第三話 僕と彼女は(恐らく)恋に落ちない


 連載作品を持っている漫画家は、毎日毎日仕事に追われているというイメージがあるだろう。実際、次から次にやってくる締め切りにきりきり舞いしている漫画家の姿を、僕はよく見ている。

 しかし、僕のような月間連載のギャグ漫画家は、休みは大分融通が利く方だ。一日オフの日は、漫画のことを考えずに、気楽に遊びに行くこともあるのだが……。


 ゴオッと、耳元で激しい風が鳴る。目の間に伸びるのは、上へ下へ、右へ左へと、激しく動くレールの軌道だ。

 ジェットコースターの揺れに合わせて、僕の体も、勝手に傾いてしまう。


「うわぁっ! すごい! すごいですね、道先生!」

「うん……そうだね……」


 隣ではしゃぐ担当編集者の塚城このみさんの声に対して、僕の声は暗くて低い。


「先生! せっかくのジェットコースターなのに、そんなテンションじゃあ、失礼ですよ!」


 もしもこれがデートだったら、相手が怒ってしまうのも無理ないだろう。だけど、これはデートじゃない。そもそも、これはジェットコースターではない。

 僕は、映像がまだ止まっていないのも構わずに、VRゴーグルとヘッドホンを外し、自分の仕事場のテレビの前で、同じ映像を見ていた塚城さんを呆れ顔で見た。


「本物じゃないからね」

「えっ! そういう問題ですか!?」

「いや、そんな反応されるのはこっちが意外というか……。VRゴーグルをつけていないのに、臨場感を感じている塚城さんの方が異常だよ」

「私の感受性が豊かなんですよー」


 そう言って、にこにこ笑っている塚城さんだが、正直それが自慢になるとは思えない。

 何で大事な休日に、担当編集者と二人きりになってしまったんだったっけ? 再び、テレビ画面を見て「キャー!」と騒いでいる塚城さんをよそに、僕はそのきっかけを回想する。


 数日前の打ち合わせ、塚城さんが指定したおしゃれなカフェ(もちろん猫カフェではない)で、そろそろお開きという雰囲気の中、彼女は突然満面の笑みで拍手をしだした。


「先生! おめでとうございます!」

「え? いきなりどうしたの?」

「先月の掲載した先生の漫画が、ランキング三位を取りました!」

「あ、ほんとに?」


 あまりに急だったので、嬉しさよりも驚きの方が勝ってしまい、きょとんとした顔になってしまった。

 連載が始まってもうすぐ五年。ギャグ漫画なので、ランキングの上位に入ることは難しいだろうなぁと、最初から思っていたので、三位でも大躍進だ。確かに、先月は自信作だったから……と、今になって喜びが湧きあがってくる。


「ご褒美、何が良いですか?」

「いやー、別にそう言うのはいいよ。大袈裟だよ」

「そういっちゃってー。すごく嬉しそうですよー」

「ははー、そうかなー」


 冷静にコーヒーを飲もうとしたけれど、にやけ顔は抑えられなかったらしい。塚城さんからとても楽しそうに指摘されてしまった。

 それに、「ご褒美」という響きがとても良かった。常日頃、人気が収入に直結してしまうシビアな世界で戦っているので、あまり耳馴染みのない言葉に舞い上がってしまう。


「次の先生のオフの日、仕事場で待ち合わせしましょう」

「え? なんで?」

「ご褒美に、遊園地に連れて行ってあげますよ」


 それだけ言って、鞄を持って立ち上がった塚城さんは、ウィンク一つ残して、さっそうと帰っていってしまった。

 僕はぽかんとした表情で座っていた。頭の中で、「遊園地」という単語が、エコーがかかった状態で響いている。


 塚城さんと遊園地!

 完全にそのつもりになって、自分なりのおしゃれをしていた僕の前に現れた塚城さんは、「お待たせしました! 最新版ですよ!」と言って、VRゴーグルを取り出したのだった……。


「まあ、塚城さんの言う『遊園地』だから、期待するべきじゃなかったね……」

「先生、何か言いましたか?」

「いや、何でもない」


 独り言に振り返った塚城さんに、苦笑しながら手を振る。

 ジェットコースターの映像はまだ続いているが、塚城さんは、「そうだ!」と両手を叩いた。それから、自分のリュックをガサゴソ探る。


「遊園地の雰囲気を出すために、ポップコーンを用意しました!」


 「じゃじゃーん!」というセルフ効果音と共に塚城さんが取り出したのは、遊園地で売っているような、首から下げる紐の付いたポップコーンの容器だった。もちろん、中はいっぱいにポップコーンが詰まっている。


「用意いいねー。何味?」

「ブラックペッパー味です」

「へえ」


 ポップコーンと言えば、塩、キャラメル、ちょっと変わり種でチョコレートやストロベリーのソースがかかっているのが思いつく。ブラックペッパーなんて、初めて聞いたので、僕は興味を持った。

 塚城さんから容器を受け取り、一つつまんでみる。確かに、胡椒の粒々がポップコーンについてみる。それを口の中に放り込んでみると……。


「辛っ!」

「あー、やっぱりですかぁ」


 舌がピリピリするような辛さにやられ、ポップコーンが落ちるのも気にせずに、塚城さんへ容器を押し付けて、ウォーターサーバーへ走った。満杯にしたコップを飲み干しても、まだ痛むので、何度も水を飲んだ。


「……塚城さん、このポップコーン、どこで買ったの?」

「普通の塩味ですよ。それに、たっぷり胡椒をふりかけました」

「オリジナルだったら、大失敗だよ」

「いえいえ、大成功ですし、オリジナルではありませんよ」


 落ち着いたところで塚城さんに文句を言うと、彼女は心外そうに首を振った。

 どうしたのだろうと思っていると、彼女は目を細めながら話し始めた。


「このポップコーンは、私が小さい頃、地元にあった遊園地で売っていたものです」


 そう言って、ポップコーンを一気に三つも、口に入れて、噛みしめた。

 僕は、UMAを見るようなに、塚城さんをまじまじと凝視する。


「辛くないの? 大丈夫?」

「とっても辛いです。でも、小さい頃大好きで、今だと微妙だけれど、思い出補正でつい食べちゃう味って、あるじゃないですか」

「いやー、気持ちは分かるけど、それには限度があるよ」


 心配する僕をよそに、塚城さんは懐かしそうに、ポップコーンと共にあの日の記憶を噛みしめながら、話し始めた。


「あの遊園地、かなり変わってたんですよね」

「まあ、予想はつくよ」

「ジェットコースターなんて、千メートルの直線でしたからね」

「え、坂も、カーブもないの?」

「はい。しかも、スピードは鈍行列車並みでした」

「乗る意味ある?」

「初めて乗った時は、箸が転がるだけでも大笑いする年頃だったんですが、一回で飽きましたね」

「やっぱり……」


「あと、コーヒーカップは足湯と合体していました」

「どうゆうこと?」

「底に、少しだけお湯が入っていて、足首まで漬かれるんです」

「なんでそんなことを……」

「私の地元、温泉で有名だったんです」

「それで済まされるかなぁ。回ったら、どうなるの?」

「もちろん、普通のスピードで回したら、膝下までびしょびしょになりますよ。だから玄人は、ゆっくり回転させていましたね」

「ただの足湯でいいよ、それは」


「お化け屋敷も変わっていました」

「古めかしくて?」

「いえいえ、逆に、斬新過ぎたんです」

「もしかして、ゾンビが襲ってくるとか?」

「いえ、殺人鬼がモチーフになっていました」

「まだ時代が追い付いていない!」

「暗がりから、血の付いた刃物を持った大男やピエロが飛び出してくるんですよ。滅茶苦茶怖かったです」

「トラウマになりそうだね」

「そう言えば、同級生にピエロ恐怖症の子が多かったのは、あのお化け屋敷の影響で……?」

「絶対そうだ」


「他にも、メリーゴーラウンドが全部カバだったり、」

「なんで!?」

「観覧車が二階建てくらい大きさだったり、」

「小さい!」

「ゴーカートが一台だけだったり、」

「少ない!」

「逆に、背中に乗るパンダの人形は、百匹くらいいたり、」

「気持ち悪い!」

「フリーフォールはいつ行っても、調整中だったり、」

「不安だ!」

「まあ、色々、変な遊園地でしたねぇ」

「……変で済まされるの?」


 塚城さんの遊園地の話を聞いただけで、ぜいぜいと息が切れていた。ツッコミ役って、こんなに重労働だったのか……。

 一方、塚城さんは涼しい顔で、ポップコーンももうすぐ食べ終わりそうだ。しかし、ずっとブラックペッパーポップコーンを食べていたら喉が痛くなっているかもしれないから、水を一杯差し出すと、大袈裟なくらいに感謝された。


「その遊園地、今はどうなってるの?」

「すでに潰れていますよ。開園して、三年くらいしかもたかったと思います」

「あー、やっぱり」

「大人になったから、色々変だったと分かるんですが、当時の私は、初めての遊園地でしたからね。無くなると聞いた時は、寂しかったですよ」


 そう言って、小さく微笑んだ塚城さんの顔は、僕が初めて見るものだった。ドキリとしてしまったのは、きっとこんな寂しそうな塚城さんに、動揺してしまったからに違いない。

 先程、潰れたことは当然というような反応をしてしまったことを、後悔していた。どんなにヘンテコでも、彼女にとっては思い出の遊園地なのに……。


「そんな面白い遊園地、今度の漫画に出してみようかな」

「え! いいんですか!?」


 曇り空に日が差したように、塚城さんの表情がぱあっと明るくなった。たったそれだけなのに、なぜだろう、僕は先ほどよりもずっとドキドキしてしまった。


「いいよ、いいよ。気にしないで」


 僕は、冷静さを装ってそう言って、机の上に置いていたVRゴーグルを身に付けた。

 映像は、まだ延々とジェットコースターの上から見た映像が流れている。止めない限り、リピートしているようだ。


「先生へのご褒美を持ってきたつもりが、私の方がいい思いをしてしまいましたね」

「大袈裟だなぁ」

「あ、じゃあ、先生への新しいご褒美に、遊園地でのデート気分を味わってもらいましょう!」


 えっ、という声が出そうになるのを、僕は必死に飲み込んだ。

 そこまでしなくても大丈夫だよ、というべきなんだろうが、嬉しい! という気持ちが大きすぎて、声が出なかった。


 いや、落ち着け。僕と塚城さんは、漫画家と担当編集者の関係。デートなんて、出過ぎた真似をしてはいけない。

 でも、でも、これは塚城さんの好意だから、無下にしてもいいのだろうか? それに、もしもこれが、塚城さんからのれ、恋愛感情、的なものから出た行動だとしたら……。


「先生、すみませんが、ロック、解除してください」

「え?」


 意味不明な塚城さんからの発言に、ゴーグルを脱ぐと、塚城さんは僕のスマホを手渡してきた。

 まだその行動理由が分からない僕が、塚城さんの顔と自分の手の中のスマホを見比べていると、彼女はニコニコしながら教えてくれた。


「実は、ユーノに、『一緒にデートしよう』と言ったら、その後は恋人のようにふるまってくれるんですよ」

「へー、そうだったんだー、知らなかったー」


 自分でも、びっくりするくらいに棒読みの声が出た。

 しかし、塚城さんはそれに気が付かず、いそいそと帰り支度をして、リュックを背負う。


「私は、この後仕事があるので帰りますが、大好きなユーノとのデート、心より楽しんでくださいね!」

「うん……ありがとう」

「いいんですよ。では、お疲れ様です!」


 塚城さんは爽やかにそう言い残して、嵐のように去っていった。ぽつんと残されたのは、僕と……スマホの中にあるアシストAIの「YOUKNOWユーノ」だけ……。

 確かに依然、塚城さん以外と話した女性として、ユーノのことをカウントしていたけれど、彼女のことが愛しているという上級者ではない。……あの時、塚城さんに良い恰好をしようと、あんなことを言った自分を、殴ってやりたい。


「ユーノ」

『はい、何でしょうか』

「塚城さんは、僕のことが好きなのかな?」

『すみません。よく分かりません』


 虚しさに包まれたまま、そんな質問をユーノにしても、そんな返事が返ってくるだけで、僕はがっくりと肩を落とした。





















































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕と彼女は(きっと)恋に落ちない 夢月七海 @yumetuki-773

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ