第拾夜 澱の上の蜜の味

(承前)

 フランス語で「澱の上」を意味するシュール・リー〔sur lie〕という醸造法で作られたワインには、通常ならば発酵後すぐにするはずの澱引きをせず、残したままの澱とともに寝かせることによって独特の旨味や風味が加わるという……いや、陳弁に紙幅を費やすのは止しにしよう。何やかやで、前篇を物してより三ヶ月半、書き止していたTちゃんとの思い出話の後篇もそろそろ書き終える頃合いを迎えたようだ。とはいえ、この間に何かが「澱の上」で熟成したかは定かではない。

 

 Tちゃんはいつも、古いメルセデスに乗ってやって来て、折々に私と妹をドライブに連れて行ってくれた。妹は助手席を好み、私はだいたい後部座席に座っていたように思われる。ここでも妹は自らの特等席をいち早く見定めて真っ先に乗り込んで行くじゃじゃ馬のお嬢様で、私はその後を遅れて付いていく召使いのセバスチャンといった体であったろう。勿論、車室内の座席の上下関係など、当時は知る由もない。

 ある夏の日、陽の射し込んで高温になった車内をドライブ前に冷やすため強設定にしたカーエアコンの吹き出し口から突如、眼に見えて白い冷気が出てきたことがあって、直後にTちゃんがいきなり「爆発する!」と叫ぶや私と妹を残して運転席から飛び出し、家の中に駆け込んで行ってしまったことがあった。私たちも驚いてTちゃんに従って玄関まで走ったところで、待ち受けていたTちゃんに「冗談でした」と明かされはしたものの、それに安心したのか妹が大泣きしてしまい、Tちゃんはそのことを祖母や大叔母にきつめに窘められることになった。その時のTちゃんのばつの悪そうな顔はもう思い出せないけれど、「ばつの悪そうな顔をしていたTちゃんを見ていた」という記憶が、もはや像を結ばぬ言語情報に過ぎないとはいえ、今なお私の中に残っている。その後、Tちゃんは「仲直りしよう」と言って、家の前の道路の排水溝に石を落として水音を聞く遊び――占い、だったかも知れない。これとて褒められたものではないに違いない――を提案してきた。前篇で宝石鞄の解錠される音を端なくも「深水に大きな石を落としでもしたような重たい響き」と譬えていたことと、この遊びの記憶とは何らか通底していたようだと今にして思い至っている。

 そしてもう時効だろうから白状すると、私が生まれて初めて、火の点いた煙草を銜えたのもこの車の中でだった。独りでいた助手席で、まるでそうすべきが必然であったかのように、ダッシュボードの上に無造作に置かれたTちゃんの煙草を悪戯して、すぐに灰皿に押し込んだ。Tちゃんは長いまま捨てられたその煙草に気付いていただろうか……中学二年生の夏だったと記憶する。

 そう言えば、いつも車でやって来るTちゃんが一度だけ、車でなくバスに乗って私たちを映画に連れて行ってくれたこともあった。何の映画だったかはもう流石に覚えていないのに、ある一齣だけ、かなり鮮明に思い出すことができる。それは帰途、バスに乗り込む時のこと、三人分の運賃を運賃箱に入れる時にTちゃんが「大人一人、コビト二人」と言ったのだ。またからかわれたと思って「違うよ、子ども二人だよ」と不満そうな妹に対して「だって書いてあるよ」といってTちゃんが運賃箱の表示を指差す。確かに「大人〇円、小人〇円」と書いてあって妹は絶句し、私も私で、なるほど、と思ったものだった。妹とTちゃんは二人掛けの席に仲良く隣り合って座り、私はその後ろの席で少し肉付きの良いTちゃんの背中をずっと見ていたような気がする。

 以前にもどこかで書いたかも知れないことを繰り返す愚をお許し戴けるならば、「このことは後になってもきっと繰り返し思い出すことだろう」と予感する人生の瞬間が確実にある。その予感は意想外にも、大仰で、分かりやすい、何らかの記念となるようなイベントではなく、何気なく目に入った風景であったり、物思いに耽ってふと我に返った瞬間であったりと、実に些細な、覚えている必要もなさそうな渺たる時間の細切れにも訪れるようだ。何故なのだろうか。この作用についての興味は尽きないので、いずれ後考を期したい。

 最後に、思い出す度に笑ってしまう極めつけのエピソードをご披露したい。今は亡き曾祖母の米寿のお祝いをした時のことだ。立食でなく着席のスタイルだったこともあるだろうけれど、借り切ったホテルの宴会場は、記憶する限り随分と人が多かった、というよりも人同士が「近かった」ような印象がある。どうやら出席者は百人近くいたらしく、記念に撮影した集合写真は皆の顔が小さきに過ぎ、虫眼鏡を翳さないと判別できないとのこと、先日、祖母との電話で聞いた。

 そのお祝いの会の余興でビンゴゲームが始まった。景品はお菓子の詰め合わせや結婚式の引き出物など、親族有志が持ち寄るバザーのような形で当日集められ、ビンゴした人から籤引きで景品を決めるというものだったと思われる。比較的早い段階で、ちょうど私の席の近くに座っていた叔父がビンゴを達成し、はしゃぎながら壇上に向かうその姿を見送った後、私は暫く誰かと話していたのだったか脇目していて、再び気付いた時には叔父は何やら浮かない顔ですでに席に戻ってきていた。普段から冗談ばかり言う、陽気で多弁のはずの叔父がそれに似つかわしくなく静かなのを私が不思議に思っていると、隣席の母が「こんなもの出すなんて……」と顔を顰めながら、叔父の手許にある銀色の封筒状のものを引き寄せた。そこで私は、叔父が手にした景品が、所謂「葬式海苔」という代物であることを知った。私はあの時、気の毒な叔父の斜め後ろで噴き出すように大笑いしていた赤ら顔したTちゃんの、こめかみに浮かんだ血管が今も眼裏に焼き付いている。周りの大人達の間を、溜め息だけ聞こえるような微妙な沈黙が充たしていたこともあって、件の「銀色の封筒」が誰の持ち寄ったものであったか、子どもの私にも理解されたのだった。この時のことは祖母も母も今以てよく覚えているらしい。

 会がお開きとなって宴会場を出る時、所在なげに「銀色の封筒」を持て余していた叔父は徐に「これは置いていこう」と独り言ち、縦長の置き型エアコンか何かと壁との間にできた僅かな隙間に、まるでポストに投函でもするかのようにその「封筒」を潜ませて帰って行った。ちなみにこの叔父も変わった人で、いつだったか別の機会に私と「茹で卵を幾つ食べられるか」という競争をして、八個だった私に対して十三個の茹で卵を平らげて見事、子ども相手に勝利を飾ったは良いものの、後日入院してしまったこともあった。世のオジたちはなべてこういった性向を持つ人種なのか、あるいは我が一族だけなのか……。

 ところで、改めて調べてみたところでは、祖母の妹である大叔母は私にとって四親等の血族ではあっても、その夫であったTちゃんは三親等以内の姻族に該当しないため、日本の民法が設定するキンドレッドの範囲外、つまり厳密には私の「親族」ではないらしいということに気付いた。これは意外なことだった。大叔母との離婚によって「親族」でなくなってしまったのではない、端からTちゃんは私にとって「他人」だったなどとは……最初から、Tちゃんと私とが「他人」同士だったのだとしたら、それこそ今にして大いなる違和感は否み難い。誰もいない夜の部屋で独り、Tちゃんの顔を思い浮かべながらふと口を衝いて出た「他人」という言葉は、思う以上に物哀しく耳に響く。とはいえ他人とは思えない「他人」の影響は、遺伝子的な繋がりはなかったとしても、意伝子〔ミーム〕として私の中に受け継がれていることは確からしく、己が身を顧みれば昨今、年若い親族達に対して取る私の言動にその一端が垣間見られるような気がしてならない。これだけは否定できないだろう。私が「二代目」を襲名する時こそ、実はそう遠くないのではなかろうか。

 シュール・リー、「澱の上」……ボトリングされた後のワインでも、上質なものほど澱は生じやすいと聞いたことがある。ボトルの底で微かに揺蕩うその澱の影響から、ワインも人も遁れることは難しいようだなどと考えつつ、今回は日を跨ぐ前に韜筆できた。時節、いよいよ夜長の秋、寝酒にワインでなくウイスキーを飲みつつ、全ては眠気の赴くままに。


La nuit porte conseil...夜は助言をもたらす

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