幕間1

「……今頃、あの二人はちゃんとやってるかしらね」

「え? 桐原さん、何か言いました?」

「独り言よ。気にしないで」

「了解っす」



 雨の中立ち竦む二人の内の一人、柊に比嘉の傘を押し付けた後。

 二人に告げた通り比嘉と食事に来ていた桐原は、あの後どうなったかが気がかりだった。

 鳴海が柊に対して壁を作っているのは一目でわかった。飽くまでもあれは教育担当としてのスタンスを貫こうとしていた。

 そんな線引きをしているのはわかっているつもりだが、それで柊を悲しませる理由にはならないだろう。

 だからこそ、彼女が鳴海への恋心を打ち明けてきたときは全力で応援することを約束したのだが──。



「あの娘、残念なのよね…。特に大事なところで」

「……桐原さん、今のは柊のことだってすぐわかりますよ」

「独り言を盗み聞きなんて、紳士じゃないわね」

「そんな大きな独り言があってたまるかっす…」



 二人きりになると空回りするというか、なんというか。

 恋に落とす気が本当にあるのかと聞きたくなるほど、期待を裏切ったリアクションを起こしたり。

 正直、あの二人がくっつくには周囲の人間がお互いの気持ちを教えるということも手段の一つになってしまうのではないかと頭を抱えてしまう。

 とはいえ、自分も社会の先輩として何かしてあげたいと思うのは当然だ。

 これまで長い付き合いとなった鳴海に、やっと幸せがやってくるのだと思うと、それはそれで嬉しいと思う自分も居る。

 …そして思う。自分にはいつ春が来るのだろうか、と。



「あの、桐原さん。…桐原さん!」

「え! ええ、なにかしら」

「いや、肉。食べてくださいよ。いい感じになってきてますよ?」

「そうね。いただくわ。……念の為言っておくけど、お会計の話は奢らせるつもりは無いわよ?」

「え、でも御世話になってるお礼くらいさせてくださいよ!?」

「十分助けられてるわよ。それに、社会人始め立ての若造に奢られるほど、私は身持ちを崩してないわよ」

「そりゃそうかもしんないっすけど…」

「そんなお金があるのなら、貯金か。それとも親孝行か。その辺りが妥当だと思うわ」

「……桐原さん、やっぱりかっこいいっすね。憧れるっす」



 目の前の後輩。比嘉 直孝なおたか

 糸目な彼は、お調子者と周りから呼ばれるだけあっていつもニコニコ笑顔を浮かべている気がする。

 端的な事実ばかり話し、プライベートと仕事を割り切った対応をしてばかりの冷たい印象を周囲に持たれている自分とは正反対。

 仕事の成果物を見るといい加減な所があるのは玉に瑕だが、先輩社員にも同僚にも可愛がられるタイプで対人能力が高い。

 柊・鳴海ペアもそうだが、後輩のコミュニケーション能力の高さに脱帽する先輩社員とはどうなのだろうか…。



「比嘉君。私こそ、アナタには頭が上がらないこともあるのよ? 私はアナタのように周りの空気を良くすることなんて出来ないし、しようとも思わないもの。私みたいに可愛げのない女だと嫌な気分になることもあるでしょう。ごめんなさいね」

「な──何言ってるんっすか!! 桐原さんはわかってないっす!!」



 ガタンと音を立てながら、椅子から立ち上がる比嘉の目はいつもの笑顔から来る糸目ではなく、彼には珍しい様子で見開かれていた。

 そんな真剣な表情の彼を見て、ドキリと胸が高鳴る気がした。

 でも、と私は戸惑う。何故彼がそんな真剣な表情で私の言うことを遮ったのかわからなかったから。

 そんな私を見て、彼はふうと一息溜め息を吐くと椅子に座り直し謝罪する。



「すみません…。取り乱しました。怖がらせるつもりは、無かったんですけど」

「い、いえ。大丈夫よ? その…、何が琴線に触れたのか見当も付かないの。私こそ何かしたのかしら、ごめんなさい」

「そうでしょうね…桐原さんの顔に書いてあるっすから」



 にこりと笑う彼はいつも通りに見えて、少し違った感じがした。

 なんというか、薄ら寒い、ような。

 笑顔なのに…、呆れているような、苛立っているような?

 その理由は、直ぐに彼が説明してくれたのだが。



「もし、俺が桐原さんのこと苦手だと思ってるならこんな風にサシでご飯来ませんって。お世話になってるからってのも社交辞令ではなく本心っす。もしかしてお疑いになられてました? そうだとすると、傷付くっす」

「そ、それは…」

「否定されないんですね。──あーあ、本気で凹むっす。わかりました、ちゃんと言葉にするっすよ」



 一呼吸置いて、ただその薄ら寒い笑みは絶やさないまま。



「桐原さんの下について、色々教えて貰ってる内に今の関係じゃ満足できなくなりました。だからこうしてプライベートでの接点まで作ってるんですけど、まさか異性として意識されるどころか、社交辞令と思われてるとは思いませんでした。鳴海さんの言う通りだったってのは、ちょっと釈然としませんが……。なので、ちゃんと告白させてもらいます」



「桐原琴音さん。俺は、貴女が好きです。付き合ってくださいっす」



 そんな一言で、私の頭は完全に機能停止したのだった。

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