第二話 僕と彼女は(多分)恋に落ちない
漫画家が担当編集者と打ち合わせをするのは、仕事場と出版社以外だと、カフェが定石だ。ちょっと変わり種だと、レストランやホテルのラウンジが思いつく。
僕は、いつも打ち合わせ場所を担当編集者の若い女性・
でも、ずっと任せてきた分際で、今回ははっきり言ってしまおう。
テーブルを挟んで真正面に座り、目線を下に向けて顔を綻ばせている塚城さんに対して、僕は心を鬼にして、口を開いた。
「……塚城さん」
「はい。何でしょう?」
一匹のアメリカンショートヘアーを抱き上げた塚城さんは、でれっでれになった顔で返事をした。
「猫カフェはないでしょ」
僕は両手を広げて、断言した。
テーブルの周りには、猫があちこちにいて、にゃーにゃー鳴いている。ここに来ているお客さんたちも、「カワイイー」と連呼しながら、パシャパシャと写真を撮っている。
しかし、僕の訴えも空しく、塚城さんは猫を抱いたまま、心から不思議そうに首を傾げた。
「なんでですか?」
「ほら、何というか、こうして仕事の話をするには、ここはちょっと、ねぇ?」
さすがに、猫たちが邪魔だとは言えずに、相手に察してもらえるように歯切れ悪く言う。
そんな方法では塚城さんに伝わるはずもなく、彼女はまだきょとんとしている。そこで、僕はアプローチ方法を変えてみた。
「いつも行ってるカフェがあるじゃない。君のお気に入りの。なんで急に変えたの?」
「道先生、新キャラに『尊い』が口癖の子を出すって言ってたじゃないですか」
「うん。そうだよ」
話が見えないなりに頷くと、塚城さんは満面の笑みでずいっと猫を僕の前に押し出した。
「猫を見て、尊いとは何なのか、勉強しましょうよ」
「僕、犬派だよ?」
「世紀の凡ミス!」
塚城さんが急に大声で叫び、天井を仰いだので、猫が驚いて、彼女の腕から逃げていってしまった。
もちろん、こう騒ぐと店員さんから「お客さま」と注意されてしまう。塚城さんは、それに対してぺこぺこ頭を下げてから、苦い顔で僕に向き直る。
「リサーチ不足でした……ドッグカフェの方が良かったですね……」
「いや、そういう問題じゃないけど」
「本当は、カエルカフェがいいかなぁと思ったんですけど、見つけられなかったんですよねぇ」
「確かに僕のペンネームは『
大声で、学生時代に思い付きで決めてしまったペンネームの説明させないでよ! 顔から火が出そうだ!
僕も、大声を出してしまったので、店員さんから注意されてしまった。これで、うるさい席だと目を付けられてしまったな……。
余談だけど、このペンネームのせいで、ファンや漫画家仲間からのプレゼントは、九割がカエルグッズだ。もったいないので使っているけれど、その所為でさらに送られてしまうという悪循環に陥っている。
自画像がカエルのイラストというのも原因の一つだと思うけれど……このペンネームで、カエル以外の自画像だったら、可笑しいので不可抗力だ。
「どうですか? 犬派の先生でも、猫の尊さにメロメロでしょ? これで、尊いの感覚が掴めたんじゃないですか?」
アイスコーヒーを飲んだ塚城さんは、にこにこしながらそう言ったが、僕は小さくため息をついた。
「塚城さんの心遣いはとてもありがたいけれど、新キャラはギャグマンガに出てくるから、普通とは違うことに対して『尊い』って言うんだよね。例えば、磁石にくっついたクリップとか、角の無くなった消しゴムとかで、『尊い』って悶絶するイメージなんだよ」
「でも先生、何事も基準を知ってから、物事を崩すことが出来るんじゃないんですか?」
塚城さんに痛い所を衝かれて、僕はぐうと言葉が詰まる。
さすが三年目。群雄割拠の漫画雑誌編集部に、しがみついてきただけはある。本人は、まだまだ新人気分のようだけど。
「例えば、こういうのはどうです?」
「何かな?」
満面の笑みで、塚城さんは頭の上に両手で三角を作った。それは、まるで猫耳のようにも見える。
「私が、たくさんの猫に囲まれた状態で、猫耳を付ける」
「……尊いまではいかないかな。それは、萌えだね」
ちょっとだけ、可愛いかもと思ったのを表に出さないようにして、僕は澄まして答える。
不服そうな塚城さんは、「じゃあ」と食い下がる。
「夜道をドライブしていると、目の前に猫耳を付けた私が現れる」
「……それは、ホラーじゃない?」
「猫耳を付けた私が、ぬめぬめ触手モンスターに襲われる」
「……自分で言っちゃってもいいの? まあ、それはエロスだね」
「私が、兄の遺品の猫耳を付けて、兄の夢だった甲子園のマウンドを目指す」
「要素が多すぎてごちゃごちゃしているけれど、ジャンルで分けるとしたら、燃えだね。メラメラ燃えるの、燃え」
話が迷走してしまったので、分かりやすく塚城さんはうーんと腕を組んで唸った。
「というか、なんでそんなに猫耳に拘るの?」
「そりゃあもちろん、猫大好きだからですよ」
「じゃあ、今すぐにでも、猫たちと戯れたいんだ?」
僕は、周りでそれぞれ好き勝手に寝転んだり、お客さんに甘えたり、おやつを貰ったりしている猫たちを見ながら言う。
塚城さんは、敢えてそれを見ないようにしながら、手だけわきわきと動かした。
「本当は、猫たちをむしゃぶりつくしたいです」
「まだ仕事中だから、理性は保っていてね」
僕が釘を刺したので、塚城さんはしっかりと頷いたが、急にはっとした表情になった。
「私ばかりじゃなくて、先生も考えてくださいよ、尊いについて」
「えー、そうなるのかー」
いきなり指名させられて、僕は困惑したが、こういう話は意外とぱっと思いつく。
「例えば、二人の剣豪が、対峙する。お互い、相手に親しいものを斬られていて、いわば仇だ。枯れすすきが揺れる草原、刀を構え、どちらかが一歩踏み出せば、一瞬で勝敗が決まるだろう。そこへ、二人を狙った剣客たちが、徒党を組んで襲ってきた。二人は、何も言わずとも背中を預け合い、百を超える敵と戦う」
「うわー! 確かに尊いですね!」
「あるいは、小さい頃から、一緒に育ってきた愛犬。実家を出てしばらくした後、その愛犬が老衰で危ない状態になったが、仕事が立て込んでいて、最期を看取ることが出来なかった……。そのことを後悔し続けていると、霊感のある女の子と出会う。彼女に、その愛犬のことを話し、恨まれているんじゃないかと愚痴ると、『大丈夫ですよ。その子は、あなたの守護霊として見守ってくれています』と断言された」
「あうー! 切ない! 尊い!」
「または、母の日、ずっとお金を貯めてきた小学生。カーネーションを買って、よく行くケーキ屋さんで、お母さんの大好きショートケーキをホールで買ってみる。だけど、いざ持っていこうとしたら、カーネーションとホールケーキを一緒に運ぶのに苦労して、途中で転んでしまう。ケーキは崩れて、酷い姿になっていた。泣き出してしまう子供に、お母さんは優しく『その気持ちは十分伝わったから』と言って、抱きしめてくれる」
「はわー! 可愛い! 尊い!」
塚城さんは顔を覆って悶えまくっている。注意されるほどではないけれど、店員さんの視線が痛い。
ぜいぜいと息をしながらも多少落ち着いた塚城さんは、はたと気が付いたように言った。
「そう言えば、今までの例に、恋愛関係の話はありませんでしたね」
「あー、まあ、そうだね」
僕は気まずさから、目を逸らしながら言う。
恋愛の話は、正直苦手だ。ラブコメを書いたこともあったけれど、どちらかと言うとコメディー色の強いの作品になってしまっていた。
そんな僕の様子には頓着せずに、塚城さんが「では!」と提案する。
「恋愛における、尊いは何ですか?」
「うーん、そうだなぁ……」
僕はちらりと、塚城さんの期待に満ちた顔を窺う。
……天真爛漫な言動で、担当漫画家を振り回す編集者……そんなワードが思いついたけれど、流石にそのまま口に出来ない。
「――思わせぶりな態度の女の子と、それにドギマギする男の子」
「おお! いいですね!」
塚城さんは、すぐに喰いついた。流石に、自分がモデルだとは思っていないようだ。
確かに、僕はもう「男の子」という年齢ではないし、塚城さんもギリギリ「女の子」ではないのかもしれない。見方によるのかもしれないけれど。
「それで、どうなるんですか?」
「ええと……。女の子の真意が分からずに、男の子はどうすればいいのか分からなくなってしまう。正直に、好きなのかどうか聞いてみればいいのかもしれないけれど、勘違いだったら、自分が傷ついてしまうから、それも出来ない」
「確かに、本当のことを知るのは怖いですよね」
「でも、ある日、女の子が、転校することが分かる。男の子は、どうしようか思い悩む。その間に、女の子が町を出る日が来てしまう」
「うん、うん」
「……女の子を乗せた電車が、ゆっくりと出発する。見送りに来た人の中に、男の子の姿はない。だけど、窓の外には、男の子がいて、彼女に向かって、走りながら、大きな声で、」
自分でも熱が入った状態で話していた所、「にゃーん」という鳴き声で、中断させられた。
「ああ! 尊い!」
テーブルの足の所にちょこんと座り、こちらを見上げた黒猫に、塚城さんは歓声を上げて抱き上げた。自分の席に戻ってから、その猫に頬を寄せたり、耳を食べる真似をしたりする。
僕は、彼女の溺愛っぷりに苦笑していた。どんなにフィクションが頑張っても、猫の鳴き声一つに負けてしまう。
「道先生! 尊いですよね!」
「うん。尊い」
塚城さんが、という言葉は、心の中だけにしておく。
「ここで、私が猫ちゃんにおっぱいを触られたりしたら、さらに尊さがアップしますよね!」
「なんで君は身を削るような発言をするの」
笑みを零しながらツッコむ。
僕と彼女の関係は、やっぱりこれくらいがちょうどいいのかもしれない。
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