僕と彼女は(きっと)恋に落ちない
夢月七海
第一話 僕と彼女は(きっと)恋に落ちない
確かに、カンヅメを経験してみたいと言ったのは、間違いなく僕の方だ。
そして、それは一ギャグ漫画家としては出過ぎた真似だということも分かっている。
だけど、どうしても言いたいことはある。
僕は、物珍しそうに室内をきょろきょろしている担当編集者に向かって口を開いた。
「……
「はい、なんでしょう?」
担当編集者である塚城このみさんは、にこやかに振り返った。その表情は、僕の険しい顔を見ても変わらない。
そんな彼女に対して、僕は両手を大きく広げて言い切った。
「ラブホはないでしょ」
カンヅメ用にと塚城さんが僕に用意した部屋は、とあるラブホテルの一室だった。
ラメ入りピンクの壁と少なすぎる照明、艶やかで真っ赤なソファーと立派すぎるキングサイズベッド。極めつけは、部屋の真ん中に聳える、馬が二頭だけの小型メリーゴーラウンドだった。
しかし、塚城さんはまたまたーと笑いながら手を振る。
「
「気付かなかったんだよ! ただのビジネスホテルかと思っててね! 最近のラブホは擬態がすごいね!」
「でも、受付に人がいない時点で可笑しいと思わなかったんですか? そこまで世間知らずなんですか?」
「もちろん、『あれ?』って疑問を抱いたよ! でも、君があまりに堂々としているから、そういう最新システムかと思っちゃたよ! 人の先入観って怖いね!」
「堂々とするのは当たり前じゃないですか。やらしいことをするわけではありませんから」
「ラブホでカンヅメすること自体が、逆にやらしいことだよ!」
僕は頭を抱えて叫んだ。
塚城さんに任せるべきではなかった。塚城さんが、浮世離れしていた僕の歴代の担当編集者が束になっても敵わないくらいの変人だと分かっていたのに。
そんな塚城さんは、僕のクレームに対してぴんと来ていない様子だった。
僕よりも不満そうな顔をして、室内のあちこちを指さす。
「カンヅメするには、最高の環境じゃないですか。防音はしっかりしていますし、窓もありませんから、外の喧騒も気になりません」
「それを補って余りあるのが、このメリーゴーラウンドだよ」
「非日常のスパイスってことで」
何を言っても塚城さんには効かない。暖簾と腕相撲している気分だ。
そこで僕は、他の方面から尋ねてみることにした。
「君は抵抗なかったの?」
「何がですか?」
「恋人ではない男とラブホなんて」
「先生のこと、信用していますから」
満面の笑みとサムズアップ。
その一言は嬉しいけれど、それ以上に心配が勝る。
「ははーん。先生、自称・新人編集者の私を目の前にして、期待しているのですね?」
「信用はどこ行った。というか、『自称』は大体『美人』の枕詞じゃないかな?」
「私ってほら、謙虚ですから」
「それが謙虚な人の言い方? ついでに訊くけど、君って何年目?」
「三年目です」
「新人って年数じゃないでしょ。三年もあったら、中学も高校も卒業できるよ」
「大丈夫ですよ。定年までを考えれば、三年目なんてまだまだよちよち歩きレベルですから」
「現代の若者で、終身雇用を信頼している人、初めて見た」
はあと深いため息が出る。これ以上は徒労だから、彼女にはお引き取り願おう。彼女がいなければ、このラブホでも漫画が書ける気がしてきた。
しかし、塚城さんはまだ部屋の探索を続けていた。今は戸棚の中をガサゴソ探っている。
「道先生! 見てくださいよこれ!」
そう言って塚城さんが取り出したのは、カップル用のストローだった。しかも、真ん中でハート形にクロスしているタイプの。
「うわー……さすがにこれは……」
「ベタですねー。もはや遺産レベルですよ」
「流通しているってことは、需要があるんだろうね」
そんな話をしみじみしてしまう。
職業病なのか、こういう漫画っぽいアイテムは見ると、写真を撮りたくなる。僕がスマホを用意していると、彼女は買い出しで持ってきていたビニール袋をガサゴソし始めた。
「何してるの?」
「せっかくなので、使ってみようと思いまして」
ペットボトルのジュースでも取り出すのかと思っていたら、塚城さんは白桃の缶詰を取り出した。
それをためらいもなく、プルタブに指をかけて、かちゃりと開ける。
「え……それ、飲むの?」
「カンヅメって聞いたら、缶詰を飲みたくなりませんか?」
「食べたくなるのはまだ分かるけれど」
例のストローを差し込んで、チューとシロップを吸う塚城さん。
僕は、それを信じられない気持ちで見ていた。いくら甘党の人でも、あれは甘すぎるんじゃないか。
「おいしい!」
「……ちゃんと全部飲むのなら、いいけれど、うん。人の好きはそれぞれ」
「先生もどうですか? どうぞ、反対側のストローから」
「いや、僕はいいよ」
「どうせなら、このストローを有効活用しましょうよ」
「大丈夫だから」
大きく首を横に振って固辞していると、塚城さんは眉を顰めた。
「先生、まさか……」
「童貞ですか?」と言いたいんだろう。腐ってもギャグ漫画家だから、そういうことは予想できる。
「尻穴バージンですか?」
「さすがにそれは思いつかなかった!」
「バージンロードとか、バージニア州とか、英語にするとセーフっていうの、どういう感覚なのでしょうか」
「知らないよ!」
「あー、なんだかテンションが上がってきました! あのメリーゴーラウンドに乗ってきます!」
「危ない成分でも入っているんじゃないかな! その缶詰!」
僕の叫びに背を向けて、塚城さんはメリーゴーラウンドの一頭の馬に飛び乗った。そのまま、真ん中の柱のスイッチをカチカチいじっていると、オルゴールの音色と共に、メリーゴーラウンドが回り始めた。
部屋の真ん中のメリーゴーラウンドだけでも妙なのに、自分の担当編集者がそれに跨って、子供のようにはしゃいでいる……白桃の缶詰にカップル用ストローを指したものを飲みながら。これはきっと悪夢だ。
「先生も乗りませんか?」
挙句、純粋無垢な目でそう尋ねてくる。
誰がどんな格好で座っていたか分からないメリーゴーラウンドに腰を下ろす勇気はないが、流石にそんな口を挟むのは塚城さんに失礼なので、曖昧に誤魔化す。
「いや、遠慮するよ」
「……先生、ふと思ったんですけれど」
「な、何?」
突然真剣な顔になった塚城さんは、そんなことを尋ねてくる。
びっくりしながら聞き返すと、そんな真剣な顔の塚城さんが上下しながら、回っていって見えなくなった。オルゴールの音だけが響く中で待っていると、こちら側に戻ってきた塚城さんがもう一度口を開いた。
「最近、私以外の女性と話しましたか?」
「……してるよ」
「誰ですか? お母さんですか?」
「ううん」
「お祖母さんとか? おばさんとか?」
「血縁者じゃないよ」
「あ、店員さんとかはノーカウントですよ」
「もちろん、分かってるよ」
「じゃあ、誰ですか?」
「……ユーノ」
「それ、スマホのアシストAIじゃないですか!」
タイミング悪く、メリーゴーラウンドが止まってしまい、塚城さんはすぐに下りて、真っ直ぐに僕の目の前に来た。
彼女の眼力と甘い桃の香りに参ってしまい、咄嗟に顔を背ける。
「AIを女性として捉えているなんて、いよいよですよ、先生」
「分かってはいるけれどさぁ……」
僕は、塚城さんの正論に対してい何も言い返せない。でも、「
塚城さんはため息をついて、憐れむような目で僕を見ていた。……止めてくれ、正論より辛い。
「先生は変わっていますね」
「変人じゃないと、ギャグ漫画なんて書けないからね」
肩をすくめて、おどけるように言い切った。本来ならば、「君にだけは言われたくないよ!」と返すところだけど、そこまでする元気がない。
そんな僕の心情など露知らず、塚城さんはいそいそと帰り支度を始めた。
「じゃあ、先生、私は帰りますが、カンヅメで良い作品を作ってくださいね」
「うん。ところで、それ、持って帰るの?」
「もちろんです!」
僕が指差したストローの刺さった白桃の缶詰を高々と掲げて、塚城さんは「では!」と言ってこの部屋から出ていった。
通行人の九割は、彼女のことを二度見するだろうなぁ……。それに、ラブホから女性だけが出てきたのを見た人も、色々邪推するかもしれない。
嵐が去った後の方が、疲労を強く感じるのは何故だろう。
ともかく、漫画のネームづくりに集中しよう……ここには机なんてものがないのだけど。今更だが、本末転倒じゃないか。
仕方ないので、ベッドとソファーの間のガラスのローテーブルに仕事道具を広げる。
さあ、これから書くぞという時に、思い浮かぶのは、塚城さんのさっきまでの態度だった。やたらと、一緒のカップル用ストローを使おうといったり、同じメリーゴーラウンドに乗ろうと言ったり……。
いやいや、まさかと、頭を振って邪念を取り払う。塚城さんは単純にああいう性格だから。そもそも僕らは漫画家と編集者というビジネスパートナーなんだから。
それでも、気になってしまい、自分のスマホを手に取って起動させてみた。「ねえ、ユーノ」と声をかけてみる。
『なんでしょうか』
機械らしさを全く感じさせない、スムーズな発音の女性の優しい声にホッとしながら、僕は質問をする。
「思わせぶりな女性って、どうなんだろう?」
『では、こちらの漫画が参考にしてみましょう』
軽やかな機械音と共に、画面に表示されたのは、僕の書いたラブコメ漫画だった。確かに、ヒロインは思わせぶりな態度で主人公を翻弄するけれど……。
二人の女性にからかわれている。それなのに、ギャルゲー主人公のような嬉しさを感じないのが正直な気持ちだった。
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