応援コメント

第肆夜 初めてした「創作」の思い出」への応援コメント

  • 初めてした「創作」の思い出というのは此処カクヨムの書き手さんには誰もがあるのだろうな……と思いますが、こちらのエピソードでは真剣に紙芝居作りに取り組まれたご様子を思い浮かべました。

    かくいう私も小学校の頃から劇の台本や脚本を書いた記憶があります!自分が書いた台本で劇が繰り広げられる……というのは当時の私にとってはドキドキする瞬間でしたし、心秘かに武者震いしていたように思います;;楽しい思い出ですが、その頃はまだアンパンマンは流行っていなかったので、私は工藤様より年上ですね…;そして、小学校時代の友人たちは今はどうしているか、さっぱりわからないのが残念です…。

    そして、忘却に働きかけるのは時間だけでなく、距離や運命に影響された人と人との関わりの中での出来事や考え事が年月とともに蓄積される中で、意識の範疇から外れてしまう事ほど忘却に偏っていくのではないかと、そんな思いもふとよぎったりもしました。

    そんな訳で、じっくりと考えさせてくれる高尚な趣きの随想録にそっとコメント残しておきます。

    作者からの返信

    中澤樣

    随想録にも初コメントを頂戴しまして有り難うございます。夜長の秋、如何お過ごしでしょうか?

    そうなのです、紙芝居だったのです。往々にして孤独な作業となるはずの「創作」の原体験が協働作業であったことは、私にとって僥倖であったと思われてなりません。どこか温かい友情の思い出ともなっておりますもので。

    中澤さん、小学校時代からお芝居の脚本をお書きとは何とも高度ですね!小学生でそういった体験を持てるのは本当に羨ましいことです。皆が皆、味わえるものではないのですから尚更に。

    にしましても、よもやアンパンマンから足が付きましょうとは……畏れ入りました。でも私も昭和の生まれでございます。カクヨムはじめネット空間では年齢が解らない方が、長幼の序によるものとは異なる、対等な人同士としての尊重、敬意を持てるような気もしておりまして(ですからこれが無くなってしまうと不幸なことになりますね……)、それはそれで面白いことであると不遜にも考えております。

    そして、忘却を巡る中澤さんのご高察、目から鱗が落ちたような気がしております。成る程「意識の範疇」、言うなればスポットライト(これは視点、視座のようなものでしょうか)の中に照らし出されているか否かで、時経りに関係なく「忘却に偏っていく」というのは興味深いご指摘だと思われます。「心」(=意識)から「亡」くなるから「忘」却される、その要因は仰るように何も時間だけではないのですね……さすがは先達(煽ってはおりません)のご深慮、肺腑を衝かれた思いで承りました。

    また、お時間ある折にお運び下さいますと幸甚です。

    追伸:
    「〔私訳〕かざしの姫君」への応援、フォローも有り難うございます。

    編集済
  • 工藤様、待望の第肆夜の更新ありがとうございます。
    初めてした「創作」の思い出……小学校一年生で初の「創作」を「紙芝居」という形で実現なさったのですね。私など……言ふ莫れ。秘すれば花なり。
    当初の出し物から軌道修正のために「おとな」を配置するというのは、担任の先生の先見の明だったでしょうか? 七歳ごろの「自由」は確かに奔放。Sくんのお母様に動かされていたのかもという節がありながら、少年ユキト様は見事な創作を成し遂げられたのですね。二人の協働作業の清々しさが伝わってまいりました。嗚呼、創作って素敵!

    「記憶は思い出される度に「時間」という槌に打たれて形を変えて歪んでしまうもの」……なんて素敵な黼黻でしょうか。
    上田敏博士の「うづまき」の引用も、また素晴らしき黼黻でございました。永遠の破壊者である「時」に分かたれぬ「束の間の記憶」を渦のように繋げていくことは、はたして不可能への挑戦でしょうか。
    敬老の日、私は焦げ目なき雛鳥色の出汁巻き卵の創作に成功致しました。そして祖母の思い出話を聴いておりました。昔語りをする祖母の記憶は、はたして「時間」という杭に、どれだけ打たれていたでしょう。それは本人にも私にも分かり得ぬことですね。
    ところで麻酔銃のお話の件、工藤様の中に生きる少年ユキト様の馨しき樹液を感じ取るばかりで、たいへん微笑ましゅうございました。私は自分の中に雛鳥🐣を飼っております故に、大笑いできませんでした。シャイで無口だから大口を開けないのではなく、何やら似通った或る種の性質を感じてしまうが故の微笑みなのです。失礼しました。麻酔銃で試し撃ちしてやってくださいませ。バイバイキン。それぢゃ、また。

    作者からの返信

    宵澤樣

    この度も夜長の漫筆にお付き合い下さいまして恐縮です。秋は一般に睡眠時間が長くなるとされますが、私の場合、いよいよ心地良い不眠が亢進しそうです。

    宵澤さんの「創作」の思い出も何時か拝読できる機会はありましょうか……紡がれる美しい物語が「今」のような姿に成型されて行くまでの過程、大いに興味をそそられてしまいますが、「秘された花」のその花蘂を廻るしつこい蜜蜂になっては不可いですね。

    御作へのコメントで「大人を観察する子ども」について書き込ませて戴いたことがあったかと思うのですが、実はあれは他でもない私自身のことでもあるのです。先生や親などは幼時の子どもにとって絶対的な存在に近いのでしょうが、自分がオトナになって改めて思い返してみると、色々と発見したり共感したりできて、中々に面白いものですね。個人の所感に普遍性がどの程度あるのかはさておき、そうやって彼彼女らを相対化していく段階的な契機を自分なりに整理する過程の中に、あるいは小説のネタとして使えるものが結構含まれているかもしれません。

    Sの母上は兎に角よく車を運転なさるバイタリティに溢れた方(夏にはキャンピングカーまで!)で、Sとともに私も随分と色々なところに連れて行って戴きました。母としてのみならず「父」の役まで務めておられたのだなと感じます。書き終えて、他の記憶も懐かしく思い出していたところです。実は昨年の夏に空港で偶然ばったりお会いしたのですが(やはりご自分の運転でいらしていました)、お変わりなくお化粧もバッチリで、不思議と年経りというものを感じませんでした。

    協働して何か一つの物を作り上げるという営為は、一人で遊ぶ快楽とはまた違った快楽を齎してくれるものですね。「みそさざいと熊」の紙芝居はもう記憶の中にしか存在しておりませんが、今も手許にある他の協働創作物を見返したり読み返したりしておりますと、一人でものした創作物よりも余計な逡巡がないような気がして、今の自分が失ってしまった「信じる強さ」のようなものを見出しては眩しくなってしまいます。こういった感慨は、やはり自分だけでなく「誰かと共に作った」という安心感の為せる業でしょうか。

    「記憶は思い出される度に「時間」という槌に打たれて形を変えて歪んでしまうもの」……上田博士の黼黻には到底及ぶべくもありませんが、恥を忍んで強いて考えてみますと、二つともどこか物悲しいところは通じているのかも知れないとも思われます(烏滸がましい!)。昨年のミシュラン・フランス版で日本人で初めて三つ星の評価を受けた小林圭シェフが、インタビューで「フランスの美はヴェルサイユ宮殿のようにもう見ただけでわかる美。日本は『泣いた寂しさの綺麗さ』のような美」と評しているのをテレビで見まして、引用した上田博士の「黼黻」の美にはそういった日本的なものを感じること、出来るのやも知れません。

    数年前に亡くなったアーサー・ダントーという思想家が、出来事が出来事そのものとしてでなく、ある出来事と別の出来事との間に因果関係を生ずればhistoryになりstoryになり、それを紡ぐ行為が「物語り」である、といったような主旨のことを言っていたような気がしますが、この「出来事」を「記憶」に置き換えられるのならば、「「束の間の記憶」を渦のように繋げていくこと」、それぞまさに「物語」なのではないでしょうか。仮にそれが「不可能への挑戦」だとしても、例えば三島やルートヴィヒ2世が試みたように、その挑戦の道程に美は溢れ出づることでしょう。

    「雛鳥色」の出汁巻き卵、色の名指しが絶妙ですね! 仰るとおり「時間」によってどれだけ打たれているか本人ですら分からない、実際にあったことと思い出せることとの間は時が経つにつれていよいよ隔たるばかりかも知れませんけれど、私などは、人にはやはり生きていく上での「物語」が必要な時があるような気がしておりますから、「記憶は思い出される度に「時間」という槌に打たれて形を変えて歪んでしまうもの」と申しておき乍ら、「歪む」というネガティヴな性質は仕方ないにしても、心地良く「形を変えて」しまうことで今が生きやすくなるという性質、一寸だけ有り難くも思っております(だから妄想癖が抜けないのかも……)。

    麻酔銃のお話、宵澤さんの中に飼われる雛鳥を驚かせる引き金とならずに善かったです。微笑みで受け止めて下さったお優しさに感謝申し上げます。にしても「何やら似通った或る種の性質」……こちらも何やらドキンと来る表現ですね。気になります。
    やはり少年ユキト(少年アリスとは異なり、ユキトは端的に「ガキ」なのかもしれませんが)は、今後も蜜蜂のように宵澤さんのご身辺をブンブンすることになるかもしれません。奏鳴曲にはまだブンブンできておりませんが、明日、未読分を纏めて拝読しに伺えればと存じます。

    コロナも早く「byeばい菌」してほしいところですね(菌じゃないですけれども……)。ぢゃ又子。

    編集済