十六節 「馬車でのんびり」
ガラガラガラ。左右を木々に囲まれた細長い道を一台の馬車が走っていた。二頭の馬と四つの車輪で進む馬車には四人が乗っており、それぞれが思い思いの過ごし方をしていた。
一人は御者台で馬の手綱を握りながら、辺りの様子に目を向けていた。金髪で整った顔をしており、落ち着いたその瞳からは確かな知性が窺えた。
一人は馬車の屋根ですぅすぅと寝息を立てていた。町ですれ違えば全員が振り返ってしまうような中性的で磨き上げられた見た目とは裏腹に、不安定の屋根の上で呑気によだれを垂らしながら眠っている。
残りの二人はお互いに寄り添いながら、体を傾けて馬車の外に顔を出していた。犬の持つものとよく似た耳を持つ一人は心配気な表情を、修道服を着たもう一人はとても気分が悪そうな表情を浮かべていた。
「パパ、大丈夫?」
パパと呼ばれた人物は顔を真っ青にして、うつろな瞳で地面を眺めていた。
「ええ……大丈夫です。……それにしてもこの辺りは景色がきれいですね」
「うん、きれいな土の色だね」
「本当にきれいな……う」
「あっ、出そう? 水持ってくるね」
「お願いします……ジョエル」
ポット町を出てから数時間、ウィーダムは景色を楽しむ暇もなく馬車の揺れに酔っていた。
「少しは楽になった?」
ジョエルが心配そうにウィーダムの顔を覗き込んだ。
「はい、ジョエルのおかげです。ありがとうございます」
ウイーダムが頭を撫でると、ジョエルは嬉しそうに微笑んだ。
「すいません、僕が酔い止めの薬を買い忘れてなかったら……」
「気にしないでください。私自身馬車に乗って出してしまいそうになるまで、自分が乗り物酔いするなんて知らなかったんですから」
ウィーダムは自嘲気味にそう言った後、開いた馬車の後部から見える外の景色に目を向けた。
「しかし平和ですねぇ。何かこう、外に出たら色々なことが起きるんじゃないかと思ってたんですが」
「少なくともしばらくは何も起きませんよ。ポット町を出たら三日くらい馬車を進ませないと、人の住んでる所を通りませんから。商人の馬車とすれ違う可能性も、この辺りじゃ低いでしょうしね」
「分かりませんよ。突然危険な魔物が出てくるかもしれません。おっきい熊とか」
「それもないと思いますよ。何度もこの道を通ってますけど、野生動物を見たくらいで一度も魔物には会ったことありません」
ライアンがそう言うと、ウィーダムは少し残念そうな表情を浮かべた。
「先生は魔物が怖くないんですか?」
「怖くないと言ったら嘘になります。けどそれ以上に一度会ってみたいって気持ちが強いんですよね~。魔物ってどんな見た目してるんでしょう」
「ほとんどは普通の動物と似たような姿をしてますね。中には人型だったり、炎や水の姿をした不定形の魔物もいます。危険ですから見つけても近づかないでくださいね」
「大丈夫ですよ~。ちゃんと魔物は危ないってわかってます」
(本当に分かっているのだろうか)
ライアンは不安気な目をウィーダムに向けた。この少女の姿をした父は明らかに観光気分で馬車に乗っている。魔物を見てみたいなんて言葉、世間を知らない貴族の箱入り娘でも言ったりしないだろうに……。少しの間でも目を逸らしてしまえば、今にも馬車を降りて森の奥に歩いて行ってしまいそうにも思える。それほどまでにライアンはウィーダムのことが心配だった。
(一人にはさせないようにしなきゃだな)
ライアンの憂いに気づいた様子もなく、酔いが引いてきて気分がよくなったウィーダムが尋ねた。
「そういえば、王都に行く前にどこかの町に泊まるんでしたよね」
「はい。ここからしばらく進んだ先にある、メーテ町というところに泊まろうと思ってます。町に着くまでは野宿が続くので疲れが溜まるでしょうから、その分メーテ町でのんびりしましょう」
「野宿ですか。せっかくですしバーベキューでもします?」
「バーベキューした~い」
ジョエルが目を輝かせて言った。彼は孤児院の庭で行う追いかけっこに加えて、肉を使った料理が大好きなのである。
「いいですね、メーテ町に着いたら材料を探してみます」
「楽しみです。ところで、この森はどれくらいまで続くんですか?」
ウィーダムはすでに馬車から見える景色に退屈し始めていた。右を見ても左を見ても目に入ってくるのは茶色と緑だけ、これでは孤児院の裏手にある森で散歩しているのと変わらない。
「メーテ町が森を抜けてすぐにあるので、あと二日か三日は森の中ですね」
「三日ですか」
(景色でも見てれば酔いが気にならなくなるかと思ったけど、しばらく森が続くんですね……)
ウィーダムの不安を察知したジョエルは、馬車の隅に積まれている孤児院から持ってきた荷物を漁りだした。
「じゃあその間遊んで待ってる? ボク色々持ってきたんだよ」
ジョエルは自分の荷物袋に手を突っ込んで持ってきたものを探し始めたが、それらをどこに入れたのかをすっかり忘れてしまっていた。
「あれ、僕の荷物どれだっけ」
ウィーダムはジョエルの横に行って、一緒に荷物袋を覗き込んだ。中には様々な物が乱雑に入れられていた。
「ジョエル、さては整理せずに入れましたね。旅の荷物は多いんですから、雑に入れたら何がどこにあるか分からなくなると言ったでしょう?」
「う~だって~、楽しみだったから……」
「今からでも遅くありません、中身を整理しましょう」
ウィーダムはふと思い立って、ハニーの荷物袋を開いてみた。ジョエルと同じくハニーの荷物袋も中身が散らかっていた。裁縫に使う小物や布はきれいに纏められていたが、他は大きさや重さ関係なしに積み重なっている。
「ハニーもじゃないですか~。ハニー! 起きてますか?」
屋根の上にいるハニーに向かって声をかけたウィ―ダムだったが、返事は返ってこなかった。
「ハニ~……寝てるんでしょうか。よくあんなところで眠れますね、私だったら絶対落ちてます」
「うん、パパならすぐ落ちそう」
ウィーダムは立ち上がるとライアンがいる御者席に向かい、馬車の縁に手をかけて屋根に登ろうとした。
「ハニー、起きてますか……」
「ちょっと待ってお父さん!」
ライアンが慌ててウィーダムを止めた。ウィ―ダムの今の身長では屋根まで体が届かず危険だったし、何より修道服のまま頭の上を行かれると下着が見えてしまいそうだった。
(お父さんってどんな下着履いてるんだろ)
「どうしました? ライアン」
「えっ、あっそのまま登ったら危ないですよ。今の先生は体が小さいですから」
ライアンがジョエルを振り返って言った。
「ジョエル、代わりにハニーを起こしてきてくれないかな?」
「いいよ~」
「ありがとう」
ジョエルは馬車の後ろから器用に屋根まで登っていった。元の体勢に戻ったウィーダムは御者席にすとんと腰を下ろし、隣に座るライアンに目を向けた。
「な、なんですか?」
ライアンは変に緊張して声が裏返ってしまった。
「ライアンはホントに大きくなりましたねぇ。私の倍くらいはあるんじゃないですか?」
「先生が小さくなったからですよ…って、この話前もしませんでしたか?」
「そうでしたっけ。しかしこうしてると昔を思い出します。ライアンが今の私くらいの身長だった時は、よく私の膝に乗ってきて本を読んでとねだってきたんですよ」
ウィーダムがくすくすと笑いながら言った。
「持ってくるのは決まって難しい本で、いつも読み始めてすぐあなたは眠ってしまうんです。読み聞かせするなら絵本の方がいいんじゃないかって私が言っても、あなたは首を横に振ってやっぱり難しい本を持ってくる……。どうしてだったんですか?」
「もう覚えてませんよ」
ライアンは少し照れながら答えた、本当はよく覚えていたが、何を思っていたかをそのままウィーダムに伝えるのは恥ずかしかった。
「読み聞かせしてもらってたのはもっと小さい頃でしたよ。僕が今の先生くらいの時は、もうジョエル達がいましたし」
「そうでしたね。……ところで、二人はいつまで屋根にいるんでしょうか」
ウィーダムが顔を上に向けた。ジョエルがハニーを起こしに向かったはずだというのに、屋根の上からは何も聞こえず静かだった。馬車の中にもまだ戻ってきていない。
「ホントですね……。ジョエル! ハニー!」
二人からの返事はない。
「どうしたんでしょう、ちょっと僕見てみます。少しの間手綱を握っててもらえますか?」
「任せてください」
ウィーダムに手綱を預けたライアンは、立ち上がって屋根の上を覗いた。ライアンの目に寝そべる二人の姿が目に入ってきた。どうやらハニーを起こしに行ったはずのジョエルまで一緒になって眠っていたようである。
「先生、二人とも寝てます」
「二人とも? 器用ですねぇ」
「起こしますか?」
「寝かせといてあげましょう。屋根の上はずいぶん寝心地がいいようですから」
「分かりました」
ライアンは再び御者席に座った。その際に彼の腰ポケットからなにやら紙の端が出てきた。
「ん、ライアン腰のとこから何か出てますよ」
「ああ、これは手紙です。ディーン達からもらったんですよ」
「ディーンが? 何の手紙なんです?」
「それは……」
ウィーダムに手紙の内容を伝えられるはずがなかった。この手紙には自分が触手族と恋に落ち愛しあっていて、それを誰かに伝えることができず苦悩しているのを慰めてもらうという、全く訳の分からない文章が書かれているのだ。根拠も何もないでたらめな話ではあるが、万が一ウィーダムに読まれて勘違いでもされたらたまらない。
「近況報告ですよ。孤児院に帰ってきてすぐに出てきましたから、話せなかった分を手紙に書いてくれたんです」
ライアンはメーテ町に着いたらすぐにこの手紙を燃やそうと決意した。
私は女になりましたが神父なので付き合えません。 廊下 @6pt
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