工藤様、今夜は此方にお邪魔致しますm(__)m
飲食店の寿命。閉店の予兆。
私は職場の「小さな疵」が「滅び」ようとするときの気配を往々にして感じ取った経験がありまして、とても共感してしまいました。私が働く場所が二度、滅びまして、私こそ本当の死神ではないかしら。否、そもそも末期の職場に採用されただけでしょう。分かり易くテーブルクロスがほつれていたり、窓硝子によく見ると分かる小さい亀裂が走っていたり、ついでに人間関係にも亀裂が走っていました。
「行こうと思ってももう行けない教室」になった途端、パソコン教室の寿命は短いと思う次第……早く眠らなきゃ。
作者からの返信
宵澤樣
今朝方は通知の数に驚きました。とりとめのない拙文の真骨頂ともいうべきこちらの随想も纏めてご高覧下さって、応援、ご評価の★も頂戴し恐縮です。「豊穣—」など「私の美の世界」(!)を構築する類のものとは趣を変え、ルビなし(なるべく)、口語体で綴っていければと考えております。次夜以降も、概ね私の社会的な幼さを曝してしまう内容に終始するかと存じますが、眠られぬ夜のお暇つぶしになれば幸いです。
「私が働く場所が二度、滅びまして」……よくよく拝読しますと、なかなかに鮮烈な表現ですね(笑)。エッセイで拝読したお話でしたでしょうか。何かの「予兆」は往々にして事後的に「そういえばあの時……」として想起されることが多いような気がします。その時には手遅れになっているという。物悲しいですね。
にしても飲食店とパソコン教室、何れにも共通しているように思われるのは、「技術」さえしっかりしていれば何処ででもやっていけるという点なのかなとも思いました。料理人もパソコン講師の先生方も「技術」があるから、私が考えるように「場所」にそこまで固執することなくお仕事できるのかもしれないと。残念ながらパソコン教室に通った経験はないのですが、飲食店、殊に名店といわれるお店や有名な料理人のお店は、結構な頻度で場所を移っていますもんね。場所としての思い出も大切にしたい客と、場所に頓着せず飽くまで「技術」で魅せるお店……客側の「片思い」はこれからも続きそうです。
追記
仕事の合間にちょっとだけ。もう一つのお返事は後刻改めまして。
お店の雰囲気作りもその料理の一部である…。という言葉を思い出しました。
美味しいお料理も大事だけど、この店に来ると何か落ち着く…みたいな、
そういう要素も大事なのかもしれませんね。
作者からの返信
白狐姫と白狐隊樣
初めまして、工藤行人です。
まさに仰る通りですね。お料理のみならず、それを装う食器や設えられた調度品、照明、音楽、窓からの景色などがトータルで醸し出すお店の雰囲気、「もてなし」というものがありますね。気に入りのお店にはなるべく長く通いたいものです。
くだくだしい漫筆にコメントを頂戴しまして恐縮です。有り難うございます。