第22話 【紅夜の始まり】
しばらく続いた食堂での乱痴気騒ぎも、やがてその幕を閉じる。
そして夢のような一時が過ぎた後に残るは、向き合いたくない現実という名の絶望……僕たちは、帝国兵の指示に従い各々配置につく。
いつもなら警備班だけだが、今夜は紅月の日――。
志願兵の全員が城壁で待機していた。
「薄気味悪い夜だぜ……ケッ」
もうすっかり暗くなった空は、いつもと違って血のように真っ赤な色に染まっていた。
それを見上げ、まだ酒が抜け切れてない志願兵の一人が悪態をついて唾を吐く。
「…………なにも見えねぇな」
呆然と前方を見ていたエダンがそう呟く。
城壁の上から見える赤く彩られた大地は、いつもと変わらない荒野と岩場が広がっていた。
動物や虫の鳴き声すら聞こえてこない寂寞な時間がいつまで続くかと思った矢先、空と相接する地平線から砂煙が上がる。
「……!? ……とうとう来やがった……っ!」
叫びたいのをグッと堪えた、ある志願兵の緊張した声。
砂煙から次々と出てくるオーク・ゴブリン・トロール・オーガの集団は、果てしなく続く荒野をすべて埋め尽くす波となって、徐々に砦の方へ近づいてくる。
「一体あれだけの数、どこに隠れていたんだよ……ッ」
誰か知れない志願兵の呟きが聞こえる。
今もなお続々と姿を現す魔物の軍勢は、目に見える数だけでも軽く僕たちの十倍を超える数だった。
「しかもアイツら……全然バラバラじゃねぇか」
またも聞こえる誰かの声――困惑するその言葉には、僕も同感だった。
魔物の集団……集団といえるのかはわからないが、あの魔物の群れは統一性をまるで感じさせない。
行列をなすわけでもなく、歩幅も自分勝手で、武装して防具まで持っている個体もいれば、武器も何もないまま、服すら着てない個体もいた。
その時、僕たち砦にいる全員の足元に、微かな地面の揺れが伝わってくる。
「な、なんだ……?」
自分の足元に視線を落とす。
まさかこの前のような地中ワームでも出てくるのかと思って身構えるが、そんな様子でもなかった。
むしろその揺れは段々大きく、一定の間隔を開けて起こっていた。
そしてそれは……音すら伴った大きな地響きと化した。
「おいっ! あれを見ろ……ッ!」
その誰かの声に城壁の皆が前方へと目を凝らす。そして地平線の向こうから徐々に出てくる大きな図体に絶望の声が上がる。
「な、なんだよ……あのテカブツはッ!?」
ざっと見てもオークの十倍以上、オーガやトロールの五倍以上はいく全長数十メートルにも及ぶ巨人がそこにあった。
「サイクロプス……ッ!」
今まで黙って前方を注視していたイリスが、軽く唇を噛んでそう呟く。
「あ、あんなのと戦えってのかよ……勝てっこねぇよ……ッ!」
一つ足を踏み出して地面を踏みつける度に揺れ出す砦に、志願兵の間に動揺が広がっていく。
……最初僕が砦に来た時、大きな風穴が開いている城壁を見て、何をされたらあんな穴が開くのかと疑問に思ったことがあった。
それが今、一瞬で納得させられる。
あんな図体のバケモノが突っ込んで来ると、それだけでこんな砦の城壁なんて一溜まりもないだろ。
「うろたえるな」
興奮や戸惑い、絶望といったこの場の空気とは全くそぐわない、感情の乏しい声が後方から聞こえてきた。
そして志願兵たちをかき分けて、ゼラドが前に出てくる。
「うろたえるな。別に我々があの数をすべて相手取る必要はない」
もう視認できる荒野の半分を埋め尽くして、それでも増えていく魔物の軍勢を、いつもの冷めたような目で見つめながらゼラドが話す。
「あれの目的はフォルザの壁だ。それをこちらで引きつけ、できるだけ数を減らす……それで十分だ」
「……た、確かに……ッ。あいつら、全然こっちに反応しないぞ!」
ゼラドの言葉に、志願兵の一人がそう声を荒げる。
城壁の上は松明などの明かりで、もうとっくに向こうでもこの砦の存在は見えているはず。
……だが変なことに、あの魔物の軍勢は足を速めることもなく、戦いに備えるでもなく、ただ進軍を続けているだけだった。
「もうすぐ射程に入る。バリスタ全問、発射準備に取り掛かれ」
ゼラドの指示に、バリスタを担当する帝国兵たちが一斉に動き出す。
弦を引いて、矢弾を装填し、方向を調整する――。
そのすべての動きが、手馴れた感じで淀みがなかった。
「志願兵。弓を持った奴は矢を用意しろ」
続くゼラドの指示に、慌てて矢を取り出して構える志願兵たち。その中にはルシも含まれていた。
そして僕たちが急ぎ準備をしている間にも、魔物の軍勢は着々と砦の方に近づいてきていた。
「……弓兵、構え」
片手を上げて合図を出すゼラドに、弓を持つすべての兵士が矢を射る体勢に入る。
もう大分近づいてオークたちの顔の形すら見分けがつくようになり、巨人の地響きも酷くなっていく。
「…………くっ」
皆が息を潜めて今か今かと時を待つ。
矢を構える兵士たちの、固唾を飲み込む音があちこちで聞こえてくる。
嵐の前の異様な静けさ。
……それを破ったのは、ゼラドが出す号令の声だった。
「放て……ッ!」
「弓矢、放て――――っ!! バリスタ全問、発射ッッ!!」
ゼラドの声を復唱する帝国兵の声が、城壁の至るところで聞こえてくる。
無数の矢とバリスタの矢弾が、赤い夜空を覆い隠すように飛び舞う。
――そして放物線を描いたそれらは、やがて地面をひしめく魔物たちの波に吸い込まれた。
「や、やったぞ!?」
志願兵の間で嘆声が漏れる。
的もなにもない。周辺一帯が魔物だから、矢に当たった魔物たちは次々と倒れる。
特にバリスタの威力は絶大で、図体の大きいトロールやオーガすら粉砕して肉片に変えていく。
なにより、バリスタの矢弾を集中して浴びたサイクロプスは、その小山のような体躯をよろめかせて地面に倒れ伏した。
「う、うおっ!? すげぇ揺れだ……っ!」
巨体が地面に転倒して、周辺の魔物がその下敷きになって潰れる。
続いて襲ってくる地揺らぎに、エダンが塀を掴んで腰を落とした。
「第二射の用意を急がせ」
「第二射のよ――――いっ!! 準備次第、撃って撃って撃ちまくれッ!」
またゼラドの指示を伝達する声が城壁の上に響く。
そして、とうとう魔物側にも変化が現れた。
「あ、あいつら、急に走り出したぞ!? ……こっちに来るッ!!」
装填作業が遅いバリスタより先に準備を終えた弓矢がまた宙を飛ぶ中、魔物たちは始めてこっち側に気づいたかのように、興奮した声で雄叫びを上げる。
雪崩のように突進してくる魔物の軍勢――。
地面のデコボコに足を取られて転んだゴブリンの上を、他のオーガが踏みつけて走る。
魔物同士でぶつかって倒れる状況が続出するが、構わずその上を後ろの魔物が足蹴にして前に進む。
――その狂気じみた怒涛の突進に、僕の体に戦慄が走る。
「な、なんだよあいつら……自分らで潰し合ってるぞ……完全に狂ってるッ!」
唖然とする志願兵たちの声が代弁するように、それはあまりにも無秩序で……だからこそ、見る者に言い知れぬ恐怖を与えるに十分な光景だった。
そしてあっという間に、砦の周りすべてが魔物で埋め尽くされる。
今も飛び交う矢の嵐を潜って、魔物の一部が城壁の真下にまで近づいてきた。
「くっ……もうこんなに……ッ」
完全に包囲された砦の周りを見て、志願兵の一人が尻込みして後ずさる。
その時――城壁の外から鉤縄が飛んできて、その男の肩に引っかかった。
「クハっ!? あ、うああぁぁぁぁぁ――――ッ!?」
肩深くのめり込んだ鉤に男が苦悶の声を出したのも束の間、その男は引っ張られた縄に一気に引きずられて、城壁の下に振り落とされた。
それに続くように、城壁の塀の至るところに数え切れないほどの鉤縄が引っ掛けられる。
「来たぞ! ヤツらが登ってくる! 全員武器を取れ! 縄を切り落とせっ!!」
その一瞬の出来事に驚いて固まっていた僕たちに、帝国兵たちが激を飛ばす。
それでハッとなった僕を含めた志願兵たちは、引っ掛けられた鉤縄の縄を切り飛ばしていく。
「クッソ! なんて丈夫なんだっ……中々切れねぇ!」
「斧を使え! 早く切り落とすんだ!」
悪戦苦闘しながら鉤縄を切っていく兵士たち。
その一つひとつが切られる度に、縄にぶら下がっていた何かが地面に激突する嫌な音が響く。
それでも鉤縄は次々と城壁の上に飛んできて、塀に引っ掛けられる。
「くあ……っ!?」
そして魔物たちが投げつけた鉤に引っかかって城壁から落ちてくる志願兵たちが続出する。
それに加え、城壁の下からも魔物たちが槍や矢をこっちに飛ばしてきた。
「盾を持ってる奴は仲間を守れ! 後ろにいる者は石を投げろ! 絶対ヤツらを城壁に上がらせるなッ!!」
帝国兵の指示に従い、僕も全身盾を塀の前に構える。他のところでも何人かが一緒に盾を背負って前方に壁を作る。
飛んでくる矢と鉤が盾の表面に当たる感触……そんな攻防戦が続く最中、再び足元が振動し出した。
「まさか!? ど、どこだ……!?」
夢中で石を投げていたエダンが頭を上げて周りを見回す。
鉤縄を切っていたイリスも、弓を射ていたルシも一瞬その手を止めて視線を巡らした。
「あのデカブツ、他にもいやがるのかよ……っ!」
さっきバリスタで倒したサイクロプスは今も地面に伏して動かない。だから他の個体がいることに兵士たちの間に動揺が走る。
増していく揺れ。そして西側の岩場の裏からもう一体のサイクロプスが姿を現した。
「装填できたバリスタは、西方向のサイクロプスを狙え!! 装填でき次第すぐ撃て!!」
その号令に何発かの矢弾が飛び出て、巨人の腕や腹に突き刺さる。
だが突進する巨人の勢いは止まらず、そのまま城壁の上をその図太い拳で殴りつけてきた。
「うああああ――っッ!?」
その衝撃で西側の城壁外縁部が削り取られ、そこにいた何人かの志願兵たちが真っ逆さまに地面に墜落する。
恐慌状態に陥った周りの志願兵たちに、帝国兵の怒鳴り声が響き渡る。
「怯むな! ありったけ瓶を投げつけろ! ヤツに油を味わせてやれっ!!」
すぐ帝国兵たちを中心に、巨人に向けて油の入った瓶が飛んでくる。
巨人に当たった瓶が砕け散り、空気の中に鼻を刺激する油の匂いが混ざってきた。
「次だ! 火矢を放て!」
号令と共に宙を飛ぶ火の矢。それが体に当たると、瞬く間に巨人の体が火達磨になっていく。
もがきながら苦しみ出した巨人に、続いて装填されたバリスタの矢弾が突き刺さる。
それで大きな地響きを起こして、巨人の体が傾き、やがて地面に倒れた。
「うおおおおっ!? また倒したぞ!」
崩れ落ちる巨人の姿に、志願兵の間で歓声が上がる。
だがその間に掛けられた鉤縄から、続々と魔物たちが城壁の上に登ってきていた。
「クッソ! いつの間に!?」
最初は身軽なゴブリンたちから、オークまでもが城壁の上に姿を現してくる。
その赤い月光を浴びた姿は、まるで血に飢えだ獣……そのものだった。
「ヤツらを追い出せ! これ以上、城壁に上がらせるな!」
必死な帝国兵の叫び。
僕の横からも、ゴブリンの一体が城壁を登ってきた。
「クッ!?」
咄嗟に盾を前に突き出して、城壁の外にゴブリンを突き出す。
吹き飛ばされて落ちるゴブリン。それが縄にぶら下がっていた他のオークとぶつかり、二体共に地面に墜落した。
「おいっ! 何ぼっとしるんだ!?」
「ガルム、右よッ!」
エダンとイリスの叫び声に、一瞬呆然と城壁の下を見ていた僕は慌てて横を向く。
いつの間にか城壁に上がっていたもう一体のオークが手斧を振りかざして僕に襲い掛かっていた。
「うああっ!?」
無意識に振るったハンマーが、たまたまオークより先にその頭を粉砕する。
硬い何かが砕ける感触が手から伝わってくる。
また空気中に鉄の匂いが広がる中――イリスの声が脳天に響いた。
「しっかりして! 前、また来るわよ!」
またも鉤縄が城壁の上に飛ばされてくる。
こちらも負けじと矢を飛ばし、石を投げつけ、登ってくる敵を突き飛ばしていく。
――その長い夜はたった今、始まったばかりだった。
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