令和四年(2022)

第拾壱夜 マスク越しの顔馴染み

 暫く会わなかったり目にしたりしていないと人も街も随分と変わってしまうものだとは理解していても、実際にいざその変化を目の当たりにすると眩暈にも似た当惑からは逃れがたいようで、ユイスマンスの『さかしま』のデゼッサントほどではないにせよ意識が何かと内向しがちな昨今にあって、半年以上振りに出勤した職場の周辺の風景にも大小様々に変化を見出さないわけにはいかず――そして今や、又してもリモートワークになってしまったけれど――、なるほど概ね日々の変化は眇として少しずつ、とはいえ「会わない」時間が長くなれば、自然、その間に積層した変化は巨塊を拵えており、それを心の水面に投げ込めば波紋どころか波瀾を立てること道理で、そういった時に“Fluctuat nec mergitur”(たゆたえど沈まず)との気概で泰然としていられる自信など予て私には無いものだから、案の定、存分にたゆたって過去へと沈んでしまう自分を発見するのが関の山だったのだ。


 飲食店の寿命については以前にも書いたことがあった(※「第壱夜」)。世情の一変して以降、私の気に入りの飲食店は、私が気付いているだけで二軒、喫茶は一軒、もう再び訪れること叶わぬ「思い出」の場所になってしまっている。

 特に残念だったのは、浅草に本店を構える「どぜう鍋」の名店が渋谷に出していた唯一の支店の閉店(2020年11月)だった。

 さらぬだに「どぜう」を食する江戸の文化そのものが忘れ去られていく中で、私は僭越にも、微力ながらこれを応援する使命を自分に課した積もりになって、仕事とプライベートと問わず何かにつけて同店を訪れていただけに、最早この江戸の味もわざわざ浅草やら合羽橋やらまで行かなければ有り付けなくなってしまったことが言おう様もなく悲しくてならない。何より、見た目が若干アレな「どぜう」を一緒に食べてくれるか否かは、私がその相手の為人を判断する際の一つの指標ですらあったというのに!

 毎年この時分に処理しなければならない領収書の束の中に、今年は同店のものが一枚として混じっていないのも何とも不思議な感じがする。怪しげな瘴氛が輭紅塵中にじわじわと不気味な瀰漫を始めた最初期の2020年3月に映画館で「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を若い友人と鑑賞した後、冬限定の「なまず鍋」を目当てに訪れたのが結局は最後になってしまった。こればかりは飲食店の「死神」(※「第壱夜」)こと、私の所為ではあるまいと信ずる、否、信じたい。

 

 一方、第壱夜にて「鯛のあら汁が吸い物で付く昼定食を目当てに行く和食店」として言及した、某所に出勤の折はほぼ毎週足を運んでいたその店は、久方振りに出勤した日にもまだ私にとっての「思い出」とはならずにいてくれた。 


 四人掛けのテーブルが二つにカウンター席が五席というこぢんまりとした店構え、ご夫妻で営む――そして夏休み期間中だけ、恐らくお嬢さんが手伝いに入るらしい――その店の昼定食は、刺身の盛り合わせ、焼き魚、煮魚の魚定食三種に肉定食が一種の都合四種で以前と変わっていなかった。

 刺身が大好物ではありながら、温かいご飯と冷やの刺身とを合わせて食することがどうにも苦手な私は刺身定食を注文したことがないのでこちらは何とも言えないけれど、蓮根のきんぴらが添えられた焼き魚定食、大根の鼈甲煮も美味しい煮魚定食はその日の仕入れによって魚種や味付けが異なるのでいつも楽しみだった。私が一等好きだったのは子持ちガレイの煮魚定食で、鯛のかぶと煮なども好もしかった。

 肉定食は鶏手羽元の煮込みが多いものの、その日は季節柄かおでん定食になっていて、大通り沿いに出した手書きの立て看板にわざわざ、おでん種を総て書いているところも誠実に思われる……おや、八六〇円だった定食は二〇円値上がりしているぢやないか。けれども、そのようなことは些事であって、それよりも再びこれらの定食に久闊を叙することの叶った安堵の方が勝ったのは間違いない。

 

 寒中にあっても入り口の格子戸は開け放たれていたから直ぐに店内の様子を窺い知ることが出来て、以前は開店と同時に満席になってしまって列ぶこともあったけれど、やはり時勢だろう、午時にも拘わらず先客は四名、それでも入店まで少し待った。その日は独りだったのでカウンター席を勧められ、私は煮魚定食を注文した。

 やがてカウンター越しに「前から失礼します」と差し出されたお盆の上には、幾許かの懐かしささえ覚える、かつての見慣れた「画」が顕れていた。

 その日は赤魚の煮付け、冷や奴の小鉢、切り干し大根と出汁巻き卵の小鉢――これは日によって小松菜のお浸しやひじきの煮物になったりもする――、それにお漬物――これも日によって違う――といった箸休め、そして鯛のあら汁も変わらずそこにあった。一口啜るとやはり美味。私はこの味に魅せられて、大仰にいえば店に通い出したと言っても誇張とはならないものだから、大きく変わってしまった世界に変わらないことの尊さを思い、嬉しかった。切り干し大根だけが以前よりもお酒の香りを強く纏っていたような気がした。


 食事中も店先の列は長くなっていく。私は黙々と、まさしく黙々と、懐かしい午餐の味とひと時を堪能した。束の間ながら、そうして「変わらぬもの」を味わい終えて会計に向かうと、その日は珍しくご主人が仕事の手を止めて応対してくれた。いつも会計の応対は女将さんがしてくれていて、「ご馳走様でした」「いつも有り難うございます」という遣り取りの後に釣銭を手渡され、ご主人には帰りしな、入り口の格子戸を閉めるため向き直った時に目礼し合うのが常だった。 

 私は以前と変わらず、女将さんにするのと変わらず、「ご馳走様でした」とご主人にお礼を言って釣銭を受け取った。その時、もう六年も前から通っていて、これまで言葉らしい言葉を交わしたことのなかったご主人が一言、


「お久し振りでございました」


と言ってくれたことに、私は得も言われぬ昂揚を覚えずにはいられなかった。何事もなければ、ただただ目礼し合うだけに留まっていたかも知れない彼我の間にも相応の「歴史」が知らず知らずに発生していたということを、そっと伝えられたような気がした。

 だのに咄嗟のこと、私はこの嘉すべき昂揚よりも先行した驚きの波に揺さぶられる余り、曖昧に会釈して「あ、どうも、ご馳走様でした」と、既に伝えた「ご馳走様」を再び繰り返すことしかできなかった。

 店を後にして横断歩道で信号待ちをしながら、どうして「今日も美味しかったです」とか「変わらず美味しかったです」と返せなかったのかという後悔の念が直ちに追い付いてきた。大きく変わってしまったものがある中にも変わらずにあり続けてくれた存在への親愛の表明を私はし損ねてしまった。


 瞬間は待ってはくれない。当意即妙とまではゆかずとも、ある思想家の言うところの「どう振る舞うべきか解らない時に、それでも適切に振る舞える」という、私には未踏の境地を思った。私はいつも事後的にしか解らないし、解った後には人としての器量の無さを歎いてばかりいる。しかすがに、その店で次に食事した時はきっと「今日も美味しかったです」と伝えようと思い至って、結局その「次」がいつになるのかは定かならぬまま、再びリモートワークに逆戻りしてしまったことは何とも口惜しい。

 そして、かかる箴言さえ知らなければあるいは、瞬間にも振る舞うためのいま少しの大胆さを持ち得ていたのかも知れないと、足許を暖めてくれる電気暖炉の擬似炎をぼんやりと眺めながら怨めしく思っているうちに、いよいよ入眠の適時も来たようなので大人しく随うことにしたい。

 

 にしても世情、そろそろ本当にどうにかならんものかねゑ。


* * *


Nescit vox missa reverti.

(言葉はいったん放たれるとあと戻りができない)


【ホラティウス〔Quintus Horatius Flaccus〕著『詩論』〔Ars Poetica〕390】

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