応援コメント

第陸夜 住まいと座表軸、そして眩暈」への応援コメント


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    『第陸夜 住まいと座表軸、そして眩暈』の更新、ありがとうございます。
    モニク・アースの弾くラヴェルを聴きながら拝読しました。
    頭脳朦朧の違和感。同じ景色を違う視点から眺めた時、一種の「揺らぎ」に支配されること、あるような気がします。私など引っ越さないのに頭脳朦朧です。私の場合、目的地に辿り着く道が幾つかある時、毎回、違う路を選ぶせいで、見慣れたお店が違うお店に見えたりします。同じ路を選べばいいのに、好んで「揺らぎ」の中で朦朧としていて、眩暈の中に住んでいて、困ったものですね。

    工藤様、カクヨムに登録して二年を迎えられ、おめでとうございます。
    三島由紀夫先生が自決して五十年、工藤様の本棚には三島先生の著書も沢山、並んでいるのでしょうね。人生の縮図と言える本棚の中、フラッシュピンクの残像の少年に、うっかり想いを馳せて整頓中、N先生の「凌霄花・表記揺れ大事件」を目にしました。「のうぜんかずら」と「のうぜんかつら」、初めて気が付いた次第です。もしや植物辞書(自家製辞書)には「のうぜんかつら」と記されていて、創作の世界に蔓を延ばす段階で意識的に「のうぜんかずら」に書き換えられたのでしょうか。どちらにせよ微笑ましい大事件でございました。ちなみに私の本棚、小説と漫画が3割、楽譜が3割、残りをガラクタとおぼしき小物が占めており、はたして此れは本棚かしらと疑うような混沌の様相を呈しております。第51回文藝賞受賞作品は存じませんで、コメント、お心遣いいただき恐縮でした。結末まで同じなら取り下げようかという勢い再びですが、異なるものになりますので、このまま走り続けます。師走だけに、走ります(笑)

    ところで、工藤様もポイントを溜めておられるのですね! 意外な生活感です。親近感をおぼえてしまいました。
    よき眠りが訪れますように。おやすみなさいませ。

    作者からの返信

    宵澤樣

    今年も押し詰まって参りましたね……お返事が滞ってしまい何時も乍ら恐縮です。今回の随想も早速にご高覧下さり有り難うございます。

    先だってのホロヴィッツにしてもモニク・アースにしても、鬼籍に入ってしまったピアニストの演奏を、生ならずとも映像で見て聞いて愉しむことの出来るYouTubeは本当に「文明の利器」に他なりませんね。このYouTubeの動画などもそうですが、現代文明において愈々と全盛を迎えているやに思われるこういった多様な「複製」が私に齎す心的影響についての随想録を年内にあともう一本、書き上げようと考えております(が、詐欺事件の予感もします)。

    景色の「揺らぎ」、宵澤さんもおありですか。私も自宅への帰路や目的地への道塗を変えることは屡々あるのですが、その故は、最近、記憶力や思考力が頓に低下してきていることを実感する機会の増えてきたことですから、私の場合、その脳への刺戟やボケ防止に効果があるとの流説に発してそうしておりましたもので、宵澤さんのコメント、あるいは「揺らぎ」さえも愉しんで(?)おられるようにお見受けしますに、そういう眩暈すら愉しむ余裕、私も肖りたいと思います。

    カクヨムに登録して十一月で二年となりました。一年目より投稿量は随分と減ってしまった今年の方こそ、お陰様で楽しく意義深い時間を語彙世界にて過ごさせて戴けたような気が致しております。忘れないうちに、来たる年も宜しくご交誼の程お願い申し上げます。

    人生の縮図としての本棚、三島全集など「重」「厚」な本は早々に概ね収めてしまったものの、文庫本の整理は未だつかず、どうやら年末年始の眠られぬ夜は、過去の自分と邂逅する「年越しライヴ」になる可能性が濃厚です……未だに「凌霄花」や「フラッシュピンクの残像の少年」はじめ、新潮文庫版の三島作品なども探すのに難儀しております。
    そういった訳で「凌霄花・表記揺れ大事件」発覚当時の「調書」もまた見出せなくなってしまいましたが、私の記憶では、アリスのほうが「つ」で自家製辞書のほうが「ず」であったような気がしておりまして(脳機能……)、そのことに気付いた時の記憶を手繰り寄せますに、アリスはやはり「一番搾り」だったのだろう、だから原液のままだったのだろう、などと推し量っていたような気が致します。N先生、御作の読者の裾野が広がっていくにつれて、少し原液を薄めて「飲み」やすくして下さったかも……?

    宵澤さんの本棚はなるほど、小説と漫画と楽譜、そして小物の四重奏ですか。何より楽譜が3割とは畏れ入ります。そういえば私の本棚にも一冊だけ楽譜がありますよ。英国留学に行っていた後輩に現地で買い求めて貰った「ミカド」というオペレッタのヴォイススコアで、私は脚本部分のテクストだけしか読んでいないうえ、展覧会の図録のような大型本の棚に紛らせて並べてしまっておりますから、「お仲間」のいない楽譜には些か気の毒なことをしております。

    明日の夜半には、ご無沙汰を重ねております「アノレキシア」のコメント欄にまたお邪魔できるかと存じます。にしましても、アノレキシアの百合たちにとって、年末年始の「ご馳走」とは何になるのでしょうね。それざや。

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