第11話

「…で、落ち着いた?」

「………ま、まだ。ダメ、です。ひっく。続けて下さい」

「ん、わかった」



 しゃくりあげる柊の頭を撫で続ける。

 あの告白の後、柊は飲み屋も真っ青なテンションで。



「はい、よろこんでぇーっ!!」



 と大声を上げながらギャン泣きをかまし、鳴海に飛び付いた。

 ぎゅっと背中まで回した腕を離そうともしないので、泣き止むまで待とうと諦めた鳴海だったが、そろそろ脚など痺れてきているため、少し泣きそうである。

 最初は服一枚越しの柔肌に動揺しっぱなしで、心臓の高鳴りを聞かれていないか心配で気が気でなかったのに、慣れとは怖いものである。

 直に柊は、すんすんと鼻を啜りつつポツリと呟いた。



「…せんぱい。なんかいいにおいしますね。ちょっとくらっとしました。あとナデポの才能ありますよ。他の女性ヒトに安易にナデナデしないでくださいね」

「え、人が真剣に慰めてたのにそんなこと考えてたの? 控え目に言ってどん引きなんだけど」

「スミマセン…」



 つい、欲望が。と舌をぺろりと出す柊を見て、可愛いなと許してしまいそうになる自分は、相当やられてしまっていると感慨に耽る。

 そこでふと、壁時計が視界に入った。

 短針は既に9の数字を越えている。そういえば、夕飯もまだだったことを思い出す。



「柊。お腹はどう?」

「はい、先輩! 凄いくびれ!とはならないかもしれませんがさわり心地はいいはずですよっ」

「違う…、違うんだよ柊。言い方が悪かったかもしれないけど、察して欲しかった…」



 夕飯を食べられるかの意味で質問したが、斜め上からの回答が来て頭を抱える。



「? アピールチャンスでは…?」

「晩御飯のお誘いです」

「なるほど。…是非!」



 きょとんとした表情から、一転して溢れんばかりの笑顔になる柊は、とても魅力的だ。

 そんな彼女を見ていると、好きな物をお腹いっぱい食べさせたくなってしまうではないか。



「柊、食べたいものとかあるか?」

「も、もしかして…鳴海先輩が作ってくれるんですかっ」

「此処は俺の家。俺が料理するのは当たり前じゃない? …といっても、作ることが出来るのは男料理に限られるけど」

「それなら何でも食べたいですっ! …ご相伴に預かりたく…?」

「無理して難しい言い回ししなくていい。なんか微妙にズレてる気がするし」



 百面相を続ける柊に笑いかけながら、キッチンに立っていつも使っている紺色のエプロンを着ける。

 冷蔵庫の中身を確認し、簡単なレシピを頭の中で何個かピックアップする。

 


(卵とワカメで中華スープ。あとは冷やご飯があるから炒飯かな。冷凍だけど春巻きも出すか)



 小気味良い音を立てながら食材を包丁で切っていく。

 同時平行でスープと炒飯を手際良く作っていく姿は、明らかに自炊慣れしていることがわかる。

 そんな鳴海をぼんやりと熱に浮かされたように眺めている柊。そのまま、無言の時間が過ぎていく。

 沈黙に耐えきれなかったのは、鳴海の方だった。



「……そんなじっと見られても、夕飯しか出ないよ」

「十分です。…鳴海先輩、お願いがあるんですけど」

「聞こう」

「ちょっと、名前で呼んで貰えませんか?」

「ん。美晴」

「少しは照れて下さいよ! 付き合いたてのカップルなんですよ!?」

「まさかのダメ出しに困惑を隠せない」

「ちなみに私は新婚気分が味わえて大満足ですっ」

「それはなにより」

「………」

「………そっちは、呼ばないの?」

「…あ、やっぱりですか? そうですよね、私だけ呼ばれるなんて変ですもんね。あはは…」



 人に名前で呼ぶように要求してきた割に、自分がその立場になるのは恥ずかしいようで。

 淡々と手は調理を継続している鳴海への名前呼びをなかなか言い出せないようだった。

 それでも、何度か深呼吸をし、覚悟を決めた柊は鳴海に声をかける。



「ゆ、幸先輩……っ。これ結構照れますよ!? どうして先輩は平然としていられるんですかっ!!」

「なんで怒られてんの俺」

「照れ隠しですっ、察してくださいよぉ!」

「知ってた」



 真っ赤になりながらセルフツッコミを入れるほど、一言で限界を迎える柊に対し、いつものトーンで返事をする鳴海。

 こんな鳴海も内心では、下の名前+先輩呼びという破壊力にやられており。



(凄い…。いや、凄いな…。うん、凄い)



 と、語彙が即死していた。

 ただ呼び方が替わるだけでここまで印象が変化するものなのか。

 ということは、呼び捨てであれば。

 柊の言う通り、新婚気分が味わえるんじゃ無かろうか。

 そんな欲求が、頭を持ち上げる。

 そこで、出来上がった食事を運び、机の上に並べながら鳴海は柊に伝えてみる。



「ねぇ、美晴。俺のことは、呼び捨てにしてくれないの?」

「う…」

「俺も新婚気分、味わいたい」

「わ、わかりましたっ! わかりましたから! …先輩って変に押しが強いとこありますよね、もう…」



 並び終えた食事を前に、目移りしていた柊の視点がぴしりと固まった後、半ば自棄になった素振りで鳴海を批判する。

 もじもじしているが、納得はしたのだろう。

 鳴海からのお願いには、ちゃんと対応した。



「幸さん。──っ、ご飯いただきますね! むぐ、んー! おいひいへふ美味しいです!!!」

「……そう。良かった。沢山食べて」

「ありがとうございますっ!」

「うん。俺は良い奥さんを持てて幸せだな」

「ぶふぅ!」



 ちゃんと対応したのに、鳴海の返しに耐えられず吹き出してしまう。

 告白を先程成功させた恋する乙女としてあるまじき反応である。

 珍しく、眉尻が僅かに下がっていたから残念がっていると思い、対応したというのに。

 非難の目を僅かに向けると、鳴海は苦笑した。



「ごめん。予想以上に嬉しくて。……恋愛としての視点は持ってないつもりだったけど、思いの外浮かれてるみたい」

「っ! っっ!! もう、もうっ!! そんなの何も言えなくなるじゃないですかぁ! せんぱいずるいぃいいい!」

「そんな怒らなくても」

「怒ってないです! 嬉しいに決まってますっ!」

「どうしろと」



 口調は強めだが、確かに柊の表情はふにゃふにゃと言えるくらい崩れてしまっている。

 そんな柊を見ながら、これからのことを考えると楽しみが絶えない。

 取るに足らない雑談をしながら、楽しい時間を過ごす二人だった。

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