン!と乱暴に閉まるがままにすると、反動で扉が跳ね返ってしまい、キチンとロックされていないのを見過ごす羽目になる。
そうすると警報が鳴ってしまう。
その日、私は昼休憩を車の中で昼寝をして過ごし、いつもの時間にスマホのアラームが鳴ったので駐車場から構内に戻ろうとしていた。
T字路に差し掛かり、セキュリティゲートに向かうために右に曲がる。右に曲がる瞬間、駐車場の方をチラッと見た。
見たと言うか視界に入った。
T字路の分岐点から駐車場出入口までの70メートルに人はいなかった。
そこからまたセキュリティゲートに向かい50メートルほど歩く。
後ろに人の気配は無かったし、私がキョロキョロと周りを見回した時も目の端に、人の影は入り込まなかった。確実に周囲に人は居なかった。なのに普段通りにセキュリティゲートを開けて、扉が反動で跳ね返らないように後ろを振り向いたら……
くノ一さんが目の前にいた。
私は驚いた。
合計120メートルの間、私の背後どころか周囲に人の気配は無かったし、視認も出来ていなかった。
私は注意力が散漫な方だが、それでも動いている人間くらいの大きさの物体に気付かないとは思わない。
(この人、どこから現れたんだんろう?)
私より背の高い くノ一さんを、目を見張りながら見上げた。
そんな驚いた私を見て くノ一さんも驚いて笑う。私もつられて照れ隠しのために笑う。
笑いながら くノ一さんが驚かした事を謝ってくれる。私も大丈夫だと対応して、この日はこれで終わった。
次の日。
昼休憩後のセキュリティゲートでまったく同じ事がまた起きる。
くノ一さんが突然 背後に現れて私は驚き、驚いた私を見て くノ一さんが驚いた。
前の日と違っていたのは、私の驚きが激しかったことだ。
この日、私は少し周りに注意しながらセキュリティゲートに向かって歩いていた。
それなのに音も無く、くノ一さんが現れたので前日よりも驚いたのだ。
それ以外は前日と一緒で、くノ一さんは申し訳なさそうに笑い、私は照れを隠すように笑った。
この後も前日と一緒で、くノ一さんが驚かした事を謝ってくれて、私も大丈夫だと対応して終わるはずだった。
今思えば、この時 くノ一さんは忍法を使ったのだと思う。
私は人見知りで、自分からは人に声をかけることは無い。絶対に無い。
それでも何故だか くノ一さんには催眠術を掛けられたように、喋りかける事が出来たのだ。
「忍者みたいですね」
くノ一さんは意味あり気に笑って、突き立てた人差し指を顔の前に出した。
それは忍者が忍法を使う時の印を結んでいるようにも見えたし、
—— 秘密だよ?
そう言っているようにも見えた。
突然現れた、不思議な不思議な くノ一さん。この後も何度か会うが、同じ事業所に通う、彼女の正体はいまだに分からない…
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