第四章 《紅月の日》
第21話 【最後の晩餐】
倉庫裏での出来事あってから、また数日が流れた。
その間にも赤い月は段々と満月に近づき、そしてとうとう紅月の日……その運命の日を迎える。
その日の朝はいつもに増して忙しく、倉庫の中から古い型のバリスタを持ち出して、城壁の上に設置する作業に取り掛かった。
全てのバリスタが『死者の森』のある方角に向けて一列に並ぶさまは、その物々しさと一緒に、本当に今日が決戦の日であることを否が応でも自覚させられる。
その他にも、矢と油、落石用の石、斧など、必要なものを次々と城壁の上に運び入れていくと、あっという間に時間が過ぎて、全ての準備が終わる頃にはもうとっくに昼を過ぎた時間になっていた。
「なんか、赤いな」
城壁の上で、やっと腰を伸ばして一息ついていたエダンがそう呟く。
それは比喩でも誇張でもなく、言葉通りの意味だった。
昼過ぎといっても、まだまだ太陽が出ているのに、周辺一帯は薄っすらと赤みを浴びていた。
土も、岩も、砦の建物も、あまつさえ空さえも、そこに薄い赤色のベールを挟んでいるかのように見える。
「こんなの……始めて見ました」
ルシもまた、流れる汗を手の甲で拭きながらそう話してきた。
実際、紅月の日は、別にフォルザの壁があるこの地域だけの特異現象ではなく、アジール大陸全体で起こる自然現象だ。
そして夜になると、赤い月の光で夜空が赤く染まるが……まだ月すら見えてない昼頃からその影響が出ているのは、僕としても初めての経験だった。
「それを今さら気にしても仕方がないわ。……それにしても、こんなものを隠し持っていたなんて、今まで全然知らなかったわ」
そう話すイリスが、城壁の上に並ぶバリスタを見て不適な笑みを浮かべる。
「なあ? びっくりだようなー。でも、こんなん誰が使うんだ? 全然使い方なんて知らんけど」
エダンがそんな疑問を口にしていた時だった。
城壁の内側から、顔に見覚えのある東宿舎の志願兵の一人が走ってきた。
「お――い! 作業が終わったら食堂に集まれってよ! 今から夕食の時間だ!」
その言葉に僕たちを含め、城壁で作業していた志願兵たちが一同に首を傾げる。
「はあ……? おいおい、ついさっき昼メシ食ったばっかじゃねぇか。なんでもう夕食なんだ?」
他の志願兵の一人が声を上げてそう聞き返す。そしてあっちこっちで似たような声が出てきた。
昼を食べたのが大体3時間くらい前だから、いくら今夜の戦いに備えての早い夕食だとしても、まだ早すぎる気がする。
「まあ、とにかくだ! 俺はちゃんと伝えたからな! 早く食堂に来いよ――!」
その疑問には答えず、東宿舎の男はニヤニヤと笑いながら、もう一度そう話して宿舎の方へ戻って行く。
「なんだアイツ。へらへら笑って気持ち悪いなぁ……まあ行こうぜ、兄弟?」
「……誰が兄弟だ」
エダンがそう言って肩に腕を回してくるが、僕はそれを解いて歩き出した。それにイリスもルシもついてくる。
「つれないな~、男がそんなんだとモテないぜ?」
いやらしく笑いながら追いかけてくるエダンは、いつに増して言葉数が多くて明るい。
……気持ちはわかる。それは不安な気持ちの裏返しでもあった。
「来たぞ――。どうせいつものクッソまずい飯だろうが食わなきゃやってられん……お~っ!?」
一番先に食堂に到着した志願兵の男が、扉を開けながら嫌味を言ってくる。
だが彼のその言葉は、すぐ驚きの声に変わった。
「お、おいおいおいっ!? なんだよこれは~~?」
エダンも食堂に入って目を見開いて驚き、ほぼ指定席と化した僕たちがよく座るテーブルに張り付く。
そこにはいつもの見栄えのない食事ではなく、まだ暖かい肉と柔らかいパンや、具がたくさん入ったスープと新鮮な野菜で出来たサラダが所狭しにテーブルに並んでいた。
「どうなってんだ、こりゃ!?」
喜々として訳を聞くエダンに、厨房から調理を担当する東宿舎の志願兵が言ってきた。
「まあ今日は特別な日だからと、看守長の取り計らいでな。お代わりもできるぞ? じゃんじゃん食え!」
その話に、食堂内は今まで聞いたことのない歓声で埋め尽くされる。
看守長――それは僕たち志願兵の間で使われる隠語で、ゼラド兵士長を呼ぶ言葉だった。
あの冷血な印象の男が、こんな贅沢を許可するとは……正直、僕には意外でしかなかった。
「何やってるんだよ? さぁさぁ座って! ここに来て初めてのご馳走だぜ? 早く食おうぜ!」
興奮気味で僕たちを手招きするエダンに、僕とイリスとルシの3人はテーブルの席に腰を落とす。
「おっ、なんだよこの樽……くんくん……もしかして、これ酒かっ!?」
テーブルの下にある、大きめの樽に気づいたエダンが匂いを嗅ぐと、更に興奮して席から立ち上がりそう叫び出した。
「ああ! それも飲んでいいと許可はもらってる。ただし、飲みすぎて潰れんなよ――?」
厨房からの返事に、食堂の中は一気に狂乱の騒ぎへと変貌した。
禁欲を強いられてきた志願兵たちにとって、いきなりのご馳走と酒の組み合わせは非常に嬉しいものなんだろ。
杯をぶつける志願兵たちは、あまつさえゼラドを称える言葉まで声高に叫んでいた。
「はあ……もっと静かに食事できないものかしらね」
そしていつもと変わらないマイペースで、洗練された動作で食事をしているイリスがぽつりとそう文句を言ってきた。
「す、すごいですね……。皆さん、こんなに喜んでるの、初めてかも」
パンを小さく引き千切って、またいつものようにスープに浸して口に運ぶルシも、周りのどんちゃん騒ぎに戸惑いながらそう呟く。
……なんだかんだ言って、ルシもなかなかマイペースな奴だと感心する。
「おいおい~、なにそんなに落ち着いてるんだよお前ら~? オレたちも乾杯しようぜ、乾杯! キャキャキャキャッ!?」
もう酔っているのか、少し呂律が怪しくなったエダンが、僕たちに酒が入った杯を回してくる。
「僕は酒はちょっとな……それに、お前は飲みすぎだ」
僕はやんわりと断って、エダンに忠告する。
飲めないわけじゃないが、酒はあまり好きではない。
それに……今夜の事を考えると、あまりお酒って気分にはなれなかった。
「な~~に固いこと言ってるんだよぉ~。ガルムてめぇ、酒だぞ酒? 久しぶりの酒を目の前にして、それを断るのかよ!?」
もうほとんど酔っ払い状態のエダンに僕がため息をついていると、意外なところでエダンに賛同する声が出てきた。
「……まあ、そうね。ここは一杯、飲んでおいた方がいいかもね」
杯を持ち上げてそう話すイリスに僕が驚いて見返すと、彼女は片目を瞑って言ってきた。
「ガルム、あなたも一杯くらい飲んでおいた方がいいわよ? ルシもね」
それが何を意味しての言葉なのか、僕には理解できなかった。
ただイリスのその言葉で、僕もルシも杯を持ち上げる。
「そんじゃ乾杯しようぜ、乾杯ッ!」
エダンがそう叫んで、酒が零れる勢いで杯を持ち上げる。それに皆が自分の杯を近づけた。
4つの杯がぶつかる金属音――それはすぐ、周りの騒音にかき消された。
音頭を取る人もなく、何かに対しての誓いも、また誰かを称えるわけでもない。
それぞれ無言のまま、僕たちは自分の杯を呷る。
「…………ふう」
今飲んだ酒は、僕が住んでいた村にもあった普通のものだが、飲み口が故郷のものとは違い、灰汁の強いクセのある味だった。
それに入ってる炭酸の量も多いのだから、多分これがレシド帝国で作った酒の味ってものなんだろ。
……こんな酒の一杯で、自分が故郷を、コスタを離れて、遠く大陸の最果までやって来たことを強く実感する。
そして今夜、自分が死ぬかもしれないという事実もまた、現実味を浴びてきた。
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