応援コメント

第参夜 おじさんの傘」への応援コメント

  • 工藤様、こんばんは。酷暑ですね。第参夜の更新、ありがとうございます。
    「おじさんのかさ」を予習してから参りました。使ってこそ、使われてこそ、喜ばしい傘のお話ですね。よそ行きの衣装が草臥れるのが厭で大切に保管→やがて宝の持ち腐れになるパターンを思い出しました。
    工藤様は「ドン・キホーテが持つランスのよう」な「値の張る藍色の傘」を、観賞用ではなく愛用しておられるのですね! 傘も傘職人様もお喜びでしょう。傘に限らず、たとえば洋服もインテリアも「値の張る」ものは長持ちするように思われます。安物買いの銭失いとは、本当なのかもしれません。ところで私はタッセル(=飾り房)が大好きです。先日もユザワヤで虹色のタッセルを特に使用目的も無く買ってしまいました。陽傘の柄に付けてみようかしら。ところで「藍色の傘」は晴雨兼用にはできていないのでしょうか。陽傘として活躍できそうなフォルムに思われます。
    「無個性で安価な傘」ほど間違えられやすいというのは、そのとおりですよね。その傘を巡って対立する「いい大人」の姿は滑稽です。対立する人たちにとっては、凄く価値のある傘だったのでしょうか。そんな光景はテレビと同じぐらい暑苦しいですし、見ていて哀しい心持ちになられたでしょう(私もまた争いを好まない平和主義の人間なのです)。
    工藤様の随想録は涼しくて良いですね。おかげさまで、よく眠れそうです。おやすみなさいませ。

    作者からの返信

    宵澤樣

    わざわざ「予習」してお読み下さったとのこと、恐縮です。「おじさんのかさ」は大変印象深い作品でしたのでご紹介させて戴いた次第です。

    モノを綺麗なまま保存しておきたいと思う心性から大切に仕舞い込んでいる裡に、何時しか「宝の持ち腐れ」となってしまうパターン、あるあるですよね。しかも大切に保管しているモノの中には少なからず「どうしてこんなモノを?」と、後になって不思議に思うモノもあって、そういうモノは概ね大掃除の際に発見されて「餌食」になってしまう……もしかすると、仕舞い込んでしまったモノはモノとしての「呼吸」が出来なくなって死んでしまうのでしょうか? モノも日々使っていれば、人間と同じように傷ついたりガタが来たりして「老いて」は行きますが、なればこそ持ち主もそのことで益々と愛着を持つようになるのかもしれませんね(三吉青年が仕舞い込んだ「千羽鶴」はこの点、どうだったのでしょうか)。

    仰る通り「値の張る」ものにはそれなりの理由がありますよね。洋服、インテリア、そして「長持ち」するという点からは少し外れてしまいますが、私など最近ですと特に食事に対してそのようなことを考えます(あるいは、自分の身体を「長持ち」させるという考え方も出来ますか)。ただ同時に、浪費癖という病痾が萌してもいるようなので、よくよく自重せねばならないな、と考えております……。

    タッセル、宵澤さんもお好きなのですね! 私も大好きでして、窓掛けやテーブルランナーなどタッセル付きのものを愛用しておりますよ。何というか、房の揺れる様に優雅を感じるんですよね。意味もなく指で弾いては、揺らしてウットリしております(笑) まして傘に巻いて歩いていれば、それだけで常に視界の中で揺れていてくれますから眼福という他ありません。虹色のタッセルを陽傘に巻いてお出かけになれば屹度、揺れるその姿に癒やされて暑さを暫し忘れさせてくれるのではないでしょうか。ただ、我が愛する「藍色の傘」は頑丈である利点に反比例する「重さ」の問題と「大きさ」の問題がクリアできそうになく……やんぬるかな。

    争いの種になりそうなものはなるべく蒔かないように、「平和主義」で日々過ごしたい、殊にここ数日の酷暑を通り越した狂暑は、普段は温和な人々をも狂わせそうですから、なるべく外出せずにひんやりしていたいですね。

    何時もご高覧、蟻が十……いや有り難う御座います(そういえば「有難等御座居〼」って宵澤さんの造語でしょうか? 馬琴先生みたいです)

    追伸
    三吉先生の香水、ANNA SUIのでしたか。「海の色」とのことでしたのでちょっと調べてみましたら、多分これかな、というものがヒットしました。バッグをイミテイトした可愛らしい容器はインテリアとしての存在感がありますね。